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2013年12月13日金曜日

文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む23~社会性俳句総括①~】/筑紫磐井

「揺れる日本」を読んで、社会性俳句と社会性俳句以前の戦後俳句を通覧することができた。ごく当たり前のことなのであるが、戦後有名無名の多くの俳人(ホトトギスも含めて)は花鳥諷詠以外の社会的事件を丹念に俳句に詠んでいた。社会的事件を、小説家が小説に書くように、詩人が詩に書くように、歌人が短歌に読むように、俳人も俳句に詠んでいた。そこには何のタブーもなかった。
特に俳句の場合、それ自身一種の日記のような役割を果たしているのだから、日記に書いていけないことなどはないのである(その意味で、虚子の「俳日記」は厳密な「俳句による日記」ではない。「句会(ほとんど題詠)における自詠作品の記録」である)。

例えば、もっとも典型的な例が、何年何月何日にどのような事件があったと言うことが判明する俳句がそうであろう。

現代でも多くの俳人が自分の身内や知り合いの事件(多くは逝去。時に祝賀なども)を前書きにつけて俳句を詠むが、我々読者はそんな個人的な事情にほとんど関心がない。この時代は、その前書きに相当する事件を社会的な事件にまで拡大し、かつ、前書きをつけないで詠んでいたと言うことになる。それだけ、俳人たちにとって共感性のあるものであった。

【木犀号遭難】
木星号遭難す鯖焼きをれば 青玄 27・6 日野晏子
※「木星号」は「木犀号」の誤り。

【太宰治死す】
妻と粥啜りあげつらふ太宰の死 暖流 23・8 島津次郎
【横光利一死】
死面描けるわづかの線の寒かりき 惜命 石田波郷
【久米正雄死す】
久米氏逝くと妻に告げたるあと咳こむ 青玄 27・5 日野草城
【茂吉死す】
啓蟄の蒼天のこる茂吉は亡し 寒雷 28・4 加藤楸邨
【ガンジー死す】
冬の星高さは距離かガンジー死す 寒雷23・5 秋山牧車
【近衛氏自殺】
近衛家へ悔み使僧や門時雨 ホトトギス 21・3 下村快雨
【スターリン死】
友ら護岸の岸組む午前スターリン死す 俳句研究 28・5 佐藤鬼房
【女王戴冠】
女王戴冠蛙の国のことでなし 俳句28・8 島田洋一
【松川事件】
滾る銀河よ真実獄へ想ひ馳す 俳句 29・4 佐藤鬼房
【燃ゆるバス】
火だるまのバスに鵙鳴き猛りけり 曲水 27・2 大塚鶯谷楼
それがさらに日常的な題に拡張してもそうした共感が寄りそう。社会性にあって、日常の事実は決して本質が変わることはなかった。

【新薬】
飛機が撒くD・D・Tカンカン帽を手に 鼎 青池秀二 
D・D・T乳色の空やや冷ゆる 寒雷 23・3 吉利正風 
D・D・Tの広告塔や灯取虫 ホトトギス 25・1 上田南峯 
ストマイどんどん打つてやりたいじつとり盗汗 道標 27・2/3 岩沢道子 
ペニシリンに妻よ肺炎の吾子託せ 浜 27・6 川島彷徨子 
結核に新薬土用芽吹きけり 浜 27・10 森遊亭 
ツベルクリンの反応赤く秋始じまる 氷原帯 27・11 藤島孤葉 
パスをのむ声がかすれて秋の風 雲母 28・1 山岸墨綿子 
勤めより戻りてはパスを飲みて冬 浜 28・1 森田豆子 
新薬を飲む指冷えの夕焼か 浜 28・3 沖原比沙子 
ストマイに額縮まるや雪に雨 氷原帯 27・3 関根花右門 
寒雷に飲む真白きヒドラジッド 風 29・5  細見幸子 
マイシンを射たる一叢の風ひかる 麦 29・6 山崎誠之助

だからこれらを麗々しく「社会性俳句」と呼ぶ必要もなかった。しいて彼らの共通認識に当たるものを言えば、「俳句は現代を詠むものである」ということであり、その主張に、石田波郷も、中村草田男も、加藤楸邨も、金子兜太も、能村登四郎も、飯田龍太も、草間時彦も何ら異論はなかったところである(私はこれらを、桑原武夫の「第2芸術」論に対する反応であったと考えている。実に昭和20年代は「現代俳句」の時代だったのである。石田波郷編集の戦後最初の総合誌「現代俳句」の創刊、現代俳句協会の発足、山本健吉の名著『現代俳句』の刊行等々)。戦前には「現代俳句」は使われてはいたものの余り一般的ではなかった。また、昭和40年代以降の、龍太の時代・伝統俳句の時代には「現代俳句」はくすんでいったのである)。

では、戦後の現代俳句と異なる「社会性俳句」とは何であったか。「社会性俳句」とは「花鳥諷詠俳句」に対抗するプロパガンダであった。ホトトギスなどの古い勢力を駆逐し、人間探究派や新興俳句を巻き込んだ国民共同戦線として意識されたのが「社会性俳句」であった。「社会性俳句」は極めて政治的な主張であったのである。

ただ私はあまりこの政治的な主張には関心がない。むしろ、延々と「揺れる日本」を読むことで確認したいと思ったのは、戦後俳句における「現代俳句」の意識である。そうした意味での社会性俳句についてここで考えてみたいと思ったのである。従って、「社会性俳句論争」はともすれば政治論争になっていたから(全部がそうだとは言わないが、現在それを峻別して論議を整理する余力も気力もないので、とりあえず社会性俳句論争は戦後の膨大な玉石混交の山の中に埋めたままにしておきたい)、ここではふれない。そうではない社会性俳句についてその特徴を考えてみたいと思うのである。



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