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2025年12月12日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(64)  ふけとしこ

 短日

ばらばらと転がる硬貨神の留守

風紋へ止まりたくて反る木の葉

皀莢の莢へ風来る霙くる

すがれゆくものに刈萱力芝

短日を大きな石と遊びけり

・・・

 この春、芽吹きの頃に芦屋市の山手へ吟行した。この日は「ヨドコウ迎賓館」の見学がメイン。旧山邑家別邸であるが、山邑家とは大きな酒造会社だったとか。帝国ホテルを手掛けたとして有名なライトの設計。ライト自身は設計のみでこの館の完成を待たずに帰国し、後は弟子達によって完成させたとのこと。

 芦屋に限らず、六甲山麓の瀬戸内海を見晴らす地は、大阪の商人達が競って別邸を構えたとして知られる。

 迎賓館へは通称ライト坂と呼ばれる坂道を登って行かねばならない。当時の「ええし」の人達はこの坂を人力車で上ったのだろうか。車に頼る今の人達と比べて健脚だったにしても、日々となれば、辛い時もあっただろう。

 肝心の作句の方は、贅を尽くした調度も建物も立派過ぎて私の手には余る。作った句は全ボツに等しかった。

 帰りは阪急電車の芦屋川駅まで下る。

 この駅のすぐ北側に、「重信醫院」と看板を掲げた建物がある。ちょっとレトロな感じの由緒ありそうな建築である。

 以前、この近くの美術館への行き帰りにいつも気になっていた医院である。

 谷崎潤一郎の『細雪』は、大阪船場と芦屋のこの辺りが舞台になっていたが、その主人公達の、つまり蒔岡家の皆が世話になっていた医院である。今ならかかりつけ医というのだろうか、その「棚橋醫院」のモデルになったとして知られている。

 内科・小児科の医院だが、患者でもないのに中を見させて下さいとも言えない。ネットで検索すると内部の写真が多少は見られる。

 現在の院長は三代目とのことだから、御祖父様の時代に建てられた物。それが大正15年のことだとか。いわゆる大正モダンの建築。当時は目を引いたことだろう。

 この辺り、私が知っていた頃には個人商店が並んでいたが、閉店したり更地になっていたりと様変わりが顕著である。

 お茶でもしない? という話になって「ホテル竹園」のカフェへ連れ立つ。このホテル、かつては「竹園旅館」といい、読売巨人軍の定宿であった。今もそうだろう。高校球児たちも宿泊していたはずだ。

 お洒落なカフェでゆっくりお喋りして、この日の吟行は終わった。

 (2025・11)