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2024年8月23日金曜日

【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測255 俳人協会賞受賞者 ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる 筑紫磐井

 恒例の俳人協会賞が一月末に決まった。俳人協会賞にはよく知った人もいれば、協会賞の受賞で初めて知った人などまちまちであったが、今回は俳人協会賞の二人、俳人協会評論賞受賞者もよく知った人であった。おそらく彼らの作品については、俳人協会の機関誌「俳句文学館」、あるいは総合誌でその作品について紹介があるだろうが、少し立ち入って受賞した俳句作品以外の受賞者のプロフィルについても紹介してみたい。作品以外で紹介するのは邪道と言われるかもしれないが、読者にとっては興味深いと思われるからである。


●橋本榮治の多方面 

 句集『瑜伽』(角川文化振興財団)で俳人協会賞を受賞した。

 橋本は馬酔木に入会し、選者とは別に特に林翔や福永耕二の指導を受けていた。林や福永は沖の指導者であったから、当時沖にいた私と比較的交流の機会も多かった。どういうわけか、私とは「俳句研究」の赤塚編集長時代に超結社吟行会を何度か一緒した。鈴木太郎、鳥居三太、遠藤若狭男、小島健、灘谷まりうすや、時折小澤實、棚山波朗などもいた。この超結社のつどいを契機に、黛まどかの主宰する若い女性ばかりの俳句結社「ヘップバーン」との共同句会やその支援を行ったりした。多くのメンバーがフェミニストであったこともある。その後「俳句研究」の中西編集長時代に、「句集渉猟」と言う対談会を一緒したことがある。異例の二年以上にわたり膨大な句集を批判したのだが評判は良かった。

 こうした超結社のつどいは私とは別のところで、黒田杏子との句会や、同人誌「琉」の刊行などでも進んでいたようで、「馬酔木」編集長を務めながら、「枻」(雨宮きぬよとの共同主宰)を創刊、その一方で黒田杏子を中心とした同人誌「件」の編集長を勤めるなど馬酔木正統と言うよりはより遠心的な活動に進むことになった。

 その意味で、近年、金子兜太を顕彰・研究する総合誌「兜太Tota」を創刊して編集人となり、『林翔全句集』の刊行に当たり編集人となり、『黒田杏子の世界(仮称)』の編集にとなったがその何れも私も参加しているのは奇縁だと思っている。


涼しさや乙女が鳴らす一の的

かの日より妻には妻の炎暑あり

八月が去る遠き蟬近き蟬


●千葉皓史の一部撤退

 句集『家族』(ふらんす堂)で俳人協会賞を受賞した。

 千葉は「泉」に入会し、石田勝彦、綾部仁喜に師事し、平成三年第一句集『郊外』により第15回俳人協会新人賞を受賞。その後、大木あまり、長谷川櫂とともに「夏至」創刊に参加した。しかし、その後は結社・同人誌からも遠のき、あまり目立った活動は見えなかった。今回の句集が2冊目、34年ぶりの句集と言うことで驚かされた人も多いと思う。

 理由ははっきりしている。実は千葉は篆刻を本業とし、文具を始めとした雑貨を商う「Genro」を営んでいたからだ。この名は千葉の篆刻の号である「玄蘆」にちなんでいる。更に同所に瀟洒な外装のカフェ「茶・いぐさ」も開店している。立派な実業家になったのだ。そしてこれを契機に町おこしに参画し、まちづくり協議会・まちづくり上井草の代表を務めている。一方、こうしたことから商店街のフリーマガジンの編集を行い、招かれて各地での講演に忙しい。俳人とはちょっと違う文化人となったのだ。千葉のまちづくりのコンセプトは、「雑木の株立ち」にあるという。一株の根から複数の幹が立ち上がっている状態が「株立ち」。一株の「株立ち」を植えるだけで、そこは小さいながらひとつの林が生まれる。まるで千葉の俳句そのものだ。句集『家族』を読むに当たって知っておきたい。

 さてなぜこんなに私が詳しいかと言えば、同じ町内の住人だからだ。千葉が俳句からしばらく引退している状況でも彼の近況は逐一見えていたのである。


金星の生まれたてなるキャベツ畑

水を打つ方へ方へと子が逃げて

雪解風そのとき母を失ひぬ

(以下略)

※詳細は俳句四季4月号参照