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2014年5月16日金曜日

第70 号 (2014.05.16 .) あとがき

北川美美
  10万アクセスを突破しました。

右側のリンクリストに「豈weekly」「俳句樹」を加えました。今もアクセスが日々あるサイトです。読み応えある文章に出会えます。

観光庁推進の「観光立国推進基本計画」が成功しているようですが、特に東京が観光客で賑わっているらしく、日本各地の中で一番ホテルが取れにくいのが東京なのだそうです。桜が咲いてから全くホテルの空きがなくなってきました。こうなると、地元にとどまって地域に還元するということになり、なんだか国の方針に従わざる負えない状況が悔しい気がしますが、それもそれでいいことなのかもしれません。

俳句には吟行がつきものですが、そういう意味では<俳句>は多少なりとも「観光立国推進基本計画」に貢献している文化といえましょうか。



筑紫磐井

○(「現代俳句を読む」を承けて)では若い後継者がいればハッピーなのか。後継者を用意した結社であっても、前主宰がいつ引退するか、後継者がいつ就任するかの時期は微妙である。前主宰者は高齢となりながらまだまだ元気なためになかなかやめることがないし、後継者は早く就任しなければ志を達成することが出来ない。分裂したりすれば、若い後継者がいることが不幸の原因になったことになる。しかし一方で、ひょっとすると、後継者が前主宰者より先に逝ってしまうことさえあるかも知れない。

最近の流行は、こうしたとき(前主宰者はやめたくない、後継者は速く自分の権威を確立したいという状況の生まれたとき)のために前主宰者が引退しても選句欄を持つとか、後継者の選句に関与するとか中途半端な状態がふえてきている。前主宰者と後継者の関係ではないが、最も進んでいるのは、二人の主宰をおいてしまうと言う方式であり、「知音」「枻」などがそれである。これも生活の知恵であろう。

○冗談のようだが、いっそ好きなだけ選者が並び、選句が行われるようにしてしまえばいいのかも知れない。短歌ではこうした方式がむしろ一般的である。「アララギ」は、斎藤茂吉選と土屋文明選が平行してあった(現在でも、俳句大会では複数選が行われているが、それでも最後は大会賞という唯一賞に絞り込んでいる)。こうしたことの意味を考えると、唯一者の選と複数選とは何なのかという疑問が湧く。「選」の意味さえ俳句と短歌では違うようである。それは俳句において選は共有出来ないものという大前提があるからだろうか。


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