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2024年11月29日金曜日

■現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 5 筑紫磐井

 【評論執筆例(初期能村登四郎作品について):筑紫磐井】


5.初期身辺生活句

 前回述べた風景句に代わる新しい作風が、風景句と併行して生まれる。


咳なかば何か言はれしききもらす(23・2➁)

雪といふほどもなきもの松過ぎに(23・3➀)

佗助やおどろきもなく明けくるゝ

雪の戸にけはひして人のおとなへる(23・4⑧)

匆々ときさらぎゆくや風の中

蓋ものに春寒の香のさくら餅

弥生尽追ひ着せられて羽織るもの(23・5➁)

さく花に忙しききのふ無為のけふ

さくら鯛秤りさだまるまでのいろ

うすうすとわが春愁に飢もあり(23・6⑥)

春靄に見つめてをりし灯を消さる

摘むものにことば欠かねど蕗生ひし

畑すみに萌えいですでに紫蘇のいろ

部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす(23・7➀)

たよりあふ目をみなもちて梅雨の家

梅雨の傘抱きて映画に酔ひがたき

黴の香のほのかなる書を手ばなしぬ(23・8③)

白麻の着くづれてゐて人したし

白靴のしろさをたもち得てもどる

露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)

かぼちや咲き貧しさがかく睦まする・

かぼちやかく豊かになりて我貧し

病める子に蚊ばしらくづす風いでよ。


 これらは極めて身近な、身辺周囲ないし作者の心情を詠んでおり、風景とは言えない対象を詠んでいる。その心情も、戦後の貧しい生活の中で、寂し気な、やや消極的な作者の内面を中心に詠まれている。

 このような句がなぜ突然詠まれ始め、その後の主調音となってゆくのかは後述するが、巻頭となり、ないし上位の成績を取り始めた時代の主調音は、繰り返しになるが耽美な「ぬばたまの黒飴さはに良寛忌」「老残のことつたはらず業平忌」ではないことに注意したい(それでもこの2句は寂し気な、やや消極的な作者の内面を匂わせていることは共通しているが)。さらに「長靴に腰埋め野分の老教師」のやや詰屈でその内容が優先してしまっている時期と全く違うことは注意してよい。同じ『咀嚼音』の作品であるが、前者はその後の『枯野の沖』につながるが心象俳句、後者は『合掌部落』につながる社会性俳句の根になる俳句であった。

 余りにも多い句なので、能村登四郎を代表する句を少し選んでみる。


咳なかば何か言はれしききもらす


 「咳」はその後登四郎句に頻出する素材だが、それはほぼこの句に始まると言ってよいだろう。巻頭ではないがその直前の巻頭次席の句であり、実際はこの句で秋櫻子の注目を浴びたし、登四郎の成果は定まったと言ってよい。注目したいのは、そこに実体を伴うものが何もない点である。観念句ではないが、写実的要素は全くない。作者の心理ばかりなのだ。


うすうすとわが春愁に飢もあり


 この句も同様である。しかし、この春愁には戦後のはかなさがただよっている。具体的に言えば、給与の低さ、それに伴う貧しさ、不安定な職業からの未来への不安がその実体であろうし、「春愁に飢」を感じさせる原因となっている。決して現代のような豊かさの中の不安ではない。その意味では、明示してはいないが時代を詠んだ俳句を感じさせるのである。


春靄に見つめてをりし灯を消さる


 なぜ見つめていたのか、なぜ消されたのかの具体的な答えはない。しかし、春の夜の作者の置かれた状況、心理は当時にあってはよく納得されたのである。


部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす

たよりあふ目をみなもちて梅雨の家

黴の香のほのかなる書を手ばなしぬ


 梅雨の雰囲気をよく伝えている。というよりは、梅雨や黴に対して持っていた馬酔木の作者たちの共感がそれを支えている。敢えて言えば、これらの国独創性はない。登四郎が浸っていた心理的な共感を巧みに表現しているという感じが強い。ではその心理的な共感は何処から生まれて来たのか。


資料 能村登四郎初期作品データ。

(制作年月の次の〇数字は馬酔木集の席次。*は下位作品)


刈田のなか池ありあをき空を置く(23・1*)

高槻のそのたかさよりしぐれくる

茶の咲くをうながす晴とちらす雨


咳なかば何か言はれしききもらす(23・2➁)

かがみゐし人のしごとの野火となる

潮くみてあす初漁の船きよむ

ななくさの蓬のみ萌え葛飾野


ぬばたまの黒飴さはに良寛忌(23・3➀)

雪といふほどもなきもの松過ぎに

雪天の西うす青し雪はれむ

佗助やおどろきもなく明けくるゝ


雪の戸にけはひして人のおとなへる(23・4⑧)

匆々ときさらぎゆくや風の中

蓋ものに春寒の香のさくら餅

松の間に初花となり咲きにけり


弥生尽追ひ着せられて羽織るもの(23・5➁)

人いゆく柴山かげや春まつり

さく花に忙しききのふ無為のけふ

さくら鯛秤りさだまるまでのいろ


うすうすとわが春愁に飢もあり(23・6⑥)

春靄に見つめてをりし灯を消さる

摘むものにことば欠かねど蕗生ひし

畑すみに萌えいですでに紫蘇のいろ


部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす(23・7➀)

たよりあふ目をみなもちて梅雨の家

梅雨の傘抱きて映画に酔ひがたき

藺の花の水にも空のくもりあり


老残のことつたはらず業平忌(23・8③)

黴の香のほのかなる書を手ばなしぬ

白麻の着くづれてゐて人したし

白靴のしろさをたもち得てもどる


露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)

かぼちや咲き貧しさがかく睦まする・

かぼちやかく豊かになりて我貧し

病める子に蚊ばしらくづす風いでよ。


長男急逝

逝く汝に萬葉の露みなはしれ(23・10①)

供華の中に汝がはぐくみしあさがほも

汝と父母と秋雲よりもへだつもの

かつて次男も失ひければ

秋虹のかなたに睦べ吾子ふたり


白露の朝にはじまる言葉佳し(23・11③)

白露や子を抱き幸のすべてなる

秋草やすがり得ざりし人の情

日とよぶにはかなきひかり萩にあり


露幾顆散り惜しむとも吾子はあらず(23・12⑤)

鶏頭やきはまるものに世の爛れ

朝寒や一事が俄破と起きさする

林翔に

貧しさも倖も秋の灯も似たる。


咳了へてほのかにぞ来る人の息(24・1⓸)

わが胸のいつふくらむや寒雀

枯芭蕉どんづまりより始めんと

炭は火となるにいつまで迷ひゐる


霜ばしら怒りは内に燻ゆらすな(24・2③)

手袋やこの手でなせし幾不善

またけふの暮色に染まる風邪の床

かけ上る眼に冬樫の枝岐る

  殿村兎糸子氏を新人会に迎えて

朱を刷きて寒最中なる返り花


凩と言へどそれぞれものの音(24・3⑨)

遠凧となりてあやふき影すわる

水洟を感じてよりの言弱る

冬百舌の裂帛にわが虚を衝かる


老梅を愛して物を卑しまず(24・4⑤)

新雪の今日を画して為す事あり

卒業生言なくをりて息ゆたか

風邪熱を押して言葉にかざりなき


●戦前作品

芦焚けば焔さかんとなりて寂し(14・2*)

枯山の星するどくてひとつなる(15・12*)

蒲の穂のしづかなれどもふれあひぬ(16・11*)

盆のものなべてはしろくただよへり

寝返ればふたつとなりぬ遠蛙(18・6*)

四五枚のいつも雪解のおくるる田(19・4*)

いつの間にみてゐし雲や春の雲(19・5*)

朝は子とゐし緑陰や人のゐる(19・8*)

ひとりゐる蘆刈に鳰もひとつゐる(20・1*)


●戦後作品(受験子・教師俳句)

受験子の髪刈りて来し目のうるみ(24・4特別作品)

しづかにも受験待つ子の咀嚼音

あぢさゐの褪せて教師に週めぐる(24・8⑦)

氷菓もつ生徒と逢へりともに避け(24・9⑫)

長靴に腰埋め野分の老教師(26・4馬酔木コンクール受賞)

教師やめしそのあと知らず芙蓉の実