◆なりたての独居老人日向ぼこ (倉敷市)森川忠信
金子兜太の選である。評には「森川氏。「なりたて」がユニーク。」と記されている。「独居老人」の句はネガティヴな意味合いの句意になることが多いと考えるし、実際に目にする句にはネガティヴな内容からマイナス志向までの領域内にあることがほとんどだ。それに対して掲句の発信しているメッセージは、極めてポジティヴだ。季題の「日向ぼこ」のなせる業である。掲句の場合、実際に作者自身が「独居老人」なのかどうかは不明だし、作者以外の人物を叙しているのかも知れない。そしてその描かれている老人の心境は全く別問題だが、句としてはポジティヴな意味合いの表出である。俳句にはその力があるということであろう。実際に存ることを実際に存ることとして表現するだけでなく、無いことを存ると言ったり、無いことを無いと言ったり、存ることを無いと言ったりする力である。虚構でも嘘でもなく、「芸術上の真」と開き直るつもりではないのだが、まさしく「芸術の力」なのである。サイエンスでは存ることを存るということしか出来ないのであるが。従ってサイエンスの議論の中で芸術を把握することが出来る場合は極めて限られている。
◆ひたむきな手話の別れや春寒し (名古屋市)坂井巴
金子兜太の選である。この景の中では、決して饒舌にならない会話がなされている。手話も言語話も会話として同価値であり、人間の情感の表し方が何ら変わらないことを宣言しているように読める。
◆死してなほ国に帰れず春一番 (船橋市)村田敏行
長谷川櫂の選である。七十年昔の事のようにも読めるし、つい最近の事のようにも読める。そのくらいこのような災悲は人類の歴史の中で繰り返されてきたということであろう。季題「春一番」の訴える力が強烈である。他の長谷川櫂の選に「神の名の殺戮やまず冴返る」(朝田冬舟)がある。
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