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2015年5月8日金曜日

【第83回海程秩父俳句道場潜入ルポ】  濫竽充数(らんうじゅうすう) ~海程秩父俳句道場闖入記~   / 堺谷真人



 2015年4月4日(土)、5日(日)の両日、埼玉県秩父郡長瀞町の養浩亭で開催された「第83回海程秩父俳句道場」に参加した。


 筆者は「豈」同人。「海程」の句会は初めてである。ただ、昭和末年から平成の始めにかけて大阪で「海程」創刊同人の堀葦男(1916~1993)の指導を受けて以来、なぜかこの俳句集団とは御縁がある。今回は幹事の宮崎斗士氏からの慫慂。しかもゲストは「豈」きっての論客、筑紫磐井、関悦史の両氏という。これは行かないわけにはいかない。

 道場のプログラムは1日目が吟行、句会、懇親会、2日目がゲスト講演、句会であった。1日目は総投句数104。2投4選で金子兜太主宰選が20句。2日目は総投句数118。2投3選で主宰選が19句。別途、毎回問題句を各自1句選ぶという趣向である。

 養浩亭に集合後、マイクロバスで吟行へ。赤平川右岸に聳える石灰岩地層の大露頭、陽崖(ようばけ)を振り出しに、その昔、兜太主宰が出征時に参拝したという皆野椋神社を経て大黒天円福寺周辺を散策した。秩父の桜は恰も満開。川原では軽トラックほどもある落石に攀じ登って子どもたちが化石を探していた。足もとには菫の花。初めて訪れた兜太俳句の原郷は百花繚乱の山国であった。途中、「おおかみに蛍が一つ付いていた」「僧といて柿の実と白鳥の話」「よく眠る夢の枯野が青むまで」等の句碑を巡覧したが、いずれも大ぶりの滑らかな緑の自然石。とりわけ椋神社境内の「おおかみに」の碑は殆ど磐座と呼びたくなるほどの巨岩であり、兜太主宰その人の存在感を具象化したオブジェにも見えた。



 兜太主宰が参加者の前に現れたのは1日目の夕食の席。このとき初参加者の自己紹介の時間があった。初対面の「海程」各位に何をどう紹介したらいいのか。窮余の一策、筆者は兜太主宰の第一句集『少年』初版本を披露して自己紹介に代えることにした。

 1955年10月1日発行の『少年』初版本は亡き師・堀葦男の形見として冨美子夫人から寄贈されたもの。見返しには著者自筆で「堀葦男様 金子兜太」とあり、「婆の胸より電柱傾ぐ水禍の原」という句が黒インクで書かれている。大ぶりのゴツゴツした書体。文字を構成する線が所々で二重線になっているのは筆圧が強すぎてペン先が開いたためである。

 本文の頁をめくると、多くの句の頭に点が打ってある。葦男が注目句をチェックした跡だ。ただ面白いのは、後年、兜太主宰の代表句として不動の評価を得るに至った次のような句が全くのノーマークとなっており、いわば「既読スルー」されている事実。最も近くにいた慧眼の同時代人にも往々にして見逃しということは起きるのである。

   曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 
   水脈の果炎天の墓碑を置きて去る

指名を受けて立ち上がった筆者が『少年』を掲げながら以上のようなことを喋り始めると、大広間に居並ぶ人々の間から「おおっ」という嘆声が漏れた。嘗て宇多喜代子氏が子規の妹・正岡律愛用の前掛けを手に取って実見した経験を語るのを聞いたことがある。幾度も接ぎを当て、丁寧に破れを綴って使い込んだ前掛けは律という女性の人柄・人生を何よりも雄弁に物語っていたという。そのとき宇多氏は「現物の力」「実物の迫力」を力説したのだが、『少年』初版本のインパクトも同工異曲といってよい。俳句道場で同座した「海程」諸兄諸姉は、「兜太先生の第一句集を持ってきたあの人」として筆者を記憶することになるのであろう。

さて、以下、俳句道場の句会風景スケッチである。

会場は養浩亭の2階。コの字型に並べた長机の囲む空間に更にスクール形式で隙間なく席を配し、50名以上が一堂に会する。遠く会津若松や四日市などからの参加者もいる。筆者はこの人数にまず圧倒された。普段10名未満のこじんまりした句会しか知らないからである。以下余談だが、今までで唯一の例外は10数年前に潜入した「ホトトギス」芦屋句会。稲畑汀子主宰が取り仕切る句座には150名が集い、600句から10句を選ぶという桁外れのマス句会であった。

さて、投句、選句が終わり、入選句の合評が始まる。合評の最中、兜太主宰は腕組みをしてやや上を向き、目をつぶって人々の発言を聴いている。一見眠っているかのようにも見える。しかし、面白い感想や剴切な批評が出ると、目をつぶったまま微かな笑みを浮かべるのである。莞爾というには淡きに過ぎる。苦笑でもない。失笑でもない。勿論、憫笑でもない。微苦笑とも違う。敢えて言えば、クラシック音楽好きの五百羅漢がお気に入りの旋律に出会って思わずほほ笑むような、いかにも心地よさそうな表情なのである。そのとき、兜太脳の中では一体どんなシナプス結合が生じ、どんな形象やクオリアが現前しているのであろうか。いたく興味をそそられた。

そして、いよいよ入選句や問題句に対する兜太主宰の講評である。ここでは紙数の都合もあるため、一々の作品を例示することは避けるが、主宰コメントを以下ランダムに書き連ねてみる。以ていわゆる兜太節とその場の空気の一端を感じて頂ければ幸いである。

「中七以降は回りくどいが、上五の花だいこんの景で救われている」 
「上五の春や上流は気取っていて駄目。それ以外も作りものだ。うまく作ったなというだけ」 
「若干異常な感じがいい。ペーソスがいい」 
「この句には後ろめたさがある。何か運命を背負っている感じがする」 
「こういう句は月並俳句。王朝風と思うのは馬鹿げた話だ。江戸末期の小理屈の現代版だ」 
「山茱萸の群がりを母港ととらえたのがいい」 
「採ってから、しまった、と思った句。下五は食わせものの感じ」 
「何かのために家族団欒の外にいる母。寂しげな母とそれを見やる家族」 
「古代獣の名前とは知らずに採ってしまった。咬んだ痕が貝の化石に残っているとの着目が面白い句」 
「今日の中では一番好きな句。金子好みの句だな」 
「霜くすべが背景。立っているのが父であろうかというのがいい」 
「梟の逢瀬。羽音が聞こえることもあるだろう。フィクションも認める。自分も梟も湯冷めするなというのが上手だ」 
「天にのぞんでゆく鷹のホバリングと受け取った。哀愁が漂う」 
「しぶしぶ頂いた。とらえ方が甘い」 
「甘ったれるな」 
「中七はよく作った句という感じ。下五は説得力がある。上五の百千鳥という季語が救いだ」 
「妙に弾んでいる作者を見る感じ。これから花を見る心の軽やかな弾み」 
「致死量のエゴは面白い。ここにいる人は大体エゴの塊。なかなか洒脱で、案外うまい」 
「歓喜という表現。こう思い切ったので我慢できる。まあまあだな」 
「何だか知らないけれど頂いた句。魔力を持つ句。前衛=始原の眼を持つという前衛賛歌だ」 
「上五のやみくもには一寸くでえ。寄居ははぐれ駅。自分が秩父の入口に来て迷ってしまったんだな」 
「津波のようには必然性を感じた。震災忌という言葉は評価がいろいろあるが、この句は今までにない使い方だ」 
「しゃべる男聞いてるをとこ。このとらえ方には興味がある。好感は持つが、情景はマンネリ。自分も何遍も何遍も作ってきた。陳腐だが何となくいいね」 
「下五の笑みゆがめはちょっとまずい。わざとらしい」 
「旅芸人の流浪。流浪は好きだ」 
「全く普通の句。これを問題句にした人が多いのが問題。私がオギャーといったときから作っている、珍しくも何ともない句だ」 
「下五の桜咲くは全く駄目。俗に落ちた」 
「デリカシーに惚れた。繊細さがいい」 
「うまい」 
「目薬もまたとあるが、またを探す人は駄目」 
「擬音の使い方がデリケートでうまい。感心した」 
「上五が作り過ぎ。中七以降も劇を仕組み過ぎる」 
「説明を聞いて驚いた。こりゃ只事の俳句。作品でも何でもない。全く興味がない」 
「中七の、力を抜いて、は余分」 
「上五の幽愁のは食わせもの」 
「口語調自由律の書き方だ」 
「耳つむるとは事柄を書いたにとどまっている。季語が要る」 
「淡々と書いて小味。吟行だからいい」 
「句の中の批評が当たりまえ過ぎる。走りの句」 
「ニューギニアで苦労した伯父さんの句に飛びついた。下五の空が流れるは甘い」 
「日本の便座は成功した句。季語一発、選び方がうまい」 
「言わなければわからぬは今の実感。時勢を反映している」 
「一寸分かりにくいが分かる。手の込んだ句」 
「現代人の実感だが、下五の初つばめが弱い」 
「始祖鳥と花種蒔くは似たモチーフ。洒落た人だ」 
「これはいい句ですな。詩篇のようには思い切った喩え」 
「中七以降の磐井俳論確と聞く。全くこういう気分だ」 
「武器を平気で売るやつがいる。これは私がすぐ飛びつく句」

ちなみに筆者の「無意識の底うらがへる夜の蝌蚪」という句は正選4点、問題句4点を頂いたのだが、主宰選には入らず、こんな風に評された。
「敢えていうと全く興味がないな。句としてはよく出来ているが」
なるほど。剣術に譬えるなら、竹刀を構えて蹲踞した途端に尻餅をついてそのまま退場といったところであろうか。

 最後に2日目のゲスト講演について触れておこう。

講演では関悦史氏が古沢太穂の作品に即して社会性俳句を論じたのに続き、筑紫磐井氏が「『海程』の未来」と題し、1)「海程」の自己評価、2)詩学・史観の構造、3)兜太への関心、4)私の見る「海程」の未来、について語った。後者は結果的にかなり思い切った提案を含むものであったことを付け加えたおく。その内容はいずれ世に明らかになると思うが、講演終了後、兜太主宰がその提案について述べた言葉を取り急ぎ引用してこの稿の結びとする。長文にお付き合い頂き、感謝申し上げる。


「「海程」を総合誌的企画を吸収できる雑誌にして、一段高い所に置きたい。」(兜太)






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