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2018年12月7日金曜日

〈抜粋〉「WEP俳句通信」105 特別寄稿 朝日俳壇新選者――高山れおな(人物紹介)筑紫磐井

朝日俳壇の歴史
  終戦後の朝日俳壇は高浜虚子の単独選が続いたが、虚子の急逝により、1959年4月19日から高浜年尾・星野立子の共選に改まった。ただしこれは、新しい構想の下に新たな選者を委嘱するまでの間という条件付きであった。
 やがて、三選者時代となり、59年5月3日から中村草田男・星野立子・石田波郷(波郷没後は加藤楸邨70年~)の選が始まる。これは、いち早く朝日歌壇において、結城哀草果の没後に始めた三選者方式にならったものであった。
 ついで、全国の投稿を一堂に集めた四選者時代が始まる。70年9月19日から中村草田男・山口誓子・星野立子・加藤楸邨の四氏共選が行われるのである。
 虚子以後の民主的な三選者、四選者時代の系譜をたどってみると、朝日俳壇はまさに俳句史そのものだ。数字は在任した年(西暦)、()内は主宰する雑誌である。結社を持たない選者は、飴山實と高山れおなしかいないから朝日といえども新聞俳壇は結社を念頭においていたことが分かる。

①星野立子(玉藻)59~70→高浜年尾(ホトトギス)72~79→大野林火(浜)80~82→稲畑汀子(ホトトギス)82~
②中村草田男(萬緑)59~83→安住敦(春灯)84~86→金子兜太(海程)86~18→高山れおな18~

③石田波郷(鶴)59~69→加藤楸邨(寒雷)70~93→飴山實93~00→長谷川櫂(古志)00~
④山口誓子(天狼)70~94→川崎展宏(貂)94~06→大串章(百鳥)07~

 この系譜から幾つかのことが分かる。それは、間に多少曖昧な人選も入る(大野、安住)が明確な系譜があることである。一つはホトトギスの系譜(①)であり、もう一つは現代俳句の系譜(②)である。前者は高浜虚子から始まった血縁によるホトトギス王国であり、後者は、社会性俳句や前衛俳句の系譜といってもよいかも知れない。朝日俳壇においては、この対立する原理で人選が行われ、俳壇を啓蒙してきたと言ってよいであろう。この二つの系譜に比べ他の系譜(③④)はそれほどはっきりした傾向はない。

 注目したいのは、現代俳句の系譜であり、中村草田男ー金子兜太ー高山れおなで示そうとする系譜である。もちろんこれを系譜というのは乱暴である。昭和三〇年代、いたるところで、草田男は兜太を批判し、最後は卓袱台返しのようにして現代俳句協会から反兜太派を率いて俳人協会を作ってしまったのだ。にもかかわらず、その行動原理は不思議な程一致し、特に兜太の方は自分の先人として草田男をかかげ、師事した楸邨とは別に俳句の恩人として語っている。そしてこれは、兜太とれおなについても言え、兜太がれおなにそれ程好意を持っていたわけではないだろうが、角川書店の唯一の兜太読本『金子兜太の世界』で兜太が「金子兜太論」を書かせたのは、坪内稔典、筑紫磐井、仁平勝、そして最年少の高山れおなの四人しかいなかった。このメンバーを選んだ兜太は、顔ぶれを見る限り、自分の忠実な弟子・模倣者でなく、批判者によってこそ正しい評価が生まれると考えていたらしい。実際この時の高山の「命なりけり――金子兜太の俳句的行き方」は名品であったと思う。

 余談になるが、かつて私が兜太の前で、自作の

 老人は青年の敵 強き敵 筑紫磐井

の句を披露したら怪訝な顔をされたが、この句の「老人」は草田男でありまた兜太である、「青年」も兜太であり、れおなのような青年である、老人はいつも強すぎて困ったものだと解説したら、大いに気に入ってくれたのである。歴史はいつも繰り返すのである。
 さて、高山れおなが朝日俳壇の新しい選者となったことを不思議に思う人がいるようだが、私はこれに何の不思議も感じていない。いささか妄想めいたところがあるが、私の考えを述べてみよう。朝日俳壇は、戦後、虚子以来の伝統的な俳句の系譜(①)を温存させる一方で、社会性や思想性を常に意識した系譜(②)をつくり出していた。俳句は伝統文芸であると同時に、現代文学でなければならないという意識があった。これは、俳壇の社会学的分析である(歌壇では大野道夫がこれに類した研究を行っている)。もちろん正しいかどうかは分からない。

 従って、朝日俳壇においては、金子兜太の後任は前衛的傾向の作家でなければならなかった。特に現在のアベ政権が続く限りは兜太に匹敵する社会性や前衛性が存在しなければ朝日新聞のアイデンティティが保たれない。その一方で、かつて長谷川櫂が四〇代後半で選者になったように、求められたのは四〇~五〇歳の作家であった。この二つの基準が結びついたときに、高山れおな以外のいかなる人材も選者として存在しないことは多くの人に納得できることであった。四〇代の前衛作家などそうどこにでも転がっているものではないのである。
(以下略)

 ※詳しくは「WEP俳句通信」 105号をお読み下さい。

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