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2015年6月26日金曜日

【特別連載】 追悼句篇 その1 -戦後俳句作家の最晩年 ー /  堀本 吟


                                       
 
 二〇一五年二月から五月にかけて、私の俳句人生に大きな意味をもった関西在住の戦後俳句作家、和田悟朗氏、津田清子氏の逝去があった。故榎本冬一郎を介して両者に浅からぬ俳縁のある藤井冨美子氏の『藤井冨美子全句集』が昨年十二月に刊行され、その記念祝賀会が悟朗の忌明けのころにあった。

 大先輩が亡くなられた時には、一般的には儀礼としての追悼事業をするものだが、実は追悼句とか忌日の俳句はどういったらいいのかはわからない。誰彼の句を読んでみてもこれらもひとつの誹諧的芸なのだと思うこともある。一俳句者としての私には、攝津幸彦の場合と同じく、この人たちとこういう関わりがあったが故にこうなった、というような表現活動の個人的な思いが先に迫ってくる。そして、いくばくかの思い出をのこしてくださったことどもについて、愛惜の感慨を「句」にしてきた。こういう句に上手下手はないのだろう、とも思う。今回もそこから始めることにする。

 そして次回からは、散文の形式によって、同時代の後輩として、この人たちが残した表現の思想にすこしでも切り込んでおきたい。
 
A 《 和田悟朗という謎 》
2015/2/23逝去、2/25葬儀

危篤とは知らぬ句会の空席二月
梅の国の道いりくんでおのずから
 近畿大学奈良病院が終焉の場所
病院は山の中にて風車
遺影抱く人に間近き蝶の息
焦点を遠くにおいて目が笑う
諸葛菜世間を離れたきことも
つばくらめ手紙の中で叱られし
先生とくんちゃんさんしあたたかし
先生や春の塵めく霊柩車
微風来る悟朗先生さようなら

B 《 津田清子という謎 》
 2015/5/5逝去、5/8葬儀 

 芭蕉句碑のある暗峠を共に越えた日。無住のお堂に腰掛け荘子の話を聞く。
黄落のしきりしきりに荘子聴く
 会ひ別るくらがり峠霧峠 清子
老少女鳥の眸をして見返れり
 「関西戦後俳句聞き語りの会」は阪神淡路大震災の年1995年4月29日に開催、女史の協力もあり 
 100名.和田悟朗、鈴木六林男、藤井冨美子、他当時の「圭」「花曜」「群蜂」同人、川柳人等多数参加。
花峠はるばる超えて津田清子
 ともに紫香楽宮跡に満月を見に行ったとき。
木津川や月のかけらをひと括り
 老人養護ホームにはいられた津田さんをときどきお見舞いに行った。筆談が多かったが、 とても楽しい時間 
 だった。道々に作ったメモをお見せしたらゆっくり読んで遠慮なく添削された。話の合間に一句出来上がる。以下、既発 表も含む。
 昨年の母の日に、カーネーションをもちゆき、けっきょく共同製作となった 
母の日にあげるかわいいカーネーション(初案) 
母の日にぴんくのかーねーしょんあげる
母の日に赤いカーネーションあげる
↓ 母の日といえば「赤いカーネーション」だったのだろう。今年、間に合わなかった。
母の日にまっ赤なカーネーションもらう(完成体。清子添削句)
 「俳句にならないものを取り合わせること」と。「見えるものだけで詠むと狭くなる」と。
 「アンタの俳句はかなり変わってるね」といわれた。
わたしはワタシ黒き揚羽の随きくるも
屋上の風に抗ひひるがお咲く(原句・屋上にひるがおそっと花ふたつ)
ひめじょおん無職の腕に摘み剰す(原句・ひめじょおんいっぱい摘んで無職なり)
母の日の子犬優しき糞をして(原句・母の日に子犬かわいい糞をする)
奈良の街周囲の山も昼寝どき(原句・奈良の街若草山も昼寝する)
つばめ翔ぶ翔ぶときなにも思はずや(原句のまま)。 
津田さんは大正8年6月25日に生を受けた。この句はそのまま合格。
梅雨空に青空見ゆる誕生日
 紫陽花剪るなほ美(は)しきものあらば剪る 清子
シャキシャキも女盛りも濃紫陽花
 砂漠の木百里四方に友は無し 清子
砂漠の木生きとし生ける津田清子
 絶筆  もっとゆっくり歩こうと羊が言いました・津田清子。 (旧「圭」同人との新年句会) 
 絶筆  ひとときの太古の焔お水取り 和田悟朗。(「風来」二十号)
悟朗逝き津田清子逝き春が逝く

C  《藤井冨美子という謎 》『・・全句集』刊行を記念して

  2014/12/藤井冨美子全句集刊行、12/24 冨美子生駒和田邸へ表敬訪問
  2015/4/16 刊行記念祝賀会  於和歌山・吟行・句会

  (序文を書いた故和田悟朗氏へ)
黙祷のひととき薔薇の色きわむ   
 水清し花びら清し母の膝 藤井冨美子句碑(和歌山市・慈光円福院境内)
流れつつ膝がしらとも花びらとも
美しき藤や市井の冨の外(ほか)(祝句)
南海の春に言挙ぐ全句集(祝句)
  和歌山港魚市場。故榎本冬一郎がよくここに来て漁師と話をしていたそうだ。
   加太淡島神社境内句碑
     明るさに顔耐えている流し雛 榎本冬一郎
雛流すための桟橋加太の海
遅桜冬一郎碑あるからは
碑は独り立つ緑陰に弟子も孤人
戦前に迫る戦後や養花天
 和田悟朗「序文]の結びに
青高野「藤井冨美子の長寿を」とぞ  



       

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