先ずは、斎藤信義第五句集の帯文を記載しておく。
最北の地にちりばめむ光る雪
『氷塵』『雪晴風』に次ぐ『光る雪』は、著者が目指した『雪』三部作で、北辺の俳人たらむとする意欲溢れる句業の証である。
真つ白く真つ暗くなる雪風巻(しまき)
一切の音消す雪となりにけり
ふかふかの雪ふかふかの北狐
一握の雪もて面をぬぐふかな
雪の上に鷲が狩跡のこしけり
雪風巻(ゆきしまき)は、雪が降っている時に吹く強い風のこと。「吹雪」とも言う。真っ白くて真っ暗くなる。その荘厳な雪の白と闇の黒のどちらでもある雪風巻の自然の脅威。
一切の音を消すのが雪と捉えるのも。ふかふかの雪と北狐のリズミカルな対比も。恐らく伝統行事に使われるだろう面を一握りの雪を溶かしながら拭く所作も。鷲の狩跡が雪の上に見出す慧眼も。最北の地に生きる俳人の誇りが、様々な雪への拘りを俳句に昇華させている。
林立の土筆の浄土さまよへり
合掌の形に芽ぐむものばかり
手の平に沙羅一輪の湿りかな
この斎藤信義の仏への世界観が、この風土に向き合う感性を内包している。
林立する土筆の浄土のようにも感じながら彷徨うことも。
合掌の形で芽吹くものばかりの把握も。
手の平の沙羅一輪の湿りにも、それぞれに生命の存在感と宗教的世界観の融合が豊かな斎藤信義俳句の世界観を育んでいるようだ。
鳥獣の気配まで消し山ねむる
蠟涙のごとく凍りし飛沫かな
死はかくも身近や遡上鮭の群
夕川原ほつちやれ鮭の頭蓋骨
緑陰のやうなる水族館ありぬ
托卵といふ一芝居打つて鳴く
草毟り過ぎて猫背になりし母
鳥獣の気配まで消してしまう。そんな感受性が「山ねむる」の冬の季語を輝かす。
蠟涙とは、蝋燭 (ろうそく)から溶けて流れた蝋を涙に例えた語。蠟涙のようにそこに水の飛沫を凍らせている。その観察眼の表現力に脱帽だ。
鮭が次の世に生命を繋ぐために遡上鮭の群が天を目指して逆流する滝のようにも昇天するようにも見えてくる。その漲る生命感なのに夕川原に放置されている鮭の頭蓋骨と同じくらい死が身近なのだ。
緑陰のような水族館の比喩の的確さも。
托卵の一芝居を打って鳴くという物語性を創造したり。
草を毟り過ぎて猫背になった母と把握する哀切感も。
最北の風土を詠む俳人のあるがままの俳句が、人間も含めた大自然の生命や風土を鮮やかに描き出している。
下記の共鳴句もいただきます。
骨董となるかんじきと馬の鈴
をのこらは薄氷に乗り村離る
足の指ひらき伸びきる春の猫
永劫といふ死後ありや春の闇
ひとひらの詩か草叢の蝶の翅
鞦韆に胎盤乗せて漕がずゐる
赤鬼の泪なるかもさくらんぼ
錆釘のあたまに塩辛蜻蛉かな
銃眼に蓋あり合歓の葉の睡り
立上がりしは闘争の北きつね
運命のとびらが見えぬ蔦紅葉
握りゐる唖蟬の震へ身を廻る
姥百合の群れなす竪穴住居跡
初冬の気圧が脳をゆさぶれり