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【ピックアップ】

2013年1月4日金曜日

三橋敏雄『真神』を誤読する 58.59.60./ 北川美美

58.たましひのまはりの山の蒼さかな

「たましひ」の句。素直な作者像を想像する。素直に佳いと思う。佳句は心を素直にする。心の微動が嬉しくなる。

「たましい」は、肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在、死後も存続すると考えられている。多くの宗教で人は死んでも意識あるいはそれに近いものは霊魂となって残ると説く。その「たましい」を感じることができるのは、人の心である。極めて仏教的で日本的な思想から生れた句に思う。

さてこの句の「たましい」。誰のたましいなのだろうか。人でも虫でも植物でもいい。生きとし生けるものも、かつて生きていたもののどちらとも解釈できる。しかし、この先に出て来る、63句目の「もの音や人のいまはの皿小鉢」とも共通することだが、生きている筈の作者がすでに昇天しているように読める。

『眞神』での視点は、あの世とこの世を行き来する視点がある。

死んだと仮定する自分のたましいが山を見ている。現世にあまりに冷めた視点をもって詠んでいるのである。それが戦後派と言われる所以だろうか。
たましひは先を行くなり秋の空   『しだらでん』
敏雄最期の句集となった『しだらでん』(1996(平成8)年刊)では、老いとともに素直に手のうちを明かすような句となっている。

敏雄の育った八王子は、奥多摩の山並みが見渡せる。都心に近いとはいえ地味な景色であり今も武蔵野の文学的環境が残る美しい町だ。敏雄の眠る墓地、八王子・吉祥院にこの句碑が建立されている。まさに敏雄は自作句の通りに眠っている。

実際に昇天して見る廻りの山山、そして世の中は敏雄にどう映っているだろうか。「まだ蒼い」と私たちをたしなめているような気にもなる。

敏雄が昇天して12年。今となっては、生きているものは、生きている間ずっと蒼いと言っているようだ。


59. 朝ぐもり昔は家に火種ひとつ

マッチの普及以前は、日常に不可欠な火を起すことは、労力を要したことであり、一度灯った火を継ぎ次ぐことは、東西問わず重要な日課だった。

マッチの発明自体は、1827年(文政10年)という歴史から、現在まで、たかだか200年未満である。日本では明治・大正にかけてマッチが普及していった。アンデルセンの『マッチ売りの少女』が発表されたのは、1848年(嘉永元年)だということだが、実は、少女は高級品を売り歩いていたということになる。

日本では囲炉裏、竈などの火炉に炭や牧を継ぎ火を絶やさぬようにする。それが火種だった。日本の民俗学的には、火処の火種の管理は主に主婦の仕事になっていた。火種を絶やさぬことが重要な主婦の心得となっていたわけだ。また神聖な火を保管する囲炉裏を囲むマナーを子供たちに言い伝えにより厳しく躾けたようだ。

例えば、「囲炉裏の端の枠木を踏んではいけない。」「柿の種、ヘタをくべると子供がやけどをする。」「柚子の種をくべて、撥ねた場合は病になる。」「爪をくべると親の死に目に会えない。」等である。

火は古代より神聖なものである。戦後の急速な文化の発展により私たちは忘れていたぬくもりを「昔」という言葉に求めるのである。

敏雄の使用する、「昔」という言葉。
油屋にむかしの油買ひにゆく (『眞神』46句目)
現在が過ぎ去った時間は、「昔」である。いつの昔か明確でない曖昧な言葉は、読者各自に想像を遡らせる。そして、昔のあたたかさがどこか懐かしい。昔昔は、童話のお決まりのフレーズであることもどこか子供の頃の郷愁を誘う役目があるだろう。

しかし、上五の「朝ぐもり」は、暑さを予測する夏の季語である。暑い日も煮炊きをするための火種が必要である人の営み、日常の厳しさがそこにある。そこが単なる『眞神』が単なる郷愁の回顧主義でないものになっているのだろう。

「火種」から郷愁の中に読者を誘うだけでなく、生きてゆくという日常があることを感じる句である。

60. 身のうちに水飯濁る旱かな

御飯に湯をかけて食べる食事法を湯漬け。これに対して、冷水をかけて食べる食事を水飯(すいはん、みずめし)と呼んだ。

「水飯」は簡素な夏の食事法であるが、武家・公家も食し、今でも茶事に用いられ、小ジャレタ割烹、あるいは京都のおばんさい屋にも出て来る地味ながら味わいのある食事だ。そう考えると貧しさに雅があるような気分になる。

しかし戦後の物資のない時代を過ごした敏雄にとっては、「水飯」は、実質、貧しいイメージの方が強いだろう。そう読む方が、ちっぽけなものに価値を発見する俳句には向いているだろう。

上五・中七の「身のうちに水飯濁る」は、全て「旱」を装飾し、それほどの暑い日であることを詠っている。敏雄の句に、内包する何かが宇宙となり、それが原因で、詠嘆が続くような用法である。それが俳句といえば俳句というのかもしれない。その何かが、「濁る」という言葉でネガティブな心の闇を言っているように読めるが、それを読者に投げかける。17文字である俳句への諦め、あるいは、きっぱりとした決意とも、そして教養人である敏雄の気取りといえばそうかもしれない。

『眞神』は実質、一部の論者たちが「凄い!」と唸り、一般的にその良さについて論じることを拒絶している排他的句集であることも確かではないだろうか。『眞神』の上梓は、そういう意味では冒険であったろうし、『まぼろしの鱶』が三鬼との別れであれば、『眞神』は本当の意味での敏雄の出発と思える。『眞神』の敏雄は、決して読者にやさしくない。迎合していないところが読み継がれる所以なのだろう。

『眞神』の頃の敏雄は、精神的なナイーブさとともに、暴力性をも感じる。「書く」「詠む」という行為自体がそうでなければ続けることができないであろうし、嘆きと諦めの決意だったのではないだろうか。

内包する何か、その何かを何度も読んで噛みしめる愉しみが俳句という文藝に残されているのだ。

「身のうちに水飯濁る」に戻ろう。

食卓に出された水飯は、濁らずに澄んだ美しさがあったが、一旦口から内臓に入れば、その美しさは瞬く間に消化という行程でごちゃまぜにされて濁った流動物となる。暑さの盛りを午後の時刻の旱とするならば、恐らくその水飯は朝食、あるいは昼食に摂った食事であり、炎天の屋外でそれがエネルギーになり猛暑に耐えるように身体が踏ん張ることができる。ふと、旱に耐えるように身体に摂ったものを思い浮かべ、それが身体の中に流れていることを考える。

「身のうち」とは「に」という場所を提起する助詞が付いていることから身の内側という意味に解釈できる。もしかしたら「うちがわに水飯濁る體かな」がもともとの表記かもしれない。そこで胃袋に入った「水飯」を食べなければ身体が持たない切欠となる「旱」を持ってきたことにより暑さに覚悟が必要なことが共感できる。

これもまた日常に厳しさがある。そういう覚悟で生きた敏雄だと思うのである。


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