「俳句四季」で連載していた俳壇観測が終了したのでその続編を執筆することとしたい。BLOGなので余り文章の長さを気にすることなく自由に書いてみたい。
第1回は、「豈」68号で特集した「特集・ユネスコ登録戦略の最前線」について述べてみる。当面の俳壇でユネスコ登録は極めて重要な課題となると思うからだ。この特集で私の書いた「真面目な顔をした俳句ユネスコ登録論」はこの種の論争で当時一番論点整理されたと考える林桂氏の「鬣」の論文を踏まえて書いてみたものだが、「豈」68号ではより進んだ論点が提出されていると感じた。特に、トマス・マーティン氏の「ドイツから見たユネスコ登録問題」は論争を展開する材料を漏れなく整理して頂いた力作でありこれを踏まえてこれについて私の考え方を述べてみたい。
何回かに分けて考察したいと考えるのだが、第1回はマーティン氏の論点ではなく、論争の予備知識として現代俳句協会が置かれている現在の状況を客観的に述べてみることとしたい。これは論争することまでもない客観的な事実であるが、論争するに当たっては念頭に置いておく必要なことである。特に調べればわかる客観的事実であるが、今までの論争参加者のほとんど調べることをしなかった事実だ。この事実を知らないままの論争は砂上の楼閣に近くなるだろう。
1.大前提
ユネスコ登録の発端は、4協会が合意して登録を進めることを文部科学省に要請したことにある。従ってユネスコ登録とは文部科学省と協会の問題であり、俳人一般・俳句一般の問題(俳人の権利義務の問題)ではないことに注意すべきである。文部科学省がユネスコ登録をするかどうか国としての独自の判断もあるが、基本的には日本の俳句活動を代表するとされる4協会の要望があったから開始されたのである。
ユネスコ登録に関心のある人は大半がいずれかの協会に参加しているようだから、協会を通じて発言する機会はある。しかし、一般人や俳句愛好者が評論家的な意見を言うことは可能であるが、だからと言って直接文部科学省に働きかけ、登録を進め、あるいは登録を断念させることは出来ない(例外はあるが、これは複雑な条件が重なるので追って説明したい)。
だから、ユネスコ登録をしないという意見は協会員が協会(多分現代俳句協会)を説得して実現しなければならない。今のところ、現代俳句協会はユネスコ登録をしないという意見に納得していない(これは毎年総会で会員から意見が出されているが、協会として納得していないことは明らかである)。従って理論闘争により実現しなければならない。ここではそうした理論闘争をどう進めるかを考察してみたい。
2.協議会参加の適法性
先ず様々な準備の末、平成29年1月26日に日本記者クラブにて、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会発起人会(第2回)が開催され、4月24日に協議会設立総会を開催することを決定し記者会見を開いた(この時俳句に無季・自由律が含まれることを言明)。参加者は有馬朗人国際俳句交流協会会長、稲畑汀子日本伝統俳句協会会長、鷹羽狩行俳人協会会長、宮坂静生現代俳句協会会長及び伊賀市長であった。
これを受けて、現代俳句協会では、平成29年3月25日協会の総会で、「平成29年度事業計画」を提案し、現代俳句協会総会で委任状の提出を含めた過半数の会員の同意を得て了承を受けた。その内容(29年度新事業)は次のようなものであった。
【平成29年度事業計画(抜粋)】
19.外郭団体の後援
➀俳句のユネスコ無形文化遺産登録を目指す活動
俳句4協会及び関係自治体による協議会の設立総会・記念講演会(4月24日・東京都荒川区)
他協会においてもほぼ同趣旨の手続きを踏んでいる。その結果、29年4月24日俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会設立総会が開かれ協議会の設置が了承された(上記協会の各会長及び伊賀市・松山市・荒川区・大垣市が参加)。
以上の経緯から、協会はそれぞれの内部手続きを完了し、4協会合意が成立したと考える。
3.協議会参加決定の拘束力
現在、一部会員から現代俳句協会の全社員の意向投票を望んでいる。万が一採択された場合は、現代俳句協会は協議会から脱退することとなる。しかし公的な責任を負う団体としての4協会合意がある以上現代俳句協会の一方的な脱退はできず、4協会と協議会の全会一致の了解を得なければ脱退出来ないはずである。一部でも反対があれば脱退できないということを認識しなければならない。
さて協議会発足の経緯から見ても、協議会から現代俳句協議会が脱退することはユネスコ登録を極めて困難にするので、協議会のみならず今まで尽力してきた、国際俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会のみならず、協議会に参加する参加自治体に対し、いったん参加に同意したにも関わらず脱退という変節をした合理的な理由を説明し、陳謝し、相応の条件をのまざるを得ないと考える。そして合意をする場合の提示される具体的な条件として想定できるのは、次のようなものであると考えられる。
【現代俳句協会の協議会脱退の条件案】
➀現代俳句協会が協議会から脱退した後は、協議会が従来の経緯に拘束されず俳句の定義を定めて(例えば有季定型)ユネスコ登録に望む場合に、現代俳句協会はこれに異議を申し立てたり、その活動を妨げないことを確約すること。
➁ユネスコ登録により関係機関が受けるべき不利益の損害を補填すること。
➀については、俳人協会の保守派の人々は基本的に、無季・自由律俳句を含めることを主張している現代俳句協会が退会することは歓迎であると考えるが(協議会発足に当たって有馬会長の主導によって行われた俳句に無季・自由律が含まれるとの言明は俳人協会にとって大きなミスであったと考えられる)、現代俳句協会の協議会脱退にあたり問題を矛盾なく清算させることは必要不可欠だと考えられる。
それは昭和36年に俳人協会分裂に当たって無季自由律を排除する諸活動を行って来たことからも明らかであり、さらにその後平成11年に俳人協会が「教科書に掲載する俳句は有季定型を厳守せよ」という「教科書出版会社への要請」を会長名で送付していること、平成22年に岡田日郎副会長が俳人協会において「学校教育においては「俳句」(有季・定型・文語)と「俳句に似たもの」(無季・自由律俳句など)と区別する必要がある」と講演していることなどからも基本的イデオロギーは変わらないと考えられる。
➁については、3協会というよりは会員となっている40余の自治体が登録によって得べかりし地域振興の利益を喪失するからであり、これがどの程度のものか想像するのも難しい。
いずれにしろ、現代俳句協会は、こうした利害を勘案し、脱退するか、さらには投票を実施するかを決めるべきだろう。私個人としては➀の条件を受け入れるなど現代俳句協会の存在意味を失うくらい致命的な条件である。つまり現代俳句協会は協議会から脱退できないことになると思うのだが。
4.「パブリックコメント」「国民からの意見」
ところで、ユネスコ登録に関し会員の意向を確認する方法は別にないわけではない(1.で述べた留保条件について述べる)。ユネスコ登録はユネスコ条約と文化財保護法により手続きが進められているように協議会関係者は説明しているが、実は文部科学省のこれらの活動は、その上位規定として文化芸術基本法とそれに基づく文化芸術推進基本計画(5年計画であり、現在第2期)に基づき行われている。ユネスコ登録が検討される以前から、小説、戯曲、現代詩、短歌と並んで国策として文化芸術基本法によりその振興がうたわれ、基本計画に基づき具体的な施策が行われている。この枠組みの中でユネスコ条約登録と文化財保護法の指定が位置付けられるのである。そして実は文部科学省はユネスコ登録を含めた政府の基本計画について5年ごとに「パブリックコメント」「国民からの意見」を広く求めているのである。次のそのタイミングが令和9年となっている。
ユネスコ条約登録と文化財保護法の指定は1.で述べたように文部科学省と4協会の話し合いにより進められているということだが、この「パブリックコメント」「国民からの意見」については、(4協会の合意に縛られることなく)各協会それぞれが独自の意見を述べる機会があり、のみならず協会員であっても協会の意向に反した意見を会員として述べることも出来、さらにはどこの協会にも属していない俳人や一般国民も意見を述べることができる。前回は高校生・大学生の意見を求めていたが、文化の継承問題から考えれば文化を担う次世代の意見は重要であるからだろう。多分外国の方も意見を述べることができると思う。
色々難問が山積している現代俳句協会の投票を検討するのもよいが、先ずは現実的な「パブリックコメント」「国民からの意見」を出してはどうか。従来基本計画に寄せられた「パブリックコメント」「国民からの意見」を見ても(前回はあらゆる芸術分野から309件の意見が寄せられた)、俳句のユネスコ登録については一つも意見が寄せられたことがなかったようである。これは俳人としても、俳句愛好者としても怠慢であったと言わざるを得ない。俳句を愛するならば是非意見を出すべきだ。こうした行動をとらず、評論や論文だけを書いていることは自己満足にしかすぎないように思われる。
もし俳句をユネスコ登録にすべきでないという意見が「パブリックコメント」「国民からの意見」に大量に提案されれば、文部科学省はその意見を無視できないはずである(この「パブリックコメント」「国民からの意見」はユネスコ登録を最終的に決定する文化審議会に提出され審議される予定である)。私としては公平な立場から、ユネスコ登録を推進する協会や自治体も意見を出してほしいと思っている。それこそが多少なりとも国民の総意に近づく結論となると思う。もちろんその結果がどのように出るかは予断を許さないが、少なくとも現在のような、意見があるが何も進まないというフラストレーションの溜まる状況からは解放されるはずである。
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ただひとつ言っておきたいのは「パブリックコメント」「国民からの意見」は行政技術的な条件がありそれを勉強して行わないと効果があまりない可能性があるということである。少なくとも現在各所で提案されているユネスコ登録反対の論文そのものは「パブリックコメント」「国民からの意見」としては受け取られないと思う。これらの長大な論文を文部科学省の担当者が読みこんで意見としてまとめてくれるほど親切ではないし行政も暇ではない。意見提出者が、「パブリックコメント」「国民からの意見」の趣旨をよく学び、どのような形式で提出するか、文部科学省がどのようにそれを処理するかを十分学んで、それに適合するような意見の提出の仕方をする必要がある。意見提出者の方に責任があるのだ。少なくとも長大な論文ではなく、簡潔明瞭に白黒をはっきりさせた短い意見で出すことが望ましい。このためには、意見を出そうとする者が勉強会を開いておくことが望ましいだろう。現代俳句協会などがそうした場を用意することは有意義である。
(以下続く)
2:ユネスコ登録への3つの態度(俳壇の動向)
3:ユネスコ登録の根拠の吟味(マーチンさんに答える)