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2016年1月8日金曜日

字余りを通じて、日本の中心で俳句を叫ぶ (その2) / 中西夕紀・筑紫磐井



筑紫:ありがとうございます。
参考となると思いましたので、正岡子規先生の、字余り論を翻訳してみましたのでご覧ください(もっとも昨年のシンポジウムの時にご紹介したものではありますが、今回は時間の関係で触れる機会がありませんでした)。
私の意見は子規先生の域を全く出ていません。
逆に如何に子規が革新的だったかわかります。
殆ど金子兜太に等しいですね。

実際、字余り論争は、面白いですね。

虹に謝す妻よりほかに女知らず 草田男

例えば五七六を皆が一斉にならい始めれば、五七六が新定型になるはずです。これが正しい俳句だと考えれば、五七五はむしろ新定型からみれば字足らずになるでしょう。すべてこのように相対的なものです。

字余りなどと言わず、新しい定型を作ればいいと言っているのは、正岡子規、金子兜太などでしょう。そういう信念を間違っているとまでいうことは出来ません。

恐らく、子規、兜太、私の意識は、定型は575のような数字で決まるものではなく、それぞれの頭の中にある「定型感覚」だということでしょう。境界があやふやですが、これのいいところはかなりひろく定型としてとらえられ、自由律俳句も広い意味の定型だということになります。俳句の中に、厳密な律の俳句と自由律俳句があるということはおかしいことではないと思います。

「定型感覚」いい言葉ではないでしょうか。575でできているけれどどうも定型というにはしっくりこない、という俳句が時々あります。韻律感覚に沿っていない俳句です。「定型感覚」のない句と言ってやることが出来ます。



【参考】 


「字余りの和歌、俳句」  正岡子規


 短歌が三十一文字と定まっているのを三十二文字ないし三十六文字とし、俳句が十七字と定まっているのを十八字ないし二十二、三字にも作ることがある。これを「字余り」というのである。そして字余りを用いるのは例外の場合であり、日頃は用いるべきではないというのが歌人、俳人等が一般に主張している「おきて」である。だがこの「おきて」ほどいわれのないものはない。 
 三十一文字と定め、十七文字と定めたことはもともと人間が勝手につくった「おきて」であるから、それに外れたからといって日頃は用いるべきではないというのは笑うべき偏見である。「字余り」という文字を用いるからこそこの偏見も起るのである、試みに「字余り」という文字の代りに三十二字の和歌、三十三字の和歌、十八字の俳句、十九字の俳句というような文字を用いれば「字余り」は字余りではなくて一種の新しい韻文となることを十分知ることができる。新しい韻文を作るのに何の例外ということがあろうか。 
 ある人が、「字余りの短歌、俳句は句調が悪く、口に滞る気持がするために好んで用いるべきでない」という。一見理由があるように思えるが、再度考えるとこれもまたいわれのないことである。句調が悪く、口に滞るとか言うのは三十一字または十七字を標準としていうものであって、例えば十七字、三十一字のつもりにて吟じた者が十九字、三十三字等となったものが自ら句調が悪く、口に滞る気持にならざるを得ないのである。これはその句切りの長短、発音の伸縮など、すべてが三十一字、十七字に適して三十一字、十七字以外に適しないからである。初めから十八、九字、または三十二、三字の覚悟でこれを吟じるか、または虚心坦懐にあえて三十一字、十七字と予定せずにこれを吟じれば、句調の悪いところもないであろう。入門者が吹き込まれてそう思い込むとか、十七字、三十一字と古い時代から定まっているために耳も口もこの調子にだけ馴れてしまったものと思われる。 
 (中略) 
中国の古い詩の末尾には一句十余字の長句があるのを見ることができる。その結末を盛り上げるためにはどうしても必要なのである。これと同じく短歌、俳句においても語勢を強くするために字余りを用いることはやむことをえないものであり、ある人のいうような新奇を弄するものではない。 
まして、三十一字の短歌、十七字の俳句は古來から言いふるして、大方は陳腐となり旧套に落ちてしまい、現代にあっては少くとも三十二、三字、または十八、九字の新しい調子を作る必要がある。私(正岡子規)は今後まずこの一点から、次第に陳腐旧套を脱したいと思うのである。卑俗な「都々一」さえ、初めは七、七、七、五のみの句調であったが、後には五、七、七、七、五の句調をつくり、または七、七、八、五の句調をなすに至った。都々一さえこのような進歩をするのである。歌人、俳人たる者が、何で猛省しないでよいものか。 
(「日本」明治27年8月20日)

中西:定型とはそもそもどんなものなのでしょうか。ここに角川書店の『俳文学大辞典』がありますのでひいてみます。山下一海先生の解説でこのように書かれています。

「文芸用語。和歌・連歌・俳諧・短歌・俳句などの一定形式をいう。五音と七音を基準とする音数律によって、形が定まっている。現代詩が不定型自由律を主流とするのに対して、短歌・俳句は、伝統的な強固な定型によることを特色とする。俳句の定型は、五音・七音・ 五音(上五中七下五)の三句一章を成すいわゆる一七文字(一七音)である。これが、日本語において一応の表現能力を有する最短の詩型であると考えられる。もともと短歌の上の句(初句・二句・三句の五七五)に由来し、連歌・俳諧の発句であったが、発句だけ単独に作られることも多く、近代においては俳句として独立した。また前句付けから独立した川柳も結果的には同じ定型である。定型はかならずしも絶対のものではなく、字余りが許容され、字足らずもまれに見られる。また意味の連なりと切れが五・七・五と一致しない句またがりも多く、それらが極端になり、意識して定型からの逸脱を行うところから自由律俳句が生まれた。」


俳句の五七五を一応定型と呼びましょう。だけど定型は絶対のものではなく、字余り、字足らず、句またがりがあります。その極端なものが自由律ですと、のべているものと思います。五七五というのは、和歌からの伝統詩歌の音律として、長い間日本人に染み込んでいるものです。小学生のころから私たちは、百人一首や俳句に出会います。何の疑問もなくそれらを覚えていくのです。
長じて俳句を作ろうとしたとき、我々は何の疑問もなく、五七五の定型を受け入れたのです。我々が、字余り、字足らず、句またがりも俳句であると思えるのは、我々がそれらを五七五のリズムから逸脱していないと思うからではないでしょうか。ただ単に長かったり、短かったり、するのではなく、五七五の抑揚を備えているからと思います。

それを磐井さんは「定型感覚」と言われています。「一七音と定めたことはもともと人間が勝手につくった「おきて」であるから、それを外れたからといって日頃は用いるべきではないというのは偏見である」と磐井さんは書いています。わたしもその点は同感で、持ちうるべきではないとは思いません。しかし、「一八字の俳句、一九字の俳句という文字を用いれば「字余り」は字余りではなくて一種の新しい韻文となることを十分知ることができる。新しい韻文を作るのに何の例外ということがあろうか。」と言っておられるところに、疑問を持ちます。

一八字だろうと一九字だろうと俳句には変わりがないのなら、新しい韻文など作ることもないと思うのです。我々の脳みそに、五七五の音律がしみ込んでいるのは伝統と言えるでしょう。ほんのちょっと違いをつけて新しい韻律を作る必要があるでしょうか。字余りや字足らずは五七五ではないですが、定型感覚からははずれていません。むしろそれらの持つわずかな違和感を面白く感じるのではないでしょうか。

実際俳句を作りますと、五七五の定型が一番作り易いのです。また俳句の姿もいいのです。反対に自由に見える字余り・字足らずの方が作りずらく、リズムも乱れます。五七五にするとなぜ安定感を感じ、定型感覚という五七五に近い一六字・一八字・一九字音律に俳句を感じるのか、不思議です。長年俳句を作っておりますと、定型に安住してしまい、字余り、字足らずがなかなかできません。字余り字足らずの句を成功させる秘訣は一種の音感の良さがあるように思います。

五七五の音感が心地よいので、子規が一七字を脱したいと明治時代に言っても、平成になった現在でも、俳人たちは結局は古い定型を脱することができていません。子規の弟子の河東碧梧桐は、後年自由律に行きつきましたが、結局は筆を折って引退しました。

自由律が悪いと言うのではなくて、定型には心地良いリズムと安定感があって、俳句実作者には離れられない魅力があるというのが現実にあるようです。

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