・「秋興帖 第二」です。また今号は本領の「戦後俳句を読む」のに多くの投稿がありました。
・最近購入した本を紹介。
「夜露死苦現代詩」(都筑響一/ ちくま書房)。タイトル買いです。ギリギリのところで生きているようなギリギリの都市が見えてくるような言葉からの景観。「新潮」に連載されたもの。都築氏の「TOKYO STYLE」がすでに10年前の刊行とは時の経過を実感します。
第4章「池袋母子餓死日記」第5章「死刑囚の俳句」、第7章「32種類の『夢は夜ひらく』」などなど大衆の中の言葉、大衆と言葉についての数々。中でも「死刑囚の俳句」にはかなりの衝撃。「布団たたみ/雑巾しぼり/別れとす」「抱かれると/思う仏の/膝寒し」などなど死刑囚という作者情報があってのものですが衝撃的な句の数々です。また死刑囚の句会を開いていた「北山河」(「大樹」主幹)のことも紹介されています。
それと、「夢は夜ひらく」の歌詞が32ものバージョンがあり、全て掲載されています。なので「圭子の」と前に付いたのですね。作詞は、メロディが先行され、その後に言葉を載せていく手法がとれられると聞きますが、シンガーソングライター出現後の音楽をやる人に聴くと、人それぞれで、メロディと歌が同時という人も。
そういえば黛まどかさんが、現在、校歌、応援歌、広告としての俳句(Dior)などを数多く手掛けている記事をみました。俳句にとどまらず、歌を詠むことが主眼なのでしょう。今年の春にオペラ『万葉集』の台本も手掛けた記録をみました。
「夜露死苦」から「黛まどか」までちょっと大衆と俳句、大衆と言葉ということを考えていました。
筑紫磐井
○本来前号に書くべきであったが、俳句作品欄に掲げた「ほたる通信 Ⅱ」は、2012年8月からはじまった葉書一枚の個人誌である。毎回数句と短いエッセイを掲載した、洒落た読みものである。今回、同じ誌面を「BLOG俳句空間」で提供するので臨時増刊号を発行してもらえないかとお願いしたところ快諾していただいた。出来れば今後も継続していただきたいと思っている。
以前、弘栄堂版「俳句空間」第20号で、攝津らを中心に「広がるネット・いま、同人誌」特集を組んだ。個性のある同人誌・個人誌を紹介し、豈、未定、連衆、雷魚、騎、船団など伝説の同人誌が勢揃いしたが、そのなかで山内将史の「俳句通信 山猫」(ほたる通信同様、葉書一枚の通信)はA5版の1頁をそのまま使って「俳句通信 山猫第9号」に充ててしまったのだ。山内氏によれば「誌面ジャック」だそうである。紹介欄が雑誌そのものであると言うことは――これくらいまちがいのない紹介はないのであって、「俳句空間」らしい企画となったと思う。そんな紹介をどこかでしてみたいと思っていたところに、ふけとしこさんに依頼する機会が出来たのでお願いしたものである。「ほたる通信 Ⅱ」だけではなくて、他のミニ雑誌ついてもやってみたいと思っている。ご相談いただければ有難い。
○この夏忙しかったので、世間のニュースには疎くなっていたが、先日ふとしたきっかけで、ディアナ・ダービンが今年の4月になくなっていたという記事を見つけ、ちょっとした衝撃だった。ファンクラブの雑誌に息子が発表したのだと言うが、引退後60年してもまだファンクラブが残っていたというのも驚異である。
ディアナ・ダービンは戦前から戦後にかけての子役として世界で最も有名な少女だった。ファンにはチャーチルからムッソリーニまで、敵味方なく愛されていた。『アンネの日記』のアンネ・フランクの住まいにはディアナのブロマイドがはってあったと聞いたことがあるから、この薄幸の少女が憧れていた大スターであったわけだ。
同い年のジュディー・ガーランドと子役としてMGMでデビューし、「子役は二人も要らない、太った方を辞めさせろ」という重役の一言で馘首になった(名誉のために言っておくが彼女は多少ぽっちゃりとしてはいるが決して太ってはいない。何とも身につまされる話である)が、ユニバーサル・スタジオが採用するところとなり、『オーケストラの少女』以後、USのドル箱スターとなった。筋書きと関係なく突然歌い出す映画が多く(というよりは彼女に歌い出させるために、ストーリーが作られていたというべきか)現在そう高くは評価されていないようだが、しかしその歌声は、―――歌手としてではなく、女優の歌としては別格でありアメリカ中の家庭を夢中にさせていた女優だった。家族揃って見ることの出来る健全な映画こそが彼女の特徴であった。
出た映画はあまり評価が高くないといったが、ディアナの映画のさわりは歌の部分にあったから、映画全編を見る必要はないわけで、2~5分程度の彼女の歌う映像は、Youtube時代にはぴったりの画像であり、今それらをたくさん見ることが出来る。21世紀に生きている幸福と言うべきか。やはりそれは時代を築いた素晴らしいものである。
私の好きなのは14歳でUSで初めて出演した映画『天使の花園』の中で歌った「イル・バチオ(接吻)」で、この曲がかつてこんな可憐に歌われているのを聞いた記憶がない。確かに映画史に残る女優であった。
かわいらしい容姿にもかかわらず意志の強い人で、1950年に決然と引退してからは数十年間一切外部と接触はしなかった。引退後の映像は一切残さず、美しいイメージだけで逝ったのである(1921~2013年、91歳)。
ディアナというとジョーン・フォンテーンを思い出してしまう。高齢の女優たちだからだ。オリヴィア・デ・ハヴィランドと姉妹でアカデミー賞を取っているが、日本人にはジョーンの方が親しいだろう。『レベッカ』『断崖』で親しんでいると言うだけではなく、東京虎ノ門でうまれ、聖心女子学院に通っていたからである。私はどちらかというと『忘れじの面影』が気に入っているがこれは人の趣味によるであろう。ジョーンは1817年生まれ(現在95歳)で、ディアナより年上なのである。姉(現在97歳)は現在でもしばしば公の場に登場しているが、ジョーンは老人施設で外部とは接触しないで静かに暮らしているという。ディアナと似ているようである。
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