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2023年9月29日金曜日

【連載】『極限状況を刻む俳句―ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ-』上梓その後②(連続④) 大関博美

 令和5年6月14日、小田保氏のご遺族のお嬢様から、手紙が届きました。その後電話で話をさせていただきました。拙著の感想をブログ「俳句新空間」に載せさせていただきたいとお伝えし、ご了承をえました。

 まず、手紙の冒頭に、以前大関さんからの便りを、今は亡き母が「お父さんの作品を読んでくれた娘さんから手紙が来た」ととても喜んでいましたと、ありました。(以下電話での話を含めて引用する。)

   《この本を読んで父の生きた時代の戦争のこと、シベリア抑留の事を深く理解することが、できました。やはり父も千島列島での戦いが激しかったことを話しましたが、多くを語りませんでした。私は俳句をしませんが、句ごとに添えられた、解説がわかりやすく、また、全章のまとめを読んで、父が死の間際まで抑留俳句や広島の平和についての俳句を読み続けたのか、理解できました。この本を母にも読ませてあげたかった。姉が夏に帰省したら、この本を真っ先に読んでもらいます。》

 私からは、「私は、小田さんの著書に、この仕事をするように言われたように思ってい ましたし、くじけそうになる時は、何度もお父様の本を見て、自分を励ましていました」とお伝えし、電話を終わりました。

 信州塩尻の百瀬石涛子氏へは、手紙のやり取りは大変なので、私から一カ月を待ち7月3日に電話を入れさせていただきました。百瀬氏は今年99歳になると言い、現在は車椅子で過ごされているそうです。私の電話にこたえてくださいました。  

 《本が届いて、1週間かけて読んだよ。たくさん調べて書いてくれてありがとう。戦争当時のおらたちに分からないことまで、調べてあった。この本を次に人に貸して、又その次に読む人も待っている。あんたのお父さんと私は、ほぼ同い年だ。お父さんがシベリアの話をしなかったのはよくわかる。シベリアから帰っても生活が苦しくて、家族も守らなきゃならんし、シベリアのことは誰にも話せなかった。今でも俳句は、毎日詠む。シベリアの句もね。月一回の句会には、娘に連れて行ってもらうよ》

 百瀬氏にとっては、レッド・パージにより、国鉄を辞めざるを得なかったことが、長い沈黙の理由であったのだと感じる。百瀬氏の言葉から、私の父が子どもたちに対して戦争を語らなかったのは、戦争は勝者・敗者の別なく、加害者と被害者をうむこと、その体験が凄惨な体験であることから、思い出したくない、家庭に戦争の影を落としたくない、平和な家庭を守りたいという一念のあらわれだったのだと感じた。

 私の父と同年の百瀬氏には長生きし、健吟を続けてほしいものだと思います。(つづく)