【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2013年3月29日金曜日

文体の変化【テーマ:「揺れる日本」より④~社会~】/筑紫磐井

【赤線区域】
宅診のストーブ燻る赤線地区 俳句 28・2 山口誓子
※売春施設として、戦前は娼妓渡世規則などによる公認遊郭があった。戦後GHQは公娼廃止指令(昭和21年)によりこれを廃止したが、売春防止法の施行(昭和33年)までの間は非合法で売春が行われており、その地域を赤線といった(GHQも政府も容認していたという)。吉原、新宿、玉の井、洲崎など。

【アルバイト】

帰省せず働きをると便りのみ ホトトギス 22・1 松尾黄鳥子
学生に書なき嘆きを石蕗咲けり 石楠 23・4 安部布秋
【移民】

移民われ蝦夷に老いつつ墓掃除 ホトトギス 21・10 三浦三郎
暮春果てなしうたひ嘆くや移民らも 氷原帯 26・7 須藤寒彩
開拓のために移り住む人々。移住先には、海外(ブラジルやドミニカ)や北海道などの国内もあるが、挙げられた例句は後者のようである。後述の開拓参照。

【会議】

会議荒れ頬殺ぐ汗の光りけり 万緑 21・12 井口素雨
【開墾[開拓]】

開拓者老い葉桜となりゐたり 氷原帯 27・8/9 中西草石
山を拓くここに住みつき鷹を見たり 氷原帯 細谷源二
※昭和20年に政府は緊急開拓事業実施要領を閣議決定し、戦後の大量の復員軍人・海外引揚者・離職者を帰農させて食糧自給を図るため、農地開拓を緊急に実施することとしている。


【寡婦】

水道凍ついまに戦争未亡人 鶴 28・4 黒木野雨
【孤児】

冬日宙見る見る孤児が煙草吸ふ 現代俳句 22・5 石橋辰之助
孤児の髪膚目だけが動き冬ガード 寒雷 24・3 山内文三
孤児は異人の靴磨きつつ春が来る 曲水 24・5 池上放天
言葉かくして孤児に雪球投げらるる 俳句 27・9 今川寅太郎
孤児園の鯉が大きな五月晴 風 29・8 三度清
※終戦直後の昭和20年9月に政府は戦災孤児等保護対策要綱をまとめ、個人家庭への保護委託、養子縁組の斡旋、集団保護の対策などを決めたが、実効はなく多くの子供らは浮浪児となることとなった(後述浮浪児参照)。

【混血児】

混血児(あいのこ)と話してをれば流れ星 万緑  22・1 岡田海市 
桐咲いて混血の子のいつ移りし 浜 28・5大野林火
アマリリス混血児いまも殖ゆるといふ 曲水 28・10 酒井鱒吉
金魚玉ぶるさげて来る二グロの娘 雲母 29・8 片桐翠舎
※特に、戦後、連合国軍兵士との間に生まれた子供。

【産児制限】

産児制限ふるわず日本蝌蚪の水溢る 氷原帯 29・4 佐野みつる 
※人為的に受胎、妊娠、出産を制限することで、戦前からマーガレット・サンガーの主張(出産を女性自身が決定する権利)が紹介されていたが、戦後日本では、昭和23年の優生保護法の制定、昭和26年の受胎調節の普及に関する閣議了解によって家族計画(家族にとって適切な数の子どもを,適切な時期に出産するように,妊娠に計画性をもたせること)が国策としてとりあげられた(世界最初ともいう)。

【傷兵】

行き過ぎしとき傷兵の義足鳴る 太陽系 22・3 後藤■子
灼けし屋根戦が生みし病者等に 浜 25・7 谷沢せいじ
失明兵士跼む渋谷の銀河うすし 寒雷 28・2 早川融史
蜜柑剥く指を戦に失ひたる 石楠 28・2 越太楼
西日の電車いつまでも傷兵に叫ばすや 石楠 28・10/11 田中三艸
※戦争で傷を負った軍人(傷痍軍人)のこと。重度のものは、陸海軍病院、傷痍軍人療養所(現在は国立病院機構に統合)などで療養し、繁華街でアコーデオンなどを引き寄付を求めていた。平成25年11月に傷痍軍人会は解散の予定、現在の平均年齢は91歳だという。後述「廃兵」参照。

【女性解放】

をんならに夏官能の詩多し 曲水 26・7 田中了司
【失業保険】

春吹雪妻の失業保険尽きる 氷原帯 29・5 茶森文三
※失業保険法(昭和22年)により失業者に失業保険金を支給する制度。
【職業安定所】

職安出て昼月ささる冬木の街 道標 27・2/3 藤塚三郎
※職業安定法 (昭和22年)により職業紹介事業を行なう施設。
【植民地】

伸ばし組む春泥の足・足植民地化すすむ 俳句研究 25・6 金子兜太
※例句は植民地ではなく、「植民地化」である。

【生活苦】

屋根に落葉目に見えてくらしつまりきて 浜 21・1 大野林火
【戦争花嫁】


夏の雲ゆく戦争花嫁といふことば 俳句苑 28・1 鈴木しづ子
※戦後、進駐軍の軍人(主に米国)と結婚し海外に移住した日本人女性。米国においては配偶者の入国を認めるいわゆる日本人花嫁法(1947年)の制定により初めて米国へ入国することができた。

【託児所】

託児所へ子を早乙女となりきりぬ 石楠 24・10 軽込表仙
※明治以来あった慈善事業施設の託児所が児童福祉法(昭和22年)の制定により保育所と改められた。

【堕胎医】

蚊帳青う眠る堕ろせし子と吾子と 俳句 28・9 黒田晩穂
堕胎する妻に金魚は逆立てり 曼珠沙華 24 野見山朱鳥
※昭和23年の優生保護法(当初は母体保護のため、その後、昭和24年に経済的理由を目的に含める改正が行われた)の制定により、人工妊娠中絶が合法的に行われることとなった。


【尋ね人】

海霧充ち来(く)ラヂオの尋ね人はじまり 氷原帯 27・11 田中北斗 
※NHK第1ラジオで、「尋ね人」という、戦中・戦後の混乱で連絡を取れなくなった人々と尋ね人の名前を読み上げる番組があった。昭和21年から37年まで土日を除く毎日朝・昼・晩の3回放送された。

【男女共学】

学苑は共学木槿咲き満ちぬ 曲水 28・11 金沢鉄竿
※戦前も男女共学の大学があった(東北帝国大学など)が、昭和22年の教育基本法の制定によって男女の共学が原則となった。その後女子大生は飛躍的に増え、昭和46年に暉峻康隆早稲田大学教授が女子大学亡国論を唱え物議を醸した。

【血を売る】

カンナ咲く血を売る人のまうしろに 現代俳句 22・12 八木三日女
血を売る腕梅雨の名曲切々と 寒雷 24・9 原子順
いくたびか血を売りて我卒業す ホトトギス 26・5 深山幽谷
「血を買ひます」その下に梅雨の傘畳む 麦 29・8 野口種郎
※日本では、アメリカに倣い、昭和26年以降、京都大学の教授たちにより血液を買い取る民間の組織(血液銀行)ができた(日本ブラッドバンク、のちにミドリ十字に改称、現在は田辺三菱製薬)が、昭和39年の献血制度の導入によりなくなったと言われている。掲出句によればそれ以前から売血の実体はあったらしく、どんな組織により行われていたか不明であるが文書で残る歴史以前の実態が浮かび上がる。

【停電】

燭の焰は立ち蕭々と冬の雨 花宰相 22 山口青邨
夜毎読むチエホフや燭の夜もありて 太陽系 22・3 伊丹三樹彦
冬市の道を街に入る時停電す 石楠 22・4 芳賀杜牛
【ニコヨン】

ニコヨンの寒オリオンを背にかへる 麦 26・10 石井三信
ニコヨンに明日への職場雪を掻く 寒雷 29・3 清水清山
※昭和24年、東京都の失業対策事業として職業安定所が支払う日雇い労働者への定額日給を240円(百円玉2個と十円玉四個)と定めたことによるという。

【入植】

入植地霧に一木さへ見えぬ 浜 28・6 村松達爾
※開拓のために移り住むこと。


【廃兵】
廃兵の史観は雲を暑くする 慶大俳句 藤田宏
※在隊中に病気や負傷のため重度の障害を負った兵士のこと。フランスではいちはやく癈兵を収容する施設が出来、日本でも戦前から癈兵院(後傷兵院という)が各地に設けられた。

【母子寮】

梅雨の墓地母子寮の子が来て遊ぶ 曲水 26・10 酒井満壽古
※戦前の救護法・母子保護法、特に戦後の生活保護法・児童福祉法(昭和22年制定)によって整備された配偶者(夫及び父)のない母子の生活する施設。平成10年に母子寮の名前は廃され、母子生活支援施設と改められた。

【ボス】

かのボスも寝つらん霜に立尿る 浜 22・12 赤城さかえ
【日雇】

こんな世の中いやだよ雪の日雇夫 氷原帯 27・5 小室一行
日雇律儀雪を四角に四角に切り 氷原帯 29・2 山崎涼人
日雇の昼の休みもうつむき勝ち 青玄 29・8 林田紀音夫
【浮浪児】


浮浪児の俄にはしやぐ花吹雪 ホトトギス 22・8 古屋信子
大きな冬月浮浪児がに股手は胸に 鼎 金子兜太
浮浪児の目があかあかと焚火育つ 鼎 田川飛旅子
浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねえやい」 銀河依然 中村草田男
※膨大な数で発生した戦災孤児が浮浪児化し、政府は昭和21年 4月に「浮浪児その他の児童保護等の応急措置実施に関する件」、同年9月に主要地方浮浪児等保護要綱を定め、(福祉対策ではなく)治安対策としての浮浪児狩りを行い、児童鑑別所等に収容した。当時の浮浪児の様子は、昭和22年7月~開始したNHKドラマ「鐘の鳴る丘」(菊田一夫原作)で描かれた。

【浮浪】

浮浪者のこほるがごとき睡りかな 石楠 29・2/3 福塚一葉
※戦前の警察犯処罰令、戦後の軽犯罪法で、一定の住居または生業なくして諸方に徘徊する者とされる。現在はホームレスと言い換えられる。

【闇屋】

児に泣かれをんな闇屋は悴める 太陽系 22・4 江口帆影郎
闇米をひき出すひとの膝下より 青玄 29・7 松谷登城夫
※闇取引(正式な販路によらず、ひそかに売買したり公定価格でない値段で行う取引)をする人。例えば米は、食糧管理法により戦前から配給制度が取られ、米穀通帳を必要としていた。

【かつぎ屋】

かつぎ屋が追はれて逃げて案山子となる 俳句 27・12 上野可空
※食料(闇物資)などを地方の生産地から担いで来て売る人。

【汚濁の世】

早く世が美しかれ冬の鶴歩む 浜 22・2 堀喬人
地上がみにくいためにこの凧上がりたる 氷原帯 28・3 細谷源二
うつり変る世の様激し木の葉髪 ホトトギス 21・2 西尾絹女

戦争や経済の章と違い一般国民に直接的な影響を持つ事項が多く当時は共感を呼ぶ作品が多買ったと思われる。その一方で、今では意味を失った言葉や、言葉の背景をなす社会状況(少しづつずれているのが一番困る。戦争花嫁とか入植・開拓とか)がわからなくなっている事項も多い。また、売血のように、公式の歴史に現れない事実が俳句でのみ記録されていることも驚きである。詠んだ作者でさえ自覚していない俳句の効用である。


最も代表的な例が、頻出する戦災孤児に関する事項で、終戦受諾の直後から戦災孤児問題は取り上げられていたが、当初は戦災孤児が浮浪児化して様々な犯罪や売春、犯罪組織への組み込みに関与することに対する深刻な治安対策として措置がとられた。このため7大都市では浮浪児刈りが行われ、彼らは様々な施設に収容される一方、そこから脱走するなどのいたちごっこが繰り返されたらしい。福祉問題として意識されたのはその後(GHQの民間情報教育局の指導で「鐘の鳴る丘」が始まる頃)のことである。

その一方で、戦後の歴史は続いており、例えば傷痍軍人会が現在未だ存続している(本年中に解散の予定)のは衝撃である。小さくはなりつつも現代に痕跡は残っているのである。



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