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2023年7月28日金曜日

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑧ 「山羊の乳」鑑賞  久世裕子

   有馬朗人先生は「天為」十八号で、「どこか新しいことは、自然科学の研究の最低条件であるが、文芸の世界でも同じである」と書かれている。また「天為」二十号で、「見たり聞いたりする角度を、少し変えてみることは、新しいものに触れる一つの方法である」とも書かれている。

 有紀子さんの「山羊の乳」には、その「新しさ」を感じる句の数々が並ぶ。そして、それらの、十七音にきっぱりと収まる省略の効いた句姿に憧れを感じた。その中から三句を取り上げて私なりの鑑賞をしてみようと思う。


惜春の粉糖すこし食みこぼす 

     

 ガトーショコラだろうか。雪のようにかけられていた粉砂糖がテーブルクロスあるいは衣服に、わずかながらこぼれ散らばり落ちる。暑い季節へ進むにつれさっぱりした軽い味わいを好むようになるもの。その前にと楽しんだ、濃厚な味わいの重めのケーキと、そこからひっそりこぼれ散る繊細な粉砂糖との対比。友人との楽しいティータイムの語らいの華やかな賑やかさと、粉砂糖の白くはかない静けさとの対比。粉砂糖がとにかくせつない。

 この句の十七音のうち十一音が静かな無声子音から始まる(セ・キ・シュ・フ・ト・ス・コ・シ・ハ・コ・ス)。さらにその十一音のうち七音は息を漏らす無声摩擦子音から始まる(セ・シュ・フ・ス・シ・ハ・ス)。「惜春」「粉糖」等の言葉の選択で、まるで溜息のような調べとなっていることにも注目した。


花の種採るほろほろと児の言葉  

      

 花の種を手に受けて採り慈しむように、まだ覚束ないながら懸命に話す子の言葉を聞き洩らすことのないよう大事に受けとめ、その思いを汲み取っている様子が浮かぶ句だ。「ほろほろと」の表現で、句集の表紙の花々が頭に浮かんだ。表紙の雰囲気が有紀子さんによく合っていて素敵で「スカビオサ、かな?」と、ひとしきり眺めた後だったからだろう。小さく飛ばされていくような種が、成長しやがて花が咲くように、まだ弱く断片的な言葉たちは、そのうち文となりしっかりと思いが伝えられるようになっていく。今はその過程、とゆったり見守る温かいまなざしが見え、たおやかな花々の優しい色合いが心に広がった。 


口笛に澄みゆく眼夏の果      


 眼が次第に澄んでゆくほどに口笛を響かせている。それ程に口笛を吹きたくなる時とはどのような時だろう。普段の生活で、知り合いが口笛を長く吹いているところに出くわすことが無い。口笛は、人目に付く場所ではあまり吹き続けないのではないだろうか。

人が口笛を吹き続けたくなる時とは(それが生業では無い場合)

夕暮れ時など哀愁そそる時間帯

遠くまで見渡せる視界の広い場所

辺りに自分たちの他に人がおらず万が一見られてもそれが知り合いでは無い旅先

という三つの条件を満たし、且つ心がすっきりと洗われた時ではないかと考えた。

 さて、口笛を吹いているのはご本人かあるいは隣にいるお子さんか。夏の終わりのせつなさ、旅情、遥かなる美しい景色とそれに対峙する人間の孤独や決意までもが、定型十七音で見事に表されていると感じた。


 そしてまた、数々の句に、有紀子さんの「他者を思いやる心」を感じるが、私もその恩恵を受けている一人である。昨年、天為若手句会というリモート句会を立ち上げられ、地方の同世代のメンバーが共に俳句を学べるよう尽力下さっている。私にとって、地元の句会とはまた違う、たくさんの刺激と学びがあり、緊張しながらも待ち遠しい時間となっている。この場をお借りして改めて感謝の気持ちを表したい。

 有紀子さん、いつもありがとうございます!

(「天為」2023年6月号より転載の上、加筆修正)


プロフィール
久世 裕子(くぜ ひろこ)
富山県富山市在住
昭和四八年生

「天為」・「花苑」会員