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2013年11月8日金曜日

【戦後アンケート】テレビ・レコード・文庫本・4 /山田耕司、太田うさぎ、杉山久子、三宅やよい、上田信治、柴田千昌、中山奈々、筑紫磐井


Q1.私(あるいは我が家)が初めて見たテレビ番組は?
Q2.私が初めて買ったレコード(あるいはCD)は?
Q3.私が初めて買った文庫本(新書でも本一般でも結構です)は?



  • 山田耕司

A1.
生まれた時からテレビがあったので、何が最初の番組だったのかは記憶にナシ。
A2.
「かもめが翔んだ日」 渡辺真知子
A3.
『アフリカの爆弾』 筒井康隆



  • 太田うさぎ

A1.
最初の記憶としてあるのはNHK大河の「天と地と」、風林火山の幟がはためく景色。好きと意識して見ていたのは「ゲバゲバ九十分」。「人形佐七捕物帳」のテーマ音楽を怖がって泣いていたらしいが全く記憶なし。
A2.
正確には親に買って貰ったのだけれど、ビートルズのベスト盤の青い方、つまり後半。中学入学するかしないかの頃。赤ジャケ、青ジャケと迷っていたら店員さんが青を勧めてくれた。赤も青もねだる、という選択もあったのに。その後自分のお小遣いで買ったのも暫くはビートルズ。
A3.
星新一かなあ・・・。クラスで回し読みしたような。手元にある最も古い文庫本はアーサー・C・クラークの『地球幼年期の終り』(創元推理文庫 1976年14版 ¥280)


  • 杉山久子
2のみお答えします。

A2.
私が初めて買ったレコード(あるいはCD)は?
初めて買ったレコード:イルカの「なごり雪」 ジャケットのイルカと今のイルカがそう変わりないのが怖い。



  • 三宅やよい

A1.
明確に見た記憶があるのは
日曜日の7時半からやっていた「ポパイ」
番組が終わって「週刊新潮は明日発売です」と言う声を
ふすま越しに聞きながら蒲団に入った。
A3.
ヘルマンヘッセの『車輪の下』
町の本屋で文庫本を買って帰るたび「家にある」と父親に怒られた。
父は「小説なんか読んでも何の役にも立たない」
が口癖だったのに小説を始めとする役に立たない本を
山ほど残して亡くなった。


  • 上田信治(1961年生れ)

A1.
もの心ついたときからテレビが家にあったので、記憶にはないですが、日曜夜7時台の「ポパイ」(オバQの前番組)に夢中だったと、家族からききました。
A2.
親に頼んで家にはじめてステレオセットが導入された時(たしか1977年)、小遣いでピンクフロイドのファーストとセカンドが2枚組になったものを買いました。
A3.
角川文庫「O・ヘンリー短編集」。小学6年くらいだったかなあ、100円台で本が買えるということを知って驚喜しました。



  • 柴田千晶

A1.
初めてテレビがわが家にきた日の記憶はありませんが、私が初めて見たテレビ番組は「狼少年ケン」「エイトマン」あたりかと思います。 
鮮明に覚えている番組はもう少し後の「悪魔くん」で、夜、悪魔くんが何体ものマネキンに襲われるシーンがあって、あれがものすごく怖かった。
A2.
これははっきり覚えていて、お小遣いをためて北原ミレイの「懺悔の値打ちもない」を買いました。歌番組でこの歌を初めて聴いたときにふるえました。私は10歳だったけれど、早く大人になってこんなあぶなけな世界を知りたいと思いました。もしかしたらこの頃から犯罪に走ってしまう女性に興味を持っていたのかもしれません。ドラマ性のある詩を書きたいと思ったきっかけの歌でもあります。
A3.
初めて買ってもらった本はアンデルセンの「人魚姫」ですが、自分で買った本となると記憶が曖昧です。別役実の「淋しいおさかな」(1973刊)だったかもしれません。当時、NHKの「おはなしこんにちは」で女優の田島令子がこの本の朗読をしていました。それがすごくよくて。田島令子、朗読の最後にいつも泣いちゃうんです。私もテレビの前で泣いていました。小学生のころは童話作家になりたいと思っていました。別役実にあこがれて何本か書いたのですが、でもどこにも救いのない話しか書けなくて、自分にはむいていないとわかりすぐに挫折しました。




  • 中山奈々

A1.
私が見たのはNHKの教育テレビだと思います。「お母さんといっしょ」あたり。
A2.
「だんご三兄弟」だったような。
A3.
初めて買った本は小学生向けの歴史の本でした。これがきっかけで大学院も歴史を専攻しましたが、趣味ぐらいがいいかもしれません。



  • 筑紫磐井

A1..
テレビがわが家に入ったのは昭和31、2年頃であったように思うが定かではない。
これ以前は、豊島公会堂の前で街頭テレビが設置され、プロレスの試合に多くの大人たちが群がっていたのを見たような記憶があるが、これもわが家に入る前であったかあとであったか定かでない。
最初のテレビ番組は「轟先生」など新聞の人気4コマ漫画をドラマにした程度の番組であったように思う。10分、15分という短い番組も多かった。
そうした中で感心したのは「日真名(ひまな)氏飛び出す」という連続推理ドラマで、久松保夫(「ララミー牧場」のロバート・フラーの吹き替えで一世を風靡するのはその後である)の探偵日真名進介とカメラマンで助手の泡手大作(高原駿雄)のコンビで難事件を解決するが、洒落た会話のやりとりに、テーマソングがまた素晴らしかった。 
    *    * 
一方、親が夢中になっていたのはアメリカの「ハイウェイ・パトロール」で、名優ブロドリック・クロフォードの扮するダン隊長が率いるハイウェイ・パトロールの活躍を描いたものであるが、英語の科白に吹き替えの字幕は小学生低学年にはいささか難しかった。しかしアメリカそのままの音声は妙に生々しく印象に残っている。これも、テーマソングが素晴らしかった。 
[参考]
1941年に世界で初めてNBC・CBSがテレビ放送を始めたという。CBS「エドサリバンショー」(1948年)「アイ・ラブ・ルーシー」(1951年)、後発のABC「ローンレンジャー」(1949年)などが草創期の番組。「ハイウェイ・パトロール」もかなり早かった。日本では、1953年(昭和28年)2月にNHK、8月に日本テレビが放送を開始。
A2.
大学に入り、ステレオアンプを親が買ってくれた。そのころ家にあるのは、マヒナスターズとかビリーボーンとかいったところ。何か自分でレコードを選ばないといけないと思い、高田馬場のムトウ楽器店(懐かしいなあ。今年4月に閉店)に行き選んだのが、ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮のウィーン・フィルのベートベン交響曲第8。学校から帰ると、これをかけ、横になり目が覚めるとレコードは止まっていた(オートリターンが自慢だった)。なんでこんなものを選んだのか訳がわからないが、あとから聞くとイッセルシュテットの稀に見る名演奏であったらしく今も語り草となっているという。今もってこの曲、この演奏を聴くと夢路はるか。




A3.
怪しげな弁護士の書いた画期的な記憶術の奥義書「早く覚えて忘れぬ法 記憶術の実際」(渡辺剛彰著・主婦の友社刊・新書版160円)。「私は父の創始になるこの術のおかげで、畑違いの英文科から1ヶ月の勉強で司法試験に合格、その後NHK「私の秘密」に出演し、短文20、単語35、数字46桁をスラスラ記憶し再現する」、というキャッチフレーズに惹かれて買ったもの。確かにやってみるといくらでもスラスラ記憶出来るのは不思議であった。 
買わなかった、つまりただで手に入れた文庫本は小学校3年生の時に祖母の家から持って帰った岩波文庫『ジャングル・ブック』(中村為治訳昭和17年40銭)。文語・旧字・旧仮名・ルビびっしりの暗号のような本を解読してみた。「鳶(とんび)のチルは塒(ねぐら)に帰り、蝙蝠(かうもり)マングは飛んで出る、牛群(うし)は牛舎(ぎゅうしゃ)や小屋(こや)に入れらる、我等夜明(あさ)まで放(はな)たる故に」。現在、多少文語に困らない理由はこのジャングル・ブックのお蔭である。

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