北大路 翼(きたおおじ ・つばさ)は、もう既に第一句集の『天使の涎』(2015年刊、邑書林)、第二句集『時の瘡蓋』(第二句集、2017年4月刊、ふらんす堂)、第三句集『見えない傷』(2020年6月刊、春陽堂書店)、第四句集『流砂譚』(2023年3月刊、邑書林)が出ているのだが、遅ればせながら『天使の涎』を私なりに句集鑑賞しておきたい。
2009年に大変な話題となった新人発掘のアンソロジー『新撰21』のひとりで私も参加していたのでこの俳人・北大路翼の存在を知ったし、面白い俳句だなーというのが北大路翼俳句の初見だった。
コインロッカー雪兎の育つ
雪兎(季語は冬)は、盆上に雪でウサギの形を作ってユズリハの耳とナンテンの実で目を燈すのだが、コインロッカーという現代的な題材から大都会の駅の喧騒の中の片隅を私は思い浮かべてしまう。そんな処に雪兎が育つ。サバイバルな大都会の此処に生きているからこそ雪兎と遭遇し、こんな俳句を感受できたのではないか。そこには、俳人の観察眼というよりもサバイバルな大都市を生き抜くための洞察力を否が応でも培っていかなければならない。そんなサバイバルな緊張感が句集の奥底に流れる川のようにある気がした。
俳人としての観察眼としても秀句が多くて選びあぐねるほどで「携帯を開く流氷軋む音」「打ち首のやうな人参スープカレー」「不夜城のてつぺんにある鼠捕り」「眼から乾きだしたる羽化の蟬」「油蟬カレーを煮込むよりも鳴く」「太刀魚の折れて図鑑に納まりぬ」「弓道部の素足のやうな新豆腐」など数珠玉の俳句群。
いつまでも立てざる金魚掬ひの子
雷が落ちたみたいなジャンボパフェ
マンホール汚れて十薬花盛り
空蟬を運んでゐたるベビーカー
たんなる俳人の写実としての観察眼ではなく金魚掬いの子の没頭ぶりを北大路翼の洞察力がより深い物語性を掘り下げている。
またダイナミックで斬新でドストライクな粋な比喩でジャンボパフェの存在感が立ち現れる。
それは、他の俳句にも顕著に「病弱の彼にドラキュラ役をやる」の洞察力に情景が加わった俳句や「蟋蟀と鈴虫だけのオフ会です」「雪踏んで千のスーツの緊張感」のような現代社会を活写するような鮮明なnewドキュメンタリーの写真のような時代の目撃者になりえる俳句たちでもある。
流星のようなマンホールから溢れ出す現代人の消費の産物の汚物や汚水で苔なども生えて汚れているその一帯には、十薬が花盛りである。其処に詩的な俳句を見い出したのもあっぱれだ。
普段から外に置いていたのだろうか。ベビーカーでスヤスヤと寝入る赤子や母親たちには見えない視界でベビーカ―の傍らにしがみ付く空蟬を発見する。
俳人・北大路翼のこの句集は2015年に発刊されているのにまだまだ俳句の輝きは、色褪せることがない。
次の戦争までしやぶしやぶが食べ放題
テレビや新聞のニュースでは、日本も関与するアメリカの戦争がイケシャーシャーと流れている。
ラッパーの友人にこの俳句を紹介するとラップでも肉とかに喩える。そのラッパー同士のバトルで相手を婉曲にカッコよく揶揄するのがあるという。
カッコ悪い表現とイカシタ云い回しとでラップの勝敗の歓声が際立つという。
この俳句もいっ見するとシャブシャブ食べ放題に夢中な現代人が次々と戦争が展開されるこんな時代のニュースの川音を掻き消すように現代人の欲望を喰い散らかしているようだ。
投石に夏のすべてを捧げたわ
こういう飲み屋のママさんの証言を引き出したらかっこええなー。だが北大路翼俳句の物語は色褪せることのないエンターティメントなのだろう。
団栗やごろごろとゐる鬱の人
団栗を敷き詰めたような現代社会の森には、ごろごろといる鬱病の人。
エンターティメント性の中にも、現代社会への鋭い洞察力で掘り下げた俳句があることも特筆しておきたい。
俳人としての北大路翼俳句の秀句について長々と前置きをしてきたのだが、その『天使の涎』は、第7回田中裕明賞(2016年)受賞作品で大変な話題作だった。
その受賞者の言葉と選考委員の言葉を引いておきたい。
僕に出来るのは戦ひ続けることだけである。傷つけ過ぎて俳句を殺してしまふかも知れない。僕が死ぬか、俳句が死ぬか、屍派は常に命を賭けてゐる。(北大路翼)
この句集には胸に響くものがあって、それは一過性のものではないと感じた。ただし、私としてはあまり見たくないような作品がその数を超えている。かといって、それらの作がなかったらこの句集は面白くない。それをどう私の中で位置づけよう。少なくとも作者は、この句集において、世間にも読者にも、そして俳句という詩型にも甘ったれていないのではないか。それかなと思う。 そう思ってこの句集を今回の田中裕明賞とすることに賛成した。(石田郷子)
『天使の涎』は歌舞伎町という舞台に徹底的にこだわって圧巻だ。花鳥諷詠と現代風俗の融合が奇観をなす。掃いて捨てても惜しくない俳句の多さに閉口しながらも、読み終えると「マフラーを地面につけて猫に餌」「俺のやうだよ雪になりきれない雨は」といった句が塵の中でせつなく輝く。(小川軽舟)
『天使の涎』の評価は悩ましかった。「引つ張り合ふ女の喧嘩鳥交る」「ストリップ最前席の深海魚」「杉花粉飛ぶ街中が逃亡者」「飲めばすぐ戻る機嫌や尿に虹」「ゴミを轢くゴミ収集車春日射す」「綿菓子のやうなおかんを連れ歩く」「秋の雨猫の骸を撫で続け」「店員がかはいいだけでよき師走」「透き通るやうな白さや蛆がわく」「サンタかもあそこで休んでゐる髭は」「おーいお茶はおしつこの色春霞」「驚けば花咲く秋の墓場かな」など呆気にとられつつ惹かれた句は多々。特異な句柄ながら俳句として十分に楽しめる。ふつうの「巧さ」と異質の、この作者独自の「読ませ方」が仕組まれているのではなかろうか。(岸本尚毅)
北大路翼句集は、矢野に負けず劣らず優れたことばの感覚を持ち、かつ都会に生きる大衆のエネルギーを力強く表出している。痛烈な諷刺精神を貫く一方、季語の処理など技術的にもレベルが高く、田中裕明賞にふさわしいと判断した。(四ツ谷龍)
2015年の俳人のサバイバルな大都会の森を等価で其処に生きる眼差しが、活き活きと活写しているように鮮明に脳裏に焼きつく俳句そのものを楽しめるので此処では、私の俳句鑑賞を割愛したい。
私の共鳴句をいただきます。
キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事
風俗店を貫くエレベーターの寒
先客にハゲデブオタクスイートピー
寝袋を抜けて建国記念の日
ストリップ最前席の深海魚
缶拾ひの縄張りに入る揚羽蝶
お寿司屋で二度聞く開幕投手の名
酒気帯びのサンタが悲しいこと歌ふ
解体中のコマ劇場の松飾り
四トン車全部がおせち料理かな
夏盛ん腹に一本鞭のあと
新宿を見下ろしてゐる裸かな
血と肉と油のこびりつく銀河
初雪や警察官が四千人
犯人と思はれてゐる花の下
金魚鉢から働く人を見てゐたる
髭伸ばし放題冷やしジャージャー麺
雑炊をわけあつてゐて好敵手