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2013年1月4日金曜日

俳句月評・平成の其角出現(東京新聞より転載) 筑紫磐井

高山れおなの第三句集は『俳諧曾我』(平成二十四年十一月書肆絵と本刊)という。高山の第一句集は『ウルトラ』、第二句集は『荒東雑詩』、これに次ぐものだが、第一句集こそ尋常の態であるものの、『荒東雑詩』は全編長大な前書きを付け人々を驚かせた。そしてこの『俳諧曽我』は箱の中に八冊の冊子が収められており眼のくるめくおもちゃ箱のような個性を示す。題字は伝統的な歌舞伎文字、内容は前衛もいい。
句集は、各章に当たる分冊『俳諧曾我』『侯爵領』『フィレンツェにて』『三百句拾遺』『鶏肋集Ⅰ』『鶏肋集Ⅱ』『パイク・レッスン』『目録+開題』で出来ている。冒頭の『俳諧曾我』は曽我物語に基づく連作、『侯爵領』は「長靴をはいた猫」に基づく連作、『フィレンツェにて』は仕事で行ったイタリアフィレンツェでの印象記、『三百句拾遺』は「詩経」(古来、詩三百といわれている)の各詩の題により作ったものだが三百には至らず百三十五句で終っている。『鶏肋集Ⅰ』は以上に洩れた一行書きの有季定型句、『鶏肋集Ⅱ』は多行句、『パイク・レッスン』はパイク(横書き)俳句という。あまりの多様さに眩暈するほどである。高柳重信、加藤郁乎、攝津幸彦らの影響を見て取ることも出来るように、元禄の前衛派であった其角によく似ている。
昔の新興俳句や前衛俳句がその内容や表現方法において伝統俳句と対峙したのに対して、『俳諧曽我』は句集のあり方によって伝統俳句、既存の俳句に対立している。日下潤一の巧みなブックデザインによる私家版で、著者に依頼すれば頒価三千円で分ける(残部若干)と言うが、基本的に流通には出さないのだから人に読ませる本ではない。
しかも仕掛けはこれだけで済まない。その最後の『目録+開題』は一冊で開題をすませるだけでなく、出版の滞りから加えられた沢山の言い訳の追記(まるで黄表紙のようだ)、そしてこの間作られた増補作品が末尾を飾る。「附録原発前衛歌」と題された増補作品は、かつて俳壇のニューウェイブとして注目された攝津幸彦の「皇国前衛歌」を意識しつつ、東日本大震災をテーマにした仮名書き・分かち書きの二十句であるが、そのすべてが傑作と言ってよいだろう。
げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も
しろく て ぷよぷよ えだのゆきを も たかやまれおな も
じどうきじゆつ の をとめちつく ぞ はづかしき
ざの ざこ の ぶんがく なのだ それ で いい のだ
おそらくこの句集は、直接読むことは出来ず、たまたまそれをよんだ人から口伝えに伝承されて行くものであると思う。そしてそれが邪道かと言えば、口承詩としての本来のありかたにむしろ近いのである。

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