海へ行き、波を被ったのか、着物のまま海へ入ってしまい、遊んだのか。海水に濡れた着物を絞る様子を詠んだともとれるのだが・・・。
かつては美しかった絹の着物が「襤褸」となる頃、それを絞ると、歳月が「海」の如く溢れてくるのだと解釈したい。母なる海―女と海の関係は詩に詠われるものである。水を好む苑子は、海も好んでいた。女としての、昏く、そして華やかな人生を過ごした時間は、大海原を漂流した船乗りのように、その疲れ果てた「襤褸」から絞り出されるのだ。「わが」と強調したところにも思いが感じられる。それは、辛く透明な汗と泪の混じる深い青い色をした「海」なのであろう。
「海を注ぎ出す」という表記に寄り、「襤褸」という語が稀な美しさを表出し、輝きを放つ。
そして、「襤褸」と「海」の二語で、自身の人生という時間を十七文字で表現し得る俳句形式の強さを感じずにはいられない句である。
12 おんおんと氷河を辷る乳母車
初めてこの句に出遭った時、(すでに二十年以上も前だが。)松本清張rの『砂の器』の父子が凩の中、海辺を黙々と歩く姿が重なった。
「おんおん」と泣いているのは、赤ん坊か我か―。氷河は、「おんおん」と音をたてて崩れては、流れては、形を変えていく。全てが「おんおん」と鳴り響くその目くるめく怒涛の中、乳母車と共に氷河に身をまかせていくしかない女の姿。それは、女『子連れ狼』の如くにも感じられる。
橋本多佳子の句
乳母車夏の怒涛によこむきに
とは、明らかな違いがある。夏の荒波にも耐え、しっかりと立つ多佳子の乳母車が、海に抱かれたその光景は、逞しくおおらかであり、爽やかでさえある。
人は、平坦で緩やかな場所ばかりを歩んで来るわけではないが、苑子が「氷河」を舞台設定にしたその思いと覚悟は、如何なるものであったろうか。夫が戦死し、俳句を術に氷塊のような固く冷たい世間を歩けば、足元から崩れることもある。安定など有り得ない。大海原に浮かぶ氷塊を、乳母車と共に辷りながら、縋りつきながら生きていくことこそ、苑子の詠う母の詩である。苑子の生き様も描かれていると同時に「母」という名の精神性を最も享受できる句であろう。
13 貌を探す気抜け風船木に跨がり
風船の空気が抜けて、木に引っ掛かっている様子であろう。大空は快適で自由であったが、いつの間にか風に流されて木に引っ掛かってしまったのである。
空気がたっぷりと入って溌溂と大空を回遊していた風船が、時間が経つにつれて空気が抜けて萎んでいくことは、必然である。人もまた、時間経過と共に身体は衰えてゆくのだが、この句は「風船」を「貌」に喩えている。
苑子は、少女の頃、お転婆であったと話していた。凧揚げや木登りもよくしていたらしい。無垢な強さを身に纏っていた頃を思い出しながら、静かに現在の己を見詰めているようである。
歩いて来た俳句人生の道程を振り返りながらも、老年に差し掛かった将来への不安と焦燥を少しは感じるが、木に跨り、地より浮いたその場所で本当の自分を探している手段は、諦めに似た落ち着きを持つ。
しかしながら、この句には、確かに自分を「気抜け風船」だと認識している倦怠が窺える。
果たして「貌」は、何処へいったのだろうか・・・。
14 貌が棲む芒の中の捨て鏡
前句の「貌」が行き着いたところか・・・。
「風船」であったはずの「貌」は、生気を喪ったが、鏡の中で己を取り戻したのか・・・。
見開きの右側一頁に、11・12の句、そして左側の頁に13.14の「貌」の句が置かれている。(毎回、この四句づつ書き進めているのだが。)13の「貌を探す・・・」と並べられているということは、意図的であり、意味を持たせているのだろう。
この句は、苑子の代表句としてよく取り上げられる句である。
倉阪鬼一郎氏も著書『怖い俳句』で解説している。
いちめんの芒の中にぽつんと一枚、鏡が捨てられています。その中に、人知れずえたいの知れない貌が棲みついています。それがいかなる貌なのか、なぜ鏡の中に棲むようになったのか、俳句は何も説明してくれません。(中略)鏡を捨てた者が貌として宿るようになったのか、あるいは物の怪のたぐいが棲みつくようになったのか、これまた短かすぎる俳句の言葉は伝えようとしません。一読、誰もが倉阪氏と同じ思いを抱くだろう。
俳句の形体に迷いがない。まず、上五で「貌が棲む」と言い放っている。そして、鏡が芒原に在ることも、想像を掻き立てるに事欠かない設定であり、その中に棲む「貌」は、異様としか言いようがない。
鏡を捨てるということ自体が、非日常的であり、割れてしまったのかも知れないが、それは、不吉を予感させられると言われている。持ち主が亡くなってしまったのなら、形見としての存在が許されなかった女のものだったのか・・・。
いずれにしても、鏡の中に棲む貌は、そこへ定住しながら生き永らえていくのである。芒は、陽光を浴びながらサワサワと揺れ続ける。逆行の夕景、晩秋の宵闇、枯芒の頼りない揺れの中も鏡はそこにある。まるで、古代よりその地に棲みつき、存在していたかのように。一筋の諦念を髪に携えながらも、終の棲家の鏡の中に納まっている。憎悪や復讐などは、とうに芒原の風に吹かれ、永遠に原野の一部となる。全てを捨てられ、捨てた貌は、怒りに満ちた貌よりもずっと恐ろしく見えるのではないか。
今回の四句は、前回の叙情で詠う「母・女」よりも、更に激しく、母として、女としての性(さが)を焦点を絞り詠い挙げている。現代を生きる女性にも、その一欠けらは共感するものと信じたい。
【執筆者紹介】
- 吉村毬子(よしむら・まりこ)
1962年生まれ。神奈川県出身。
1990年、中村苑子に師事。(2001年没まで)
1999年、「未定」同人
2004年、「LOTUS」創刊同人
2009年、「未定」辞退
現代俳句協会会員
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