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2017年8月25日金曜日

【抜粋】〈「俳句四季」9月号〉俳壇観測176/内を向く作家と外を向く作家――分かりやすさと少しの分りにくさと 筑紫磐井



●櫂未知子『カムイ』(二〇一七年六月三〇日ふらんす堂) 
 才気煥発な櫂未知子の、『貴族』『蒙古斑』につぐ第三句集である。読んでみて櫂未知子も五七歳の年相応の句を詠むようになったかと感慨を禁じ得ない。手負いの狼のような趣のあった櫂が、いずれ皆に愛される未知子婆さんに変わって行く、その過渡的な句集といってよいであろう。才能に比して賞に恵まれなかった櫂がそろそろ受賞の対象となってよい句集だと思う。
 もちろん、未知子調も好調である。

 ほんものの農家に止まる夏休
 起し絵の中に浴びたき波すこし
 流燈の華奢な柱をいたはりぬ
 郷里憂しある日突然夏は来ぬ
 ひまはりは夜空を奪ふために立つ
 盆波や郷里はつねに牙むいて
 石炭と雪が出合へば素敵だらう
 軍艦の全身見えて氷水
 風死して充電すべきものばかり
 着水のとき白鳥の開花かな
 大空に根を張るつららだと思へ
 何かしら車は轢いて暮の春
 雪激しピアノ売りたる夜のごとし


 このような歯切れのいい、連想の羽ばたきやすい句は、『貴族』以来多い。
 さて句集のあとがきには櫂の少し鬱屈した思いがこめられているようだが、この人には鬱屈はふさわしくない。ただ、若い頃のように無条件に攻撃的ではなく、鬱屈した者(例えば私)を労りねぎらってくれるとよいと思う。そんな句が発見できるようになったのはうれしい。

 水飯のほのかな熱に出合ひけり
 虫売りの近づくやうに遠ざかる
 晩婚といふ味はひの葛桜
 夕映えのかけらのメロン食ひにけり
 水やれば咲くかもしれずかたつむり
 父の日や書斎に永遠の鍵かけて
 サイダーの風のごときを飲み干しぬ
 一滴は忘れた頃に釣忍
 草市や生者の側の淡きこと
 本名に少し慣れたる遅日かな
 母のせて樟脳舟の出でゆきぬ
 風鈴を外し忌中となりにけり
 数へ日のひつそりと混む店なりけり

    *     *
 みづうみの名前のやうな風邪薬

 最後にこの句について少し触れておきたい。金子兜太にしても、櫂未知子にしても歯切れのいい句が多いが、これはちょっと変わった句だ。
 岡本綺堂の青蛙堂鬼談に「猿の眼」という話があり、由緒のしれない木彫りの猿の面に、泊まった客や家族が夜ごとうなされるという怪談がある。売っても捨てても、毀っても戻ってくるのであるから怪談である。こうして祟られた中に俳人がいて、やがて体を損なって死んでしまうのだが、その男が残した句を綺堂は「上の句は忘れましたが」といって七五を示している。月並な俳句であるのだが「上の句は忘れましたが」と示されることにより、格段の恐怖が湧いてくる。
 恐らくテレビで流行っているプレバトであればこの句の上五中七は完膚なく添削を受けるのだろうが、それによって解るようになったからといってこの句の価値があがるわけではない。どんな連想をしても、「みづうみの名前のやうな」風邪薬名は思い浮ばない。そのような名前が思い浮かばないことを前提としてこの句の価値は生まれている。

※詳しくは「俳句四季」9月号をご覧ください。


1 件のコメント:

  1. たぶんパブロン>みづうみの名前のやうな風邪薬

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