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(デザイン/レイアウト:小津夜景)
忘我の棲み家で 小津夜景
……あのね。昔、あなたが話してくれた『北回帰線』なんだけど。実は私も読んでみたの。とても酷い話だつた。
……主人公の男は自称無頼派。娼婦を放蕩のシンボルとしてやたら持ち上げて、彼女たちに一介の女陰になりきれだの、男根の『仮の家』になれだの要求するの。でも彼、娼婦が文学の話をすると『ただの女陰のくせに。興ざめだ』なんて凄いこと言ふわりに、ただの男根のくせに作家になりたがる自分には最後まで呆れも照れもしない。これつて『家』から自立する気のない男の精神構造よね。
……あと結末も変。パリの自由に耐へきれず家族のゐるアメリカへ戻つてしまつた友を想ひながら、自分は祖国といふ『家』に帰りたいかと主人公が自問するでせう? あそこで彼、セーヌ河の夕陽を眺めながら『国の女房はどうしてるかな』と考へるのよ。無頼派なのに。
……言ふこと為すこと生のラヂカリズムの反対で、つましい火遊びへの退散か、単なるずぼらの居直り。『ゴミであることへの情熱』つてのがどういふものか、全然わかつてない。道徳をこき下ろすくせに、家族にはそれを期待して毎日アメリカン・エキスプレスに通ひつめてる彼が『実は送金など期待してない』と嘯くシーンなんて最高に茶番だわ。
……え。ううん違ふ。待つて、さうぢやないの。ちよつと突つかかつてみただけ。だつてあなたが『家』といふ言葉をあんまり理不尽に使ふから。
……私の言ひたかつたことはね、あなたはずつとこの家にゐたらいいつてこと。なまくら趣味でいきませうよ。それこそゴミのやうに。食べて、眠つて、もうどこにもいかないで、そして……
誤字となるすんでの水を抱き寄せぬ
なき腕のさうでもなげな画集かな
食らふのである故を問ふ銀耳を
車ごとヌガーの夜にのめりこむ
《世界嫌ひ》のトポスと聞くぞ此処で跳べ
忘我ゆゑわれらは空き家ボローニャ風
茶葉煮ゆる日よ空耳とはぐれさう
もしも夜のノイズが言語だつたなら
雨だれのところどころの黙秘かな
鼓膜からなにもでてこぬあさぼらけ
【略歴】
- 小津夜景(おづ・やけい)
1973生れ。無所属。
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