~従軍俳句と短歌(3)~
前回見た従軍俳句、それも著名俳人のそれではなく、無名の従軍兵士の作品を俳句における従軍俳句の典型と考えてみたとき、再び短歌と比較してみたく思うのである。碧梧桐の山岳俳句と前田透の山岳俳句を比較したが、従軍兵士の俳句と、実際従軍体験を持つ前田透の自由律短歌を比較しようと思う。この文体散歩では、ことさら優れた作品よりは、野心的な文体を発見することにあるので、多くは知られることのない作家、著名な作家でも埋もれた作品を示すことにした。要するに現代俳句で承継されていない文体を発掘するのはこうした方法になるしかないと思われるのである。
以下紹介する前田透も、あるいはその従軍短歌も上のような考え方に従っているものであり、多くの歌人の知らない短歌ばかりである。
「瓦斯!」と叫んで防毒面(めん)を取り出す一瞬に子供のやうになつて了ふ
装面駈足によろめき倒れる兵の偽装網の青さ目に灼きつける
銃剣かまへて夢中で走る俺は一体俺なのか、そしてこの空は--
伝令となつてひた走る大道のわけもない反射を憎みはじめ
土色の帰還兵の顔と顔の直視、初年兵の列は色あせてしまふ
遠くの山砲隊でラッパがなるとき、装置されたやうに動いて行く雲
過ぎ去ったことは常に美しい、とにかく<兵隊さん万歳>と子供等は云つた
<さあ>と銃とつて立つときは又もとのかがやく眼差しとなり
装具の革の匂ひと汗にまみれて、兵隊の体臭を曳いて街路を行く
兵隊と兵隊の中に生きてよろこびの小さな断片(きれはし)をひろひあつめ
溶樹もる月にあをく納涼の煙草のむ兵の、こんなにもやさしい郷愁のけむり
防毒面胸にだぶつかせ最後の状況にやつて来る補充兵の呆けたやうな顔
斯くまでも無感情でゐられるたのしさに泥田の水へずぼりと伏せる
濁流の川幅をみてたちまちよろめき入る一団の兵となり
そのとき、人はまた、かなしめる葦でもあつたと云ふ思ひ出さへうすれ
なにか美しい精神史を感じて東京の最後の夜を歩む
この夜うつくしく『国家』をかんがへ、雨降る大都会をむしやうに歩む
刀背負ひ、雨にしぶかれ舷側をこえる、この現実を誰に云はう
毛布かぶればやつぱり兵隊の匂ひがして、この夜もまた単純にねむる
土壁のやもりのなく夜更け、戦死の覚悟たしかめることもたのしい
存在のそのありのままの美しさにふかくうたれて、すなほにねむる私が前に上げた従軍俳句と似ていながら決定的な違いは傍線部分にあるように思う。この傍線部分にあるネガティブな、あるいは逆説的な表現は俳句では見られないものである。ぶざまさや、鬱屈した作者の心情を詠み上げる余地が俳句にはないように思われる。
そしてそれはまた、戦前のインテリたちの鬱屈した心情を示唆する。白でもない、黒でもない、白と黒の筋模様が真実の心情なのである。そしてこれを拾い集めることは俳句では出来なかった。その時点の俳句で出来るのは、配合止まりであった。
極めて異例ながら、淡路雑俳を紹介しておく。雑俳とは、冠句、折句などの俳句形式を前提にした遊戯的な言葉遊びと思われているが、江戸時代末期から明治にかけて隆盛を誇ったジャンルである。昭和になってからは特に地方で独自の発達をしたものが多く、京都の冠句、岐阜・愛知の狂俳、高知の土佐狂句、熊本の肥後狂句、鹿児島の薩摩狂句などがあり、淡路雑俳もその一つである。冠題を出してこれに付ける冠句と、特定の時を織り込む折句がある。その中にもこのような句があった。
戦争 尊い赤い血を流し 谷口耕人
返事 姑娘まずい日本語
疲れを見せたゲートルの皺
はらはらと包帯をへぎ取り
塹壕の夢 消した銃声
作者谷口耕人は志知村出身で従軍のさ中なくなった。淡路雑俳は題詠の興行で作品を作るから、必ずしも従軍のさなかの作品ばかりではないかも知れないが、いままで見た従軍俳句と比較することの出来る作品であると思う。多くの雑俳が時局に便乗した国威発揚の作品ばかりであったのに対し、稀有な覚めた目を持っていた作家であった。
◆
以上から分かるように、一般常識で思われているように、戦争俳句に、聖戦俳句と戦火想望俳句と反戦俳句があったのではない。それでは戦争俳句をリアルタイムで見ていることにならない。現実にあったのは、現場を持たない聖戦俳句(戦火想望俳句を含む)と現場における従軍俳句があったのである。そして従軍俳句の中にも、聖戦俳句的なもの(戦火想望俳句的なものを含む)とリアリズムに近い俳句があったのである(従軍俳句は、戦後の職場俳句と同様徹底した理念を求めるわけにはいかなかったから)。私の、そして多くの読者の関心が強いのは、このうちのリアリズムに近い俳句の中にあるに違いないと思うが、それは戦争の状況や、個人の資質、表現形式(俳句形式、短歌形式、雑俳形式など)の限界の中で揺れる文体が発見されるという事実に基づいている。
戦後の戦争俳句集を私はあまり信用できないでいる。制作の動機が異なってしまっているように思われるのと、また制作された作品の都合のいい編集を作者が善意で行ってしまっているからである。『きけわだつみのこえ』の戦没者の手紙が戦後の編集者のよって一部改編されていることはよく知られている。アメリカ軍の平和の理念や戦争犯罪の糾弾の吹き荒れる時代の戦後にふさわしい手紙になってしまっているのだ。そうした作業が短歌や俳句で行われていないとも限らない。ここで取り上げた前田透の短歌も、戦後出された第一歌集『漂流の季節』には一切載っていないことからもそう信じられるのである。
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