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2013年4月5日金曜日

二十四節気論争(10)――日本気象協会と俳人の論争――/筑紫磐井編


5.まとめ



(1)24節気の見直しの不必要性



①日本の季節変化と24節気の合致



紀元前以前からエジプトやメソポタミアでは天文観測は発達し、天体の運行に基づく暦が作られ、夏至や冬至も正確に分かっていた。しかし気象観測はその観測手段はなく、主観的な基準しかなかった。恒常的かつ科学的な気温の測定は近代になってから可能となったのである(日本では1870年の気象台の設置)。つまり暑いか寒いかの絶対基準は存在せず、24節気が季節変化とずれているかどうかは科学的に確認しようがなかった。



では、近代以降確立した観測方法に基づき観測して、科学的に24節気と季節変化はずれているのか。季節変化といっても基準がはっきりしないので、最も寒い日・最も暑い日で比較することにしよう。以下は最新の石原幸司論文に基づく考察である。



24節気が生まれた中国と24節気を輸入した日本とでは気象が異なる可能性がある。中国の最も寒い日・最も暑い日と日本の最も寒い日・最も暑い日を比較してみると、1年月平均気温で、中国黄河中・下流域4地点(鄭州・安陽・運城・西安)では最も寒いのは1月、最も暑いのは7月となっているのに対し、日本3地点(石巻・水戸・宮崎)では最も寒いのは1~2月、最も暑いのは8月となっていることから、中国黄河流域と日本とでは季節変化の違いが現れている。



しかしこれは中国と日本の比較であって、24節気と日本の気候の違いではない。この比較の前に24節気が「節入りの日」(立春であれば2月4日)か「節入りから次の節入りの日の前日までの約15日間」(立春であれば2月4日~19日)を示すのかは気象学者によっても解釈は異なる。石原氏は後者の15日説を取る(通説と言ってよいであろう)ことを注意しておく。



24節気の節の「節入りから次の節入りの日の前日までの約15日間」について中国と日本の期間平均気温を比較すると、中国黄河中・下流域は最も寒いのは小寒~大寒、最も暑いのは小暑~大暑となっているのに対し、日本は最も寒いのは大寒、最も暑いのは大暑となっていることが解析され、日本の季節変化は24節気にほぼ合致していると証明している。



編者の私見であるが、立春と立秋の直後の節である雨水と処暑も見てみよう。「雨水」(雪・氷が解けて雨・水となる)は2月19日から始まる節(2月19日~3月6日。気象庁が春の始めとする3月1日はこの節の中にある)、「処暑」(暑さが処(や)む)は8月23日から始まる節(8月23日~9月7日。気象庁が秋の始めとする9月1日はこの節の中にある)とされ、体感される春と秋は雨水と処暑で始まることを24節気自身が示している。これも決して不合理ではないのである。



②春の始めとは何を言うのか



以上のように、気象において、最も寒い日・最も暑い日は科学的にただちに示すことが出来るが、春とはいつかとは地域ごとの文化によって異なっている。



西洋の伝統的春の開始は春分の日である(この伝統は、科学の分野では天文学における春に援用されている)。従って春とは、次の期間である。
3月21日~6月21日


東洋の伝統的春の開始は立春の日である。従って春とは、次の期間である。


2月4日~5月5日


この2つの伝統的季節感はいずれも近代的な生活にうまく合致しないところから、次のように月で表示する基準が社会通念として用いられ、日本の気象庁もこの基準に従って季節の基準としている。


3月1日~5月31日


それでも欧米においてはまだ、伝統的な3月21日~6月21日を春とする説が強力に主張されている。これはもっぱら宗教的な理由に基づくものかも知れない(例えばキリスト教で重要な行事である復活祭(イースター)は、春分の後の最初の満月の後の日曜日とされている)。これに対し中国を中心とした東洋では、事象の兆しを重視し、春についてもその気配の立つ立春を春の始めとした(これは易の思想ではないかと思われる)。洋の東西を問わず、古代からの深い思想に基づく季節の移り変わりの言葉を、安直に現代人が科学的の名の下に変更(特に抹殺)することは慎まれなければならない。



③24節気に関する気象庁と天文台の見解



気象庁は「天気予報等で用いる予報用語(2011年3月現在)」の中で、「残暑」を「立秋(8月8日頃)から秋分(9月23日頃)までの間の暑さ。」と定めて24節気の立秋を使用している。



また、国立天文台は毎年2月に官報公告する翌年の公式暦である「暦要項」において、国民の祝日(春分と秋分については国民の祝日に関する法律では未定とされ、毎年、暦要項の24節気によって初めて定められる)、日曜表、朔弦望、東京の日出入、日食および月食等のほか、24節気及び雑節が定められている。24節気は暦上の必須項目なのである。



④アンケートと総意



俳人に対して行ったアンケートでは、上記の考え方を支持していることがよく分かるであろう。特に根拠としている伝統や歴史は無視できない。



ここには掲げなかったが一般人4500人に対して行ったという気象協会の認知度調査では、24節気を知っているかどうかは調査したが、24節気を変えた方がいいかどうかは調査していない。これに対して、我々の行ったアンケート調査ではこの点をはっきり理由まで付して調査している。24節気見直しの議論の有力な資料となると考える。



(2)気象庁と気象協会の違い




今回の見直しないし季節のことばの公募は、気象協会が行っているのであり、気象庁が行っているのではない。この点は、24節気問題について憂慮している有力俳人でさえ誤解しているようである(宇多喜代子氏は「俳句」8月号の座談会においてこの問題を論じているが、「俳句アルファ」12月号で「今、気象庁が「小満」とか余りにも実用に向かない言葉があるからそれを全部消しちゃって今に合うように書きかえようという委員会をつくって・・」と述べている。これは気象協会の誤りである)。



気象庁は国の機関であり気象観測・解析や情報提供を任務としているが、「一般財団法人日本気象協会」は気象庁のデータを使って予報業務などの各種サービスを行う数ある民間気象会社の1つに他ならない(小林気象協会理事長の談。気象庁のリンク先としては気象協会を含め23の法人・会社が挙がっている)。気象協会が見直しないし季節のことばの選定を行っても、気象庁やその他多数の予報会社は影響を受けないのである。



例えばウェザーマップ社長森田正光氏(元TBS気象キャスターで著名)は気象協会の24節気の見直しに関して自らのブログで、違和感を感じる、筋が悪い・・と書かれている。



むしろこうした仕事は気象庁にこそふさわしいのであり、じっさい気象庁は「天気予報等で用いる予報用語」(2011年3月現在)を定めている。その中から、俳人には違和感のある気象用語を再出してみる。ただ、気象協会の24節気の見直しないし季節のことばの公募と違うのは、気象庁が予報を出す際の科学的な内規として使われるのであって、これを一般社会に普及する意図はないことである。



かすみ 気象観測において定義がされていないので用いない。



 微小な浮遊水滴により視程が1km未満の状態。



もや 微小な浮遊水滴や湿った微粒子により視程が1km以上、10km未満となっている状態。



桜前線 「桜の開花日の等期日線」と言いかえる。



花曇り 桜の咲く頃の曇り。通俗的な用語のため予報、解説には用いない。



さみだれ 梅雨期の雨(旧暦5月の雨、「五月雨」と書く)。通俗的な用語のため予報、解説には用いない。



梅雨寒 梅雨期間に現れる顕著な低温。通俗的な用語のため予報、解説には用いない。



(3)著作権の問題



最後に24節気と全く関係のない話題で締め括りたい。現在気象協会は、新しい24節気を提案することを断念して、季節のことばを定めるために公募をはじめている。気象協会が季節のことばを公募し、選定・発表するというが、問題はその優秀作品について「著作権等1切」が協会に帰属するものとすると説明していることである。いままで、俳人や評論家により創出された季語は沢山ある(「秋の夜」「万緑」など)が、未だかつて季語に著作権を主張した人はいない。気象協会が何を意図しているか極めて危惧されるのである。



俳人が、珍しい言葉を新しい季節のことばと考えて皆に広く使ってもらおうと思い、気象協会の公募に応募し、選定委員によって新しい「季節のことば」として選ばれたとすると、気象協会の言い分に従えばこの言葉は新季語として気象協会に著作権が発生することになるわけだ。気象協会はどうするのだろうか。角川書店などが新しい季語として『俳句歳時記』に掲載しようとするとき、気象協会に使用料を払うのであろうか。いい言葉だと思ってこの季語で句を作って結社誌に投稿すると、後からその投稿者に気象協会から季語使用料として請求書が舞い込むのであろうか。あるいは作品を公表した雑誌の主宰者が使用料を立て替えるのであろうか。



結語



『二十四節気論争』は匆匆のうちにまとめたために多くの誤りや漏らしがあるかもしれない。ご指摘をいただければ幸甚である。


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