渡邉美保さんの第一句集『櫛買ひに』を読み終えた夜、美保さんのことを思った。句会で鑑賞を述べられる美保さん、雑談をしながら一緒に歩く時の美保さん、一緒に何か食べたりする時の美保さんの顔が思い浮かんだ。美保さんに笑窪があったかどうか?ふとしたときに、美保さんの笑窪を見た気がしてきた。今読んだ『櫛買ひに』の作品たちに笑窪があったからだろうか。陽だまりの中でふわりと笑窪を見たようだった。
日記買ふついでにニッキ飴を買ふ (うかうかと)
と音でしゃれてみたり、
耳栓にしやうか殻付き落花生 (櫛買ひに)
殻付きの落花生を耳栓にしてみようとは・・・子供のような無邪気な遊び心につられて嬉しくなってしまう。
サーカス一行箱庭に到着す (炭酸水)
サーカスの一団が町に着いて荷を下ろしテントを張ったりしはじめたときその町は途端に箱庭となった。サーカスはおもちゃのような明るさで一帯は箱庭の賑わいとなった。明るく軽やかな美保さんの一面をも垣間見るようだ。
さて、美保さんに真顔の時だってあるだろう。
喪の家に米研ぎゐたり凌霄花 (ポインセチア)
日常の中の、あるワンシーンである。喪の悲しみの家に米を研いでいる様子が描かれている。血が混じったような色の花が連なってよじ登るように咲く凌霄花に、粘り強い生命を感じる。生き残っている者は相変わらず米を研ぎ、また次の日を迎える。
薄氷にひび老木に刀傷 (けむり茸)
薄氷は温度や刺激などでひびがはいり自然に溶けていくだろう。老木には刀傷を見た。これは確実に人為である。人間が生きていくとき、自然の一部となりながら何かを壊して生きている悲しみともいえる。
建国記念日馬の前脚後脚 (櫛買ひに)
馬の状態を言わず、「前脚後脚」と抑えて表現されていることにより、建国記念日との関係の想像が広がる。馬は農耕もして、国土を踏む。戦を蔵しているともいう。訴えの詩であると思う。
龍淵に潜む卵の特売日 (櫛買ひに)
龍は想像上の生き物であるが、卵生であるとしよう。龍が淵に潜むかもしれない深くて蒼い静謐は神秘である。しかし、作者は自分自身が生きるための「卵の特売日」という現実を携えている。神秘の龍と特売という現実を卵が介在するという諧謔味がある。
妹に泣かれし記憶鳳仙花 (アンモナイト)
なんとなく拗ねてゐる母着ぶくれて (アンモナイト)
ぽつぺんやちちははの海凪ぎわたる (夕凪)
月の出や母在るやうに魚を煮て (櫛買ひに)
椿の実末つ子と今絶交中 (櫛買ひに)
など家族の屈折や撓みを感じながら、温かさの貫いた家族を感じることができる。この温度感も他の作品の持ち味となっている。
また、美保さんの身に浸みこんでいる海辺に触れた句も多くみられた。
五月来る帽子の箱の中に貝 (アンモナイト)
帽子の箱は色もデザインもエレガントである。何かを入れてみたいが、入れにくいものである。私はそのいびつに憧れさえしたものだ。それはなんとなく置いておくしかない。・・・そうか、拾った貝を入れて世界の海と話をしよう。小さな笑窪のような貝も入れて!
0 件のコメント:
コメントを投稿