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2019年11月29日金曜日

【抜粋】〈俳句四季12月号〉俳壇観測203  切字と切れ――「切れ」よ、今日は・さようなら 筑紫磐井

高山れおな『切字と切れ』(二〇一九年八月邑書林刊)
  「切字」と「切れ」は初心者によく分からない言葉である。何となくありがたそうに思える点では共通しているのだが、「切字」の方は千年近い歴史があるのに対し、「切れ」は戦後せいぜい数十年の歴史しかない。「や」「かな」「けり」の「切字」については、否定的見解も含めて、芭蕉も子規も虚子も、秋桜子も誓子も、草田男も楸邨、波郷も述べているが、「切れ」については誰も何も言っていない。具体的な切字を議論していると、神学のように抽象的な切れという概念があった方がいいように思えてしまうのである。
 高山は、新刊『切字と切れ』でこの違いを懇切丁寧に説明しようとするのである。もちろん、説明するだけでなく、特に「切れ」についての誤った教説を打破しようとしているのである。切字の体系書は浅野信が『切字の研究』(一九六二年桜楓社刊)を出しているが、それ以来の初めての著作だということである。
 『切字と切れ』は二部からなり、〈第一部 切字の歴史〉、〈第二部 切字から切れへ〉に分かれている。第一部では連歌で生まれた切字が、増加変質して行き芭蕉で一種の典型が生まれる歴史と、その中でも「や」と言う切字の構造を考察している。おまけに「古池や蛙飛び込む水の音」の解釈も行っている。第二部は、なぜ「切れ」という考察がなされるようになったかを、俳句ジャーナリズム、現代作家による切字の理解、国語学者の理解を示し、特に現代作家の「切れ」に関する妄説(もちろんこれは高山の評価だが)まで紹介している。
 こんな難しいことを言っても俳句の初心者には理解が困難だろう。二つのポイントを示しておく。定型詩では短歌(57577)は長い歴史を持っているが、その活動の中で二人で短歌を合作する連歌という形式が生まれた。これは前句(575)と付句(77)をそれぞれに別の作者が製作するのだが、前句が短歌の一部でなく、独立した詩歌だと認識させるためには、前句と下句の間に切断が必要となり、そのために「かな」という語――切字が重用されるようになったのである。
 もう一つは、連歌が発達して行く過程で「かな」以外にさまざまな切字が発明されていった。「けり」「らん」など後世では一八種類もあるとされるようになるが、その中に「や」と言う助詞が含まれるようになった。芭蕉の時代になると、「や」を使った名句が輩出するのだが、困ったことに「や」は前句の文末を切断するだけでなく、一句の中におかれて、句を切断することになる(「古池や蛙飛び込む水の音」)。二句一章構造の発見となるのであるが、以来、「や」の機能は今もって定説がないという状況にあるのである。
 もっとも「切字」については、川本皓嗣や藤原まり子などの精緻な研究がなされているが、彼らは「切れ」については余り言及していない。

論争真っ只中
 「切字」や「切れ」が研究者や好事家の論争にとどまっているならば「俳壇観測」で取り上げる必要はないが、実は「切れ」を俳句の制作に当り必須とする長谷川櫂や復本一郎がいるために、高山れおな、仁平勝による「切れ」批判が現在行われているのである。一見あまり実益ある問題ではないようにも見えるが、長谷川や復本によれば、切れのある句は、切れのない句よりすぐれていると見ているようである。とりわけ、復本は切れのない句は川柳であると言うのである(『俳句と川柳』一九九九年講談社現代新書)。ここまで行くと、現代俳句の優劣、評価問題となるから深刻な問題となる。特に川柳作家は復本の発言に差別を感じているようでもある【注】。
 川柳問題は別としても、「切れ」は大きな問題となる可能性を孕んでいた。「俳句」十月号では「切れ」賛成の「大特集・名句の「切れ」に学ぶ作句法」(総論執筆山西雅子)が組まれたが、「切れ」批判の「豈」六二号が特集を組んだ。後者では、従来の本格的な切字論の論客が登場したからその結論を述べておこう。
川本皓嗣=提案をいくつかあげる。①芭蕉が愛用した古い切字を復活して表現的・リズム的効果を生かす。②二段切れ三段切れも切字に考えてよい。③季語同様、続々と新しい切字を案出したらよい。④切字のない句も多く作る。
仁平勝=①自分の切れが必要という考えは変わりつつある。自分は今、虚子のような切れのない「平句体」にはまっている。②古い切字も、切れを生むための修辞でなく異化効果を狙うものと考えている。
 私自身は、切字は「文体」の一種であり、今後は切字や切れよりも、新しい「文体」を創出することが大事と考えている。ちなみに、近代俳句において最も挑戦的な表現者であった河東碧梧桐は、『八年間』と言う期間限定句集で、当初虚子以上に「かな」を使用したが、急速に「かな」が減少し「けり」が増加し、やがて切字は一切用いず、最後は口語表現に変わっていった。詠む内容に応じて文体変化が連動したのである。
(以下略)

※詳しくは「俳句四季」12月号をお読み下さい。

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