のっけから句集最後の句を引く。
混沌はわたしの証し春の泥
水岩さんは自らこの句集を混沌と結ぶ。伝えたいことが溢れるゆえの字余り、破調をものともしない。わけても戦争について調べ、社会の教師として教壇に立つことで、伝えねばならないと思う信条と、学んできた俳句的心情がぶつかる。その混在がカオス状態を引き起こしている。それは自身で格闘した第一句集ならではの面白さでもある。
またポトフと言われてもまたポトフ
恋猫やとにかく好きにわけもなし
はげましてはげまされゐるおでんかな
自分より先にメロンの届きたる
とんとんと二階の夫に御慶かな
裸子と裸の夫の間にゐる
このような家庭の風景に佳句がたくさんある。
なんでもない日常のアッと驚く新鮮な切り口、且つユーモアのある俳句たちだ。「ポトフ」は洋風の煮込み料理。働く主婦には有難い。簡単でかつ栄養満点、困った時のポトフなのだ。上5下5のリフレイン、ポトフという空気の抜けるような名前に、家族の嘆息が聞こえそうでなんだか可笑しい。
片や和風の「おでん」は家族でつついたり、呑み屋で同僚と飲みながらというパターンが多い。今日の失敗を励ましたり励まされたりは「おでん」に限る。また、がんもどきやこんにゃくが、高級な肉や魚になれないのを、励まし合ってるようにも思えて愉快。
カーテン替へて初夏をわたくし薔薇模様
句集の題になった句。新しいカーテンに変えただけで、いつもの部屋が違う部屋になり、自分も少しのあいだ非日常的気分になる。
わたくしという、少し気取った表現が下5によく響く。
水岩さんも『薔薇模様』を出版して新しい模様のあなたが生まれた。
今年また旬の桜と旬の吾
円かなる月の単純愛すかな
絢爛で気持ちよくなる二句。盛りの桜と自分を並べる、この健やかさ。とんがって素敵なモノも人間もたくさんいるが、やすらぎという点では円かなるものに勝るもの無しだ。「愛すかな」も、私は一句集に一句くらいあってもいいと思う。水岩さんを知るための句として、まろ〳〵と佳き句。まだお会いしたことはないが、成熟したステキな女性を思う。
これら日常詠の佳句からは、私淑する池田澄子さんから受けとるものを、しっかりキャッチしているように思える。
餡パン食べながら少年泣く冬野
三鬼の算術少年はしのび泣いた。水岩さんの餡パン少年は餡パン食べながら泣いた。大口をあけて泣く口の中で、餡パンがぐちゃぐちゃになっている。飲み込んだときの一瞬の泣き止み、また泣く、少年の原始的な生命力を感じます。冬野という大いなるものに抱かれた生命力は、三鬼の少年には無い強さを思わせて大好きな句だ。破調も生きていて、普段は天真爛漫な少年が見えてくる。
俳聖にされし翁を思ふ秋
秋暑し聖に俗ありいびきの図
水岩さんの戦争への想いから、亡くなって「英霊」にされた青年が、頭を掠める。英霊なんかになりたくなかったー。
芭蕉も俳聖なんて言われたくなかったのじゃないか。俳聖と言われることで派生する、出来上がったステレオタイプな人物像は、はなはだ迷惑かもしれない。そして俳聖のなかの俗を喜ぶ作者の確かな目。その目で戦争や信条に、真面目に向き合おうとして混沌がはじまる。
戦争はいつも気を付け!いつも夏
ざわめけるポプラの下のヒロシマ忌
十二月八日愚かなる日と記憶せよ
七夕や盧溝橋事件むかしあり
卓袱台に大学ノート敗戦日
憲法記念日風につぶての混じりける
ゴーヤチャンプル旨し選択の自由は尊し
前二句の「いつも気を付け!」「ヒロシマ忌」などは詩として昇華しているが、あとは教師として生徒に伝えなければという情熱が先走った感ありだ。たった575で、自身に記憶の無い戦争を伝えることの難しさを思う。しかしそれは伝えていかなければならない。そのジレンマという点ではよく伝わってくる。それはもう水岩さんの一生の課題でもあるだろう。
あれもしてこれもするなり嗚呼夏休み
どろどろのマグマの上のかたき冬
夏休みは家族と過ごす他に自身の課題研究も俳句もあり、溜息がでるほど、したいことが溜まっているだろう。そんなことを積み重ねながら、また第二句集へと熱いマグマを溜めていって欲しい。
【執筆者紹介】
- 火箱ひろ(「船団」・同人誌「瓔」代表)
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