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2013年4月26日金曜日

第17号(2013.04.26.) あとがき

北川美美

ある打合せ同行のため某古書店へ。店内を見ているうちに民族衣装の特集と新井淳一氏(テキスタイルデザイナー)の執筆に眼が行き『母の友』(福音館書店)1981(昭和56)年1月号を300円で購入(当時の定価200円)。『暮らしの手帖』的なおかあさんのための雑誌で岸田衿子の詩などの書き手も素晴らしいが挿絵が特に素晴らしい。驚いたのは付録についている西村重雄画作の「銭湯双六」である。一~十九の順番で右が女湯、左が男湯で、どちらが早く銭湯から出られるか二人で順番を競うとともに銭湯でのマナーを含むお風呂に入る順番がわかる仕組みとなっている。福音館書店というのは教科書の会社として記憶にあったが『ぐりとぐら』『いやいやえん』を世に送り出した児童図書の老舗。俳句の本があるのか検索したが、子供向けの日本の詩歌があったが俳句は含まれていなかった。

子供向けというとEテレの「にほんごであそぼ」は素晴らしい。子供が名句といわれる句を叫び萬斎が舞うというシーンを観た。その名句とは「はるかぜや とうしいだきて おかにたつ!」というもので子役が仁王立ちになり一回叫ぶ毎に句が画面に句がクレジットされ計三回叫ぶ構成になっていた。俳句は声に出してみることでその凄みがわかる。実際に声に出してみるというのもよい句作方法である。子役が叫ぶほほえましい姿をみていたら本当に丘に立っている気になった。「にほんごであそぼ」は何でも五七五にする「ごもじもじ」というのもある。面白い。いざ、おかにたつ!!

次週より【歳旦帖】【春興帖】につづく【花鳥篇】がはじまります。10句作品の【現代風狂帖】も引き続き瑞々しい作品を掲載いたします。乞う御期待!



筑紫磐井

今月10日に、鈴木鷹夫氏が亡くなった。「句集・俳誌渉猟」で取り上げたいと思ったが別の雑誌の時評で書いてしまったので、今回は上田氏の論争的な話題にしてみた。鈴木鷹夫氏は私が俳句を始めた時の先輩であり、「帯巻くとからだ廻しぬ祭笛」などの作品で巧者な作家としてすでに評価が高かった。ただ、時評を書くに当たって資料を読んでみると、意外な事実があり、雑誌の時評では触れなかったのでここに紹介しておこうと思う。

それは師である能村登四郎が、鷹夫氏の第3句集『春の門』によせて鷹夫氏の主宰誌「門」に書いた文章である。登四郎は多くの作品を取り上げて鷹夫氏のうまさを口を極めて褒めあげて、こうした五六十代の作家にもっと頑張って欲しいという。問題は最後の数行にそっとおかれる、―――「どうもほめっぱなしので、先輩として注言をしなくてはならないと思うが」と言ってこんな結びをする。「強いて言えば技あって心足らずということ」。

この行にぶつかった途端、心が凍り付くような気がした。今まで、延々と書いてきたバラ色の賞賛がすうっと消えて行く感じがするのである。

これは鷹夫氏を貶めようという趣旨ではない。戦後派作家(能村登四郎、飯田龍太、森澄雄など)という人々は、無意識のうちにもこんな冷酷なことを平気で言ってしまう世代なのだと言うことである。また、こんなことを言えない戦後生まれ作家とは全然違うと言うことなのである。

これで本編の「句集・俳誌・BLOG渉猟」と話が通うことになるだろう。戦後派作家は我々と違う価値観を確立していたのだ。おそらく今の初心者にこんなことを言ってもらえる師がいたら―――たぶんそれは最大の贅沢だと思う。「おじょうずですねえ、心がこもっていないけれど」。

【注】引用文は「ほめっぱなしので、先輩として言をしなくては」の間違いではないかと思う。

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