【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2013年5月10日金曜日

文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む②~薬と性】/筑紫磐井

【覚醒剤】

覚醒剤飲むやリンゴの艶深む 浜 25・6 徳広春夫

【モルヒネ】

ながき冬の愚悶モルヒネめく飛雪 氷原帯 27・5 初具覚
【ヒロポン[麻薬]】

冬木道ヒロポン射ちし肌光り 浜 28・4 佐藤母枝 
暖雨の夜麻薬たのみの肌ゆるぶ 浜 28・5 増田胡桃 
ヒロポンの腕や寒むざむぬんすみ見る 石楠 29・4 角田不説 
ヒロポンにすがる青春花曇り 雲母 29・6 山口大洋

※覚醒剤の一種であるメタンフェタミンの商品名。戦争中から軍隊などで疲労倦怠感を除く目的で使用され、戦後も一般に市販されていた。副作用が明らかになり中毒症状が社会問題化するに伴い、昭和24年から製造禁止された。特に流行作家や、芸人、学生の使用が激しかった。

【モンローの姿態】

モンローの姿態いやらし寒の紅 暖流 29・4 服部銀星

【女体】

新雪積む女体埋もれ易くして 俳句 29・5 三橋鷹女 
炎昼の女体ふかさははかられず 野哭 加藤楸邨 
緋のカンナ夜の女体とひらひらす 明日 富永寒四郎
【裸婦】

寒燈や明暗濃くす裸婦の像 石楠 26・3 吉田不二三 
裸婦写す女なべても秋風裡 曲水 27・11 渡辺桂子 
秋風や裸婦爛漫と横たわり 曲水 27・11 渡辺桂子
【ヌード】
ヌード展出て晩夏の真赤な昼 俳句 27・11 中田光句 
咳こんでヌードの健康妬みゐし 万緑 29・1 舘夏男 
雪光享けヌード足より輝き出す 氷原帯 同 菊地瓢馬
【ストリップ】

嘆くをやめかの裸レヴューなど見るとせむ 俳句研究 24・7 安住敦 
森の落日裸ショー観んと 雲母 26・3 猿山木魂 
マスクしてストリップショウの前に立つ 青玄 26・8 宮沢国路 
木の芽風ストリッパーが貌曝す 曲水 27・5 新藤潤水 
うすものをぬげば秋風ストリップ 雲母 28・2 宮下豊洲 
ストリップ見しが惜春の銭数ふ 寒雷 28・7 田崎静園
【男娼】

男色煩さし雨なき五月空にごる 俳句 28・7 島津亮
【パンパン[夜の女]】

毛皮着てをんな日本語捨てにけり 浜 22・4 目迫秩父 
夜の女氷菓を啖ひつつ怖る 俳句研究 22・12 仁村美津夫 
ぱむぱむや美貌にふきでもの一つ 太陽系 23・1 日野草城 
花石榴パンパンにして孕れる 寒雷 23・10 三浦淡水 
師走の灯さけて生命を売る女 氷原帯 25・3 石田三省 
肘白き娼婦のあはれ晩夏光 曲水 25・9 星野石雀 
子へ買ふ焼栗夜寒は夜の女らも 麦 25・10 中島斌雄 
生活の「夜明け」がない肉をうる女たちの靴おと 俳句 29・7 吉岡禅師洞 
さんぐらすかけて人見るぱんぱんめ 俳句 29・9 横山白虹 
パンパンは電車に眠る菊の昼 石楠 27・11 小谷野秀樹 
夜の女霧にへいゆく髪を垂れ 雲母 28・1 大曾根浅翠
※主に在日米軍兵士を相手にした街娼で、呼ぶときには手をパンパンと叩いて呼んだからというのは俗説。田村泰次郎の小説『肉体の門』などで描かれている。

【街娼】

おぼろです街娼として悔いませぬ 氷原帯 28・7 鶴川清 
あまたの街角街娼争い蜜柑乾き 風 29・2 金子兜太 
風薫るベンチ街娼は商談す 曲水 29・7 大山蘭堂

【避妊】

目につくは避妊広告冬ぬくし 25・2 金子無患子
【避妊薬】

避暑地にゐる二本目の避妊薬買うて 浜 28・5 川島彷徨子

【性映画】

冬ぬくし性映画のみ列作り 氷原帯 29・3 坂本箕子
【性書】

ポケットに性書少年枯野へ行く 氷原帯 同 豊島博男
敗戦国に典型的に現れる「薬と性」を取り上げた。これもほとんど解説はいらないだろう。というよりは、これらを見ると現在とほとんど変わらない風景が浮かび上がってくる。違うのはこれらを堕落と見て後悔・反省・批判しているか、当然の風俗と見ているかの差である。現在は当然の文化として受け取られている。これに引き替え、戦後は詠む作者の態度がいじらしいぐらいである。「戦後俳句を読む」として関心があるのは、ことがらそのものの堕落ではなくて、こうした作者の心情なのである。

ところでこれらの作品を読んで意外に思うのは、「薬と性」に一番出てきそうな鈴木しづ子の名前が見当たらないことである。あまり偏った方向にしづ子を取り上げることは現代にあってはよろしくないかも知れないが、少なくとも当時にあってはまことにスキャンダラスな女流作家であり、おそらくその際右翼にあったと思われる。編者の中には、鈴木しづ子を高く評価した楠本憲吉もいることから、今回の中に一度もしづ子が登場しないことは不思議である。特集の昭和29年は、鈴木しづ子のほとんどの作品が出ており(後述するように27年をもってしづ子は俳壇から消滅している)、それら凡てを評価出来る状態にはあったはずだからである。

鈴木しづ子は大正8年、東京生まれ、松村巨湫「樹海」によって句作。奔放な作品によって知られ、句集に、『春雷』(昭和21年)、『指環』(昭和27年)がある。しかし、昭和27年以降現在まで行方不明(9月15日の大量投句後は音信不通)。評伝に川村蘭太『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』(平成23年刊)がある。当時話題となったしづ子の句を掲げる(傍線は、「揺れる日本」の項目)。

欲るこころ手袋の指器に触るる 『指環』 
あひびきの夕星にして樹にかくれ 
ダンサーになろか凍夜の駅間歩く 
体内にきみが地流る正座に耐ふ 
肉感に浸りひたるや熟れ石榴 
まぐはひのしづかなるあめ居とりまく 
黒人と踊る手さきやさくら散る 
菊白し得たる代償ふところに 
娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ 
菊は紙片の如く白めりヒロポン欠く 
コスモスなどやさしく吹けば咲けないよ 
夏みかん酸つぱしいまさら純潔など 

これらを見ることによって、「揺れる日本」という特集の限界も見えてくるようだ。多くの戦後固有の素材を紹介してはいるが、必ずしも戦後10年の典型俳句を示しているわけではない。また、時事題を超えた作品(「体内に」「コスモスや」「夏みかん」などの句)を拾い上げることは出来ていなかったのである。


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