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2019年6月14日金曜日

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑬  のどか

第2章‐シベリア抑留俳句を読む
 Ⅱ石丸信義さんの場合(2)


 以下*は、『シベリヤ俘虜記』の作者の随筆を参考にした筆者文。

麦の粥すするや春の星潤む
*汁の多い麦の粥を啜った。春の星は望郷の思いに潤むのである。奥地の伐採作業から戻ると、食料事情は一層悪くなっており、食料の分配が不公平だと不満が爆発した。それに対して石丸さんは、食料配分の提案をしたことで炊事長に任命されたという。

喊声や大鮭一尾手捕りたる
*手記の中には、このような魚取りについての一節はないが、伐採作業の昼
休みには、捕食となる木の目や茸、あるいは川での魚とりをしたのだろう。
秋になると産卵のために皮を遡上する鮭を素手で捕まえたのである。「喊声や」の中に仲間の喜びとどよめきが聞こえてくる。
 
靴音や句帖を隠す雪の中
*休憩時間に誰も来ないところで俳句を考えていると、誰かの靴音が近づい
てくる。慌てて句帖を雪の中に隠した。招集以来、心の拠り所としてきた俳句
手帖やそれまで持っていた本が没収されてしまった。

  一切の活字絶たれけり夜長捕虜
句帖を没収されし後帰還の噂立つ
秋夜覚むや我が句脳裡に刻み溜む

  〈昭和四十六年渋柿特別作品賞〉
*ソ連側は、抑留中の真実を漏らすまいとしてか、抑留者の結束を恐れてか
全ての文書やメモさえも没収した。文書やメモを持っているのが見つかると、
帰還が遅れるという噂もあった。句帳を没収されてからの秋の夜長、目が覚め
るとひたすら自分の句を暗唱し、脳裡に刻み込んだのである。
『シベリヤ俘虜記』P,22には、

 句帳を無くしてからは、句の情景を寝られぬままに闇の中で思い描いた。17字を記憶することよりも、その一つ一つの景をイメージとして、何年先でも思い浮かべることのできるよう、心に焼き付けたいからである。再びとないこの体験が私の第2の原体験となることを思ったからである。

【石丸信義さんの作品を読んで】
 石丸さんの随筆を要約すると、収容所でのノルマや飢えと戦う一方で、別の世界の中で、朝日に輝く樹氷林や北方の壮大なる夕焼けや果てなく続いて天に接する雪原や、そこには、どんなに見つめても、思い描いても、何の束縛もない自由の世界。帰れば二度と見ることのできない天地である。私にはこの朔北厳冬の風景を脳裡に深く彫り込んでおきたい俳句的欲求があったと記し、後に、小田保さんにあてた手紙の中でこう述べている。「私にとって俳句は、自分の生きていることを、生きざまを詠うことであった。あのシベリア収容所での飢えの極限にあったとき、果たして俳句ができるであろうか、いや作ってみせるという意欲があった。とある。
筆者は、石丸さんのこの手記を読んで、ヴィクトール.E.フランクル『夜と霧』P.113~114のこの一説を思い浮かべた。

 ひとりの人間が避けられない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、きわめてきびしい状況でも、また人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。勇敢で、プライドを保ちつづけたか、あるいは熾烈をきわめた保身のための戦いのなかに人間性を忘れ、あの被収容者の心理を地で行く群れの一匹となり果てたか、苦渋にみちた状況と厳しい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして「苦悩に値」したかしなかったか。
 このような問いかけを、人生の実相からほど遠いとか、浮世離れしていると考えないでほしい。たしかに、このような高みにたっすることができたのは、ごく少数の限られた人びとだった。収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、ほんのわずかな人々だけだったかもしれない。けれども、それがたったひとりだとしても、人間の内面は外的な運命よりも強靭なのだということを証明して余りある。(『夜と霧』新版 ヴィクトール.E.フランクル著 みすず書房 2002年11月5日)
 このような問いかけを、人生の実相からほど遠いとか、浮世離れしていると考えないでほしい。たしかに、このような高みにたっすることができたのは、ごく少数の限られた人びとだった。収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、ほんのわずかな人々だけだったかもしれない。けれども、それがたったひとりだとしても、人間の内面は外的な運命よりも強靭なのだということを証明して余りある。(『夜と霧』新版 ヴィクトール.E.フランクル著 みすず書房 2002年11月5日)

 石丸さんがこの苦しい抑留生活を「17字を記憶することよりも、その一つ一つの景をイメージとして、何年先でも思い浮かべることのできるよう、心に焼き付けたいからである再びとないこの体験が私の第2の原体験となることを思ったからである。」と書いているように、自分の人生における困難を一回しか来ない貴重なものとして、肯定的に受け止める姿勢により、心の内なる自由と人間性においての価値を獲得し、俳句はそれを牽引したのだと筆者は思う。
 石丸さんの苦難を受け入れる姿勢やどんなに困難でも俳句をつくってやろうという意志が、フランクルの言う「人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする」すべての源となったと筆者は考える。


参考文献
『シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日
『夜と霧』新版 ヴィクトール.E.フランクル著 みすず書房 2002年11月5日

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