【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2023年3月24日金曜日

第200号

     次回更新 4/7

豈65号 発売中! 》刊行案内

齋藤慎爾の現代俳句大賞の受賞・解説

【募集】第8回攝津幸彦記念賞  》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和四年秋興帖
第一(12/23)浅沼璞・のどか・関根誠子
第二(1/8)杉山久子・小野裕三・松下カロ
第三(1/20)仙田洋子・大井恒行・辻村麻乃
第四(2/3)岸本尚毅・神谷波・山本敏倖・ふけとしこ・小林かんな・小沢麻結
第五(2/10)曾根毅・木村オサム・瀬戸優理子・望月士郎・仲寒蟬
第六(2/17)眞矢ひろみ・林雅樹・加藤知子・花尻万博
第七(2/24)みろく・竹岡一郎・渡邉美保・衛藤夏子
第八(3/10)水岩瞳・堀本吟・渕上信子・下坂速穂・岬光世
第九(3/17)依光正樹・依光陽子・佐藤りえ・筑紫磐井
第十(3/24)なつはづき・中村猛虎


令和四年冬興帖
第一(3/24)仙田洋子・仲寒蟬・杉山久子

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第33回皐月句会(1月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第17号 発行※NEW!  》お求めは実業公報社まで 

■連載

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測242 玉藻を祝して ——星野立子・椿・高士の歴史

筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(32) ふけとしこ 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

英国Haiku便り[in Japan](36) 小野裕三 》読む

句集歌集逍遙 秦夕美句集『雲』/佐藤りえ 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス





■Recent entries
葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
3月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測242 玉藻を祝して ――星野立子・椿・高士の歴史  筑紫磐井

 [星野高士氏は句集『渾沌』によりこのたび第38回詩歌文学館賞を受賞されました。(2023年3月8日)]

●玉藻一一〇〇号記念

 令和4年11月12日、「玉藻一一〇〇号記念、星野椿プラチナ卒寿合同祝賀会」が品川プ リンスホテルで開かれた。来賓100人を含む250人を集めた盛大な祝賀会であった。千号を超える大結社の祝賀会で滅多にない祝賀会であるが、しかしそれだけではない感動的な祝賀会であることも付け加えておきたい。

 なぜなら、実は令和2年9月4日、「玉藻90周年、星野椿卒寿、鎌倉虚子立子記念館開館20周年合同祝賀会」が案内されたがコロナのため中止、令和3年9月3日同合同祝賀会が再度案内されたが再び中止、今回は三度目の正直としてがけっぷちの案内であったからだ。コロナの影響下で中止になったり規模縮小の祝賀会はよく見てきたが、ここまで根気強く企画された祝賀会はなかった。実際12日の祝賀会は、全く通常の会食や会話が行われており、コロナ以前の活況を呈していた。最もそのすぐ後には第八波が押し寄せてきたのだが。今後コロナの歴史で真っ先に思い出されるイベントとなることであろう。


●玉藻の歴史

 「玉藻」は、虚子が立子に昭和5年6月創刊させた初めての女性主宰者による俳句雑誌である。虚子は創刊号の消息で「私は本誌を女流の雑誌とし又俳句初心者の雑誌とし度いと思ひます」と述べている。創刊号を見てみると、山口青邨、赤星水竹居、池内友次郎、真下真砂子、新田宵子、星野よしと、本田あふひ、阿部みどり女、杉田久女、西山泊雲、池内たけしの顔ぶれが記事をだし、当時ホトトギスの中心作家である4Sは一人も顔を出していないのも象徴的だ。中心の高浜虚子は「牡丹の芽(俳句5句)」「「俳句をどうして作ったらいいか」「文化学院生徒に俳句を教える」「立子へ」、星野立子は「理容院」「玉藻初句会」「著莪の花(俳句5句)」「手紙」を出している。虚子・立子の身内、女流作家、ホトトギスの重鎮が轡を並べているが、文芸雑誌というよりはごく身内の雑誌と言った方がいい。それだけに杉田久女が顔ぶれに入っていることにほっとしたものを感じる。おそらく昭和6年の馬酔木独立という激動期の直前のホトトギスにとっても絶頂期の姿と言ってよいだろう。

 俳句選は、虚子・立子共選の「一人一句」(5句応募して1句しか採られない)、課題句選(創刊号は本田あふひ、阿部みどり女。翌月から青木稲女、杉田久女が行う)があり、いずれも圧倒的に女性会員が多い。

 この中でも圧巻は、虚子の「立子へ」だろう。我々は、岩波文庫に収録されている「立子へ」を読むことにより、虚子のその他の俳話、「虚子俳話」「俳句への道」などと同様ホトトギス俳句の神髄を語っているように思うが、「玉藻」に掲載されている第1回を読むとき別の感覚を抱く。その他の俳話が虚子の講演会とすれば、「立子へ」は虚子・立子の二人芝居(それも虚子だけが語り立子は聞き役で相槌だけを打つ)で、我々はその舞台の観客に過ぎない。そう、新派の芝居――我々はそこに親子の情だけを感じればよいのだ。


「立子、お前に雑誌を出すことを勧めたのは全く突然であつた。」

「お前に雑誌を出すことを勧めた理由はまだお前には話さなかつた。ここに少し其理由を言つて見やうと思ふ。」

「今度早子[椿氏のこと]が生まれてから愈々束縛が多くなつた。お前も、もう俳句は作れさうも無い、と言ふやうになつた。私は愈々残念なことだと思つた。そこで思ひついたのはお前の手で雑誌を出すことであつた。」

「お前等二〇代三〇代の若い女を中堅にして雑誌を編輯して見ると云ふ事は面白い事だと思ふ、何物にも拘束されず、自分達の要求するままに、傍若無人にやつて見るがよからうと思ふ。」

「私の如き老人は唯遠巻に背後にあつて、お前等の要求に任せて助力する。」


 親子の情がよく伝わる一方、「玉藻」と言う雑誌の原動力が星野椿の誕生と言う個人的な事情であることもよくわかる。「玉藻」に星野椿は欠かせないのだ。祝賀会の趣旨の椿の卒寿を祝う意味もここではっきりする。星野椿の歴史・生涯は玉藻の歴史でもあるからだ。

      (以下略)

※詳しくは俳句四季2月号をご覧下さい

ほたる通信 Ⅲ(32)  ふけとしこ

帰らうよ


弥生とはうるみはじめし星ならむ

動かねばならず木の芽もわたくしも

春昼や脂の噴き出す松の幹

プーさんの短き上着春の雲

ぶらんこへチャイムがとどく帰らうよ

・・・

 海底耕耘船と読めた。

 神戸市西部の漁港へ吟行した時のことである。係留された漁船にそう書かれていたのだ。海底耕耘とは何ぞや? 耕耘という言葉は知っている。耕耘機も知っている。でも海底耕耘とは初めて目にすることであった。ましてや海底耕耘船とは。

 瀬戸内海が奇麗になり過ぎたと話題になっていた時期があった。

 いわゆる富栄養化問題が取り沙汰され、魚が獲れなくなった、海の汚染が原因だ、流れ込む物を規制しなければ、ということでその取り組みが始まり、少しずつ水質の改善がなされていった。ところが「水清ければ魚棲まず」と、まさにその通りのことが起きた。漁獲量も規制され、成果が期待されたにも拘わらず、獲れる魚は減ったままであった。

 漁師達が獲り過ぎるからだと非難され、当の漁師達もそうかも知れないと思ったり、水揚げした魚の育ちの悪さを嘆いたりして海を離れる人も出てくるようになった。

 以下は俄か仕込みの知識。浅はかな書き様しかできないが……。

 漁協や大学の研究チームの人達が思い至ったのが農業のやり方だったという。土を大事にしている。耕したり、肥料を与えたりしながら作物を育てているではないか、ということであった。水質だけが改善されても、海底そのものが衰えてきているのではないかというのである。そこで、海底を耕す、つまり堆積して硬くなったヘドロなどを攪拌してはどうかというところへ話が進み、海底耕耘プロジェクトなるものが立ち上げられたのだとか。

 漁船に鉄の爪の付いた道具を引かせて引っ張ってみようという話である。参加する船は休漁してその作業に当たることになる。が、海は広い。漁船は小さい。場所を定めて何往復もして……聞いただけで気が遠くなりそうだ。

 食物連鎖をいうが、その初めのプランクトンなどの最小生物が増えるには有機物が必要である。海底の沈殿層や堆積層が搔き回されて、息づくようになってくれれば、という期待がかかったのである。

 畑の作物は手を入れれば応えてくれるのが分かるが、海の底とあっては、なかなか目に見えるものではないだろう。それでも耕耘した海域にはプランクトンが増えて、底の泥や砂に棲む小生物が見られるようになっている、僅かずつではあるが魚も育ってきたようだと聞けば、何となく安堵する。

 そういえば、いつだったか明石の漁港で潜水作業をしている人達を見かけたことがあった。このプロジェクトと関係があったのだろうか。

(2023・3)

齋藤慎爾の現代俳句大賞の受賞・解説    筑紫磐井

  齋藤愼爾氏は深夜叢書社の代表であるが、自社以外に係る俳句、短歌、詩、小説など多くの文学分野に関する企画編集にかかわり俳句界に大きな影響を与えて来た。


 最初に注目されたのは雑誌や新聞での先鋭的な批評・時評であり、匿名も含めて無風の俳壇に強烈な刺激を与えた。私が最初に知りあったときは過激な時評で俳壇を批判していた。【主】【客】【主】【客】・・・の対話型の時評はユニークであり、激しい論難は、鎌倉時代の日蓮の「立正安国論」によく似ている。破邪顕正の筆法は当時の俳壇を震撼させたものであった。

 こうした批評を踏まえて数々のアンソロジーや編集企画に参加した。代表的なものでは、「アサヒグラフ」増刊号の7回にわたる俳句特集、朝日文庫「現代俳句の世界」16巻、三一書房の「俳句の現在」16巻、ビクターの「映像による現代俳句の世界」がある。当時角川俳句の全盛期にあって、新興俳句や前衛俳句は逼塞させられていたが、齋藤の事業によって初めてこれらの正当な評価が行われることとなった。昭和後期に俳句を始めた青年たちに衝撃を与えた企画は多くこうした齋藤氏が関与していたのである。

 最近の例で言えば、『20世紀名句手帳』(河出書房新社)全8巻があり、明治の子規以来現在までの一万六千句を精選した壮大な叢書である。

 また戦後作家の『飯田龍太の時代 : 山盧永訣』 (現代詩手帖)、『金子兜太の〈現在〉 : 定住漂泊』(春陽堂)などで様々な視点を加えた評価を行い彼らの声価を定めた。最近戦後俳句を兜太と龍太で語る企画が増えてきたのも斎藤氏の影響であったということができるであろう。


 俳句実作の経歴も長く、秋元不死男の「氷海」に入会し、鷹羽狩行、上田五千石らと競いあった。しかし出版業に参加するとともに俳句は筆を断つこととなった、齋藤が俳句に復活するきっかけは寺山修司であった。晩年の寺山修司と俳句雑誌を企画し、「雷帝」の誌名まで決めたものの、雑誌は刊行されることはなかったが、以後斎藤は俳句に精進し始める。『夏の扉』『秋庭歌』『冬の智慧』『冬の覉旅』『永遠と一日』『陸沈』『齋藤愼爾全句集』等を刊行し、その先鋭的な作品は俳壇内部だけではなく吉本隆明等多くの分野からの賞賛を受けている。

 実は俳人で齋藤慎爾の句業を触れる人は少ない。ところが最近、高澤晶子の発行する年刊俳句雑誌「花林花」2023号(2023年2月26日)には、「俳人研究 齋藤慎爾」が特集され、高澤晶子、鈴木光影らが40頁にわたり齋藤慎爾を論じている。全句集を視野に入れた斎藤慎爾論としてはおそらく初めての特集であり、かつ現代俳句大賞受賞を受賞した時期に誠に時宜を得た特集であり、本論を読んだ人には是非読んでほしい1冊だ。

 ちなみに、俳人齋藤慎爾復活のきっかけとなった寺山修司との関係で言えば、寺山没後10年、他の同人たちとの協力により「雷帝」(創刊終刊号)を刊行し大きな反響を呼んだ。この他にも、寺山との縁は深く、寺山と齋藤を全方向から解剖した『寺山修司・齋藤愼爾の世界ーー永遠のアドレッセンス』(柏書房)が出されている。


 齋藤が手掛けた著者の顔触れの中には、春日井健、塚本邦雄、高柳重信、清水哲男、寺山修司、三橋敏雄、楠本憲吉、唐十郎、吉本隆明、倉橋健一、島尾敏雄、大岡昇平、松村禎三、徳川無声、五木寛之、宗左近、鶴見俊輔等各界の多彩な執筆者を抱えているのが特徴だ。もちろん一方で、多くの新人の発掘もしている。私の知っている人でも、堀本吟『霧くらげ何処へ』、江里昭彦『生きながら俳句に葬られ』、須藤徹『俳句という劇場』、正木ゆう子『起きて、立って、服を着ること』等のとても商売になりそうもない若手の評論集が出されたのは齋藤慎爾のおかげだ。私の『飯田龍太の彼方へ』も、「豈」にささやかな連載で始めた小品に注目して、長編評論集に書き下ろさないかと連絡してきたのだ。誰も読まないような短い評論に注目し、1冊の本まで完成してくれる伯楽ぶりは俳壇も感謝してよいものである。

 新人の顕彰という意味では、芝不器男俳句新人賞は最初から審査員を務めたし、埋もれていた才能を俳壇に紹介した。また俳句四季大賞、蛇笏賞等多くの俳句賞の選考員を務め素晴らしい見識を示したし、その意味でも、俳句の世界では忘れてはならない人であった。


 齋藤自身の著述に戻って、最もユニークなのは評伝である。瀬戸内寂聴を論じた『寂聴伝』『続寂聴伝』があり、美空ひばりを論じた『ひばり伝ーー蒼穹流嫡』で芸術選奨文部大臣賞を、山本周五郎を論じた『周五郎伝ーー虚空巡礼』でやまなし文学賞を受賞している。ちなみに東京四季出版から出た『吉行エイスケの時代』も忘れがたい名著だ。週刊朝日でレコード評をしていたりする(三一書房から『偏愛的名曲辞典』を出している)のも実に意外で面白い。


 あまり齋藤慎爾に触れる評論や評伝がないので現代俳句大賞受賞を機に論じて見ることとした。多くの人に、この多様な才能に関心を持ってもらいたいものである。

北川美美俳句全集32

(10年前の雪の景色である。何に了解したのかはよくわからない。――筑紫)


2014/02/15 (土) 19:34

了解しました!

群馬県では115年ぶりの豪雪です。屋根からの雪で押し潰されそうです。

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第33回皐月句会(1月)[速報]

投句〆切1/11 (水) 

選句〆切1/21 (土) 


(5点句以上)

9点句

セーター脱ぐ見知らぬ影をおくやうに(田中葉月)

【評】 脱いだ服が何か生き物のように思えて怖くなる時がある。そのセーターを自分の影と表現したのが面白い。──辻村麻乃

【評】 比喩が素晴らしい。若々しく、微かな哀しみも滲む。──仙田洋子

【評】 身体を温めるセーターを「影」と感じ取る「孤独」の描写のしかたに惹かれた。──堀本吟

【評】 脱ぐまでは自分と一体化していたセーター。脱いだ途端それはただのモノになった。「見知らぬ影」が言い得ていると感心した。──依光陽子


8点句

脱ぎ捨てし手袋いつも過去を指す(中村猛虎)

【評】 手でも指でもない、手袋がいい。──筑紫磐井


7点句

手際よくラップに包む初昔(妹尾健太郎)

【評】 昨日のことになってしまったできごとや記憶は、冷蔵庫(冷凍庫)におさめておけばいつでも取り出せる。捨てるには惜しいものの今の用には無益である、という実用品として保存されるところが、今風の感覚である。「ラップに包む」というところに明るい毒がある。──堀本吟


一月一日一重まぶたの妻といる(望月士郎)

【評】 おめでたい数の一が重なるという符丁をうまく使って、ついでに妻を誉める。年頭のドメスティックなサービス精神。普段ならこんなことは照れくさくて言えない。──堀本吟

【評】 一一一の地味な並びが素敵だなあ!昔、あこがれは真行寺君枝の様な切れ長の、揺れる眼差しにだったが…?いつも隣には、二重瞼の大きな目があった(類は友を呼ぶ?、私は二重のドングリ眼!)…、一一一がいい!──夏木久

【評】 言葉の遊びのようだが、夫婦の本質をついている。漱石の『明暗』の細君も一重瞼であったような記憶がある。──筑紫磐井


6点句

富士塚の上の人にも御慶かな(辻村麻乃)

【評】 〈富士塚〉と、間接的に目出度い景物を出した処が上品な手筋で、一句の姿の宜しさとなっています。──平野山斗士

【評】 富士塚から富士山は見えたでしょうか。いずれにしても、お正月らしいめでたい句。季語が効いている。──仙田洋子


5点句

出逢わないかもしれない立体交差 春(夏木久)


めしべから眠り始める返り花(松下カロ)

【評】 芯の太い雄蘂よりも細い雌蘂から萎れてゆくことを発見したのでしょう。返り花の弱々しさを雌蘂に焦点を当てて見事に描写されています。──篠崎央子


目と口と同時に開くや木偶回し(西村麒麟)


(選評若干)

冬薔薇逢へば烈しきことばかり 4点 真矢ひろみ

【評】 恋愛はかくありたい。仙田洋子の「雷鳴の真只中で愛しあふ」(仙田洋子)を思い出す。──筑紫磐井


ものかげを出でものかげへ初鴉 4点 小沢麻結

【評】 寒鴉だと陰鬱な句になってしまうが、初鴉なので、影とめでたさとのバランスがとれている。──仙田洋子


象のみる翔ぶ象の夢春隣 4点 真矢ひろみ

【評】 咄嗟に摂津さんの「生き急ぐ馬のどの夢も馬」を思った。しかし、こちらの作品は有季定型でそのトーンは明るい。動物が同種の動物の夢を見るという骨格だけしか似ていないとも言える。レントゲンを撮ったらそっくりな二人みたいなもの、しかし換骨奪胎という言葉もある。──妹尾健太郎


ひめ始め黒髪が火となることも 3点 篠崎央子

【評】 上品な言葉遣いだが、読みようによってはやけに生々しい。『愛のコリーダ』の映像ではないか。


猿廻し子らの視線の先は猿 2点 千寿関屋

【評】 子供はこういうものですね(笑)──仙田洋子


初空の浜の足痕無限かな 2点 平野山斗士

【評】 初空の季語が良く効いている。浜の足痕は自分のものだか、他の人のものだかは解らない。それがずっと続く光景は良くあるが、初空にすることで、無限への期待感が生まれる。自分のものなら過去へ、他の人のものなら未来へ。──山本敏倖

【評】 よく読むと不思議な光景。誰がどこまで歩いて行ったのだろうか。──堀本吟


初御籤末吉上等待ち人来る 1点 水岩瞳

【評】 こんな人生観が俳句なのであろう。短歌にも、現代詩にも、小説にも、戯曲にもならない。我々の生活の一瞬である。波郷は「俳句は文学ではない」と言っていたのはこんな謂。──筑紫磐井


捨てられぬ手紙よどんど火が果つる 1点 篠崎央子

【評】 捨てられぬうちにどんどが果てた。──依光正樹


初春の日差し走者の髪に跳ね 3点 小沢麻結

【評】 箱根駅伝だろうか。新春のめでたさ、懸命に走る走者の若々しさに惹かれる。日差しの跳ねる様が美しい。──仙田洋子


うさぎとも見える蜜柑を剥いた皮 3点 小林かんな

【評】 皮の裂けている残骸がなるほど。そう思えばそう見える。卯の年の今年だからこそ蜜柑の皮でもおめでたく見える。──堀本吟


2023年3月10日金曜日

第199号

    次回更新 3/24


豈65号 発売中! 》刊行案内

秦夕美の死と句集『雲』  筑紫磐井 》読む

パンデミック下における筑紫磐井の奇妙な追想  竹岡一郎 》読む

現代俳句大賞に齋藤愼爾氏

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■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和四年秋興帖
第一(12/23)浅沼璞・のどか・関根誠子
第二(1/8)杉山久子・小野裕三・松下カロ
第三(1/20)仙田洋子・大井恒行・辻村麻乃
第四(2/3)岸本尚毅・神谷波・山本敏倖・ふけとしこ・小林かんな・小沢麻結
第五(2/10)曾根毅・木村オサム・瀬戸優理子・望月士郎・仲寒蟬
第六(2/17)眞矢ひろみ・林雅樹・加藤知子・花尻万博
第七(2/24)みろく・竹岡一郎・渡邉美保・衛藤夏子
第八(3/10)水岩瞳・堀本吟・渕上信子・下坂速穂・岬光世

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第32回皐月句会(12月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

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■連載

【抜粋】〈俳句四季1月号〉俳壇観測241 処女句集の氾濫 ——新人が一斉に輩出された40年前の風景

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](36) 小野裕三 》読む

北川美美俳句全集31 》読む

句集歌集逍遙 秦夕美句集『雲』/佐藤りえ 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(31) ふけとしこ 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

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加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

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麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

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寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

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…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
2月の執筆者(渡邉美保)

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測241 処女句集の氾濫 ——新人が一斉に輩出された40年前の風景  筑紫磐井

 「俳句四季」では1月号・2月号で40周年記念号特集を組んでいる。総合誌も栄枯盛衰があり、「俳句四季」はいまや角川の「俳句」に次ぐ老舗となっている。「俳句」は昭和27年創刊であり、戦後の新しい俳句秩序に向けて発信した雑誌とみてよいであろう。「俳句四季」は昭和59年創刊であるが、この時期何があったのかは必ずしも定かではないようだ。

 そこでこの「俳句四季」創刊当時の風景を眺めてみることとしたい。実はこの時期の風景を語るのに欠かすことのできない新興出版社があった。四季出版でないのは残念だが、この出版社があったからこそその後の俳句ブームが生まれ、その出版社・牧羊社が出版業界から姿を消した後、「俳句四季」等がそのブームを引き継いだともいえるのである。

 牧羊社の画期的であったのは、「処女句集シリーズ」と銘打った廉価版(ペーパーバックスで70頁200句程度、定価一〇〇〇円)で若い作家に焦点を置いたマーケットを開いたことだった。当時若い作者が句集を出すことについては結社内では否定的な意見が強く、かつ句集出版の資金も莫大にかかったから、牧羊社の企画は若い作家にとって願ってもないことだった。また、この企画は結社単位で行われていたから、結社にとっても他結社と競うためには若い作家をこの企画に参加させざるを得ず、相対的に若手作家の結社の中での地位が高まっていった。これは印象であるが、「処女句集シリーズ」が生まれてから、各結社の新人賞の創設が増え始めたように思う。

 魁に当たる「処女句集シリーズⅠ」は59年から開始した全56巻の叢書で、当時このシリーズで第一句集を刊行した作家は現在の60~70代作家のかなりを占めていると言ってよいだろう。代表的作家と句集名をあげてみる。

➀『明日』赤松湘子④『早婚』石毛喜裕⑥『風の扉』稲田眸子⑦『北限』今井聖⑧『坐』岩月通子⑫『満月の蟹』金子青銅⑬『全身』金田咲子⑭『雨の歌』片山由美子⑮『潤』鎌倉佐弓⑱『海月の海』久鬼あきゑ㉒『海図』佐野典子㉗『月明の樫』鈴木貞雄㉙『冬椿』谷中隆子㉜『桃』辻桃子㉞『父子』富田正吉㊹『破魔矢』星野高士㊽『平均台』松永浮堂㊾『十一月』松本康男 (51)『火事物語』皆吉司 (55)『深秋』吉田成子

  勿論結社の事情で若手以外の中堅作家も交じっているが、新鮮な顔ぶれであることは間違いない。のみならず、第一句集が総覧できることもありがたい。もちろんここから脱落した作家名もあるが、昭和50年代末をスタートラインに、若手作家が競争淘汰されていった過程まで目に浮かぶ。

 「処女句集シリーズ」は以後平成5年ごろまでⅡ~Ⅷと出され、収録作家だけで二百名近く、中にはⅠに劣らぬ多くの作家を輩出している。主な作家と句集を掲げて見よう。


Ⅱ⑤『砧』小澤實⑧『鶏頭』岸本尚毅 Ⅲ③『さくら』いさ桜子⑤『神話』遠藤若狭男⑩『髪』佐怒賀直美⑭『愛国』対馬康子 Ⅳ➀『海彦』赤塚五行⑥『岳』石島岳⑨『日差集』上田日差子⑯『海市』小林貴子㉖『浮巣』中岡毅雄㉗『蛍の木』名取里美㉚『檸檬の街で』松本恭子 Ⅴ➁『鶴の邑』藺草慶子⑧『気流』大竹多可志⑳『虎刈』寺沢一雄㉓『陽炎の家』高野ムツオ㊼『一葉』山本一歩㊾『雪意』若井新一 Ⅵ➀『祭酒』山口剛⑦『水を聴く』高浦銘子

 いかに爆発的に若手が俳壇に投入されたかがよくわかるであろう。

 実はこの「処女句集シリーズ」に前後し、牧羊社は「精鋭句集シリーズ」という企画も刊行している。

➀『火のいろに』大木あまり➁『氷室』大庭紫逢③『絢鸞』大屋達治④『鵬程』島谷征良⑤『花間一壷』田中裕明⑥『メトロポリティック』夏石番矢⑦『窓』西村和子⑧『海神』能村研三⑨『古志』長谷川櫂⑩『銅の時代』林桂⑪『芽山椒』保坂敏子⑫『午餐』和田耕三郎(これらは必ずしも第一句集ではない)

 牧羊社が売り出したい新人だったことは予想がついたが、その物量から言っても「処女句集シリーズ」が驚異的であったことは否めない。「精鋭句集シリーズ」が戦後俳句世代(飯田龍太や金子兜太ら)やそれに次ぐ準世代(鷹羽狩行や安倍完市ら)の後継を発掘育成しようとしていたのに対し、「処女句集シリーズ」は結社の時代を予見するかのようにあらゆる結社の内部にくさびを打ち込み若手を無秩序に発掘しようとしていたのだ。その意味では、本誌1月号の「特集・俳句の未来予測」で、私は「巨人の時代は終わった」と述べたのだが、巨人の時代から、巨人のいない時代に向かっての潮流を作ったということが出来るかもしれない。

        (以下略)

※詳しくは俳句四季2月号をご覧下さい


英国Haiku便り[in Japan] (36)  小野裕三


ブータンと南アフリカの英語詩

 先日、インド、ネパール、ブータン、日本に住む人たちをオンラインで結んだ詩の朗読会に参加した。唯一の共通言語はもちろん英語だ。僕は自作のhaikuを朗読し、インド人の一人の女性も自作のhaibun(俳文)を披露(もちろんhaiku付き)。興味深いことに、そんな彼らの詩は自国語からの英訳ばかりではなく、最初から英語で書いたと思われるものもあった。参加したブータン人の若い女性もそう見受けられたので、そのことを訊ねてみた。そして日本語を生きる僕には思いもつかなかった答えに驚愕した。

  「私の国のことばは、話しことば(spoken language)でしかなくて、書きことばとしての歴史がない。だから、私の国のことばで詩を書くことは難しいの」

 その彼女が詩を書く欲求を満たすために選びとったのが英語だった。自分の国のことばで詩を書けないのはさびしい反面、世界のいろんな人に読んでもらえて嬉しい、とも語る。彼女の話を聞きながら、これからは英語を母語としない話者による「英語詩」が世界に急速に広まるのかも、と思った。

 そんな話が面白いと思っていた矢先に、今度は別の機会で南アフリカ共和国に住む女性とオンラインで話した。彼女いわく、彼女の伯父さんは詩人で、反アパルトヘイトの政治的メッセージを持った詩などを書いたという。そんな彼女に、ブータンの詩人の話をすると、「私の国も似たような感じ。たぶんラテンアメリカの国もそんな感じじゃないかしら」と言う。彼女の国では、家庭内では英語ではない母語を話したり、あるいは英語を話したり、それは家庭によってまちまちだという。だが、社会的な公用語は英語で、だから学校ではみな英語で学習する。彼女の国の固有の言語は、やはり話しことばとしてずっと機能してきたようだ。

  「北アフリカはアラブ文化圏だから、書きことばとして残るものもあるけど、南アフリカは違う。私の国の詩や物語は口承文学なの。だから、中国や日本の古い詩や物語が書きことばで残っているのは羨ましくて、それは西洋文化への対抗手段(antidote)にもなると思うわ」

 彼女の国では、英語と彼らの固有の言語を混淆させて書く詩もけっこうあるという。例えば、主要な部分を英語で書きつつ、ポイントで固有の言語の台詞を挿入する、といったやり方だ。

 そんなふうに、ブータンや南アフリカの人たちは、英語という事実上の世界共通語に対する屈折した思いを抱えながら、その異言語に自分たちの詩の想いをぶつけていた。日本語を生きる僕の身からは想像もできない、不思議な詩の世界をインターネットを通じて垣間見た気がした。

※写真はKate Paulさん提供

(『海原』2022年7-8月号より転載)

北川美美俳句全集31

11月3日、豈の忘年句会と懇親会(第2回攝津幸彦賞の受賞(花尻万博)祝賀会を兼ねていた)。その後2次会で「K+」の打ち合わせ会となる。北川は遅れてやってきた記憶がある。(筑紫磐井)


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2013/11/04 (月) 1:32

パーキングエリアの樹木が色づいています。

私は遅刻でワケわからず高山さんの集まりに合流しましたが、豈の祝賀会は盛況なようで良かったです。ひとまず筑紫さんにお会いできて句集の話もでき、良かったです。

年内、岸本尚毅講座を受講予定。年明けは、里の寒稽古に参加予定です。来年は真神を終わらせたいです。

これからまたゆっくり帰ります。

ひとまず今日はありがとうございました。

北川美美


句集歌集逍遙 秦夕美句集『雲』/佐藤りえ

秦夕美句集『雲』は作者の最後の句集となった。
本編に入る前に、その一冊前の句集にあたる『金の輪』の話をしよう。

『金の輪』は2022年1月に刊行された秦夕美の第十八句集。題『金の輪』は小川未明の短編から採られたことがあとがきに記されている。長患いから回復した太郎は、金の輪をころがして遊ぶ少年を見かける。その見知らぬ少年に惹かれ、ついに夢の中で一緒に輪転がしに興じる。それから数日後、太郎は七歳で亡くなってしまう。小川未明自身が長男を六歳で失ったことが投影された話であるが、句集『金の輪』も死を色濃く意識した一冊である。

わが死にどころあぢさゐのうすみどり『金の輪』

八月や息するうちを人といふ

木蓮や死装束のとゝのはず

死神の片足ふるゝ雛の家

忌明けてふ風の吹くなり萩桔梗

急逝の小鳥はつかにかわく土

またの世をゆあーんゆあんと雪の橋

己の死に場所を俯瞰しているかのような一句目、呼吸の有無が人とそれ以外を分ける、端的な二項対立としてみせた二句目など、死をタナトスとしてあがめるでもなく、達観したかのようにふるまうでもなく、しかしその気配を確かに感じ取った作品が並ぶ。

こうした直接「死」につながる語彙をもちいた句のみならず、句集全体が死を彩るかのような、いわば最後の祭りめいた作りになっている。単独の句集としてはかなり異例と思われる初句索引と季語索引が巻末に付されている。

その一方、こんな作品も収録されている。

金の輪をくゞる柩や星涼し

薔薇に雨とても死ぬとはおもへない

胎内や渦まき昏るゝ飛花落花

「私何だか死なないような気がするんですよ」は宇野千代の言葉であるが、秦夕美の作品からもいくらかそうした超越的な気配を感じる。句集題『金の輪』を詠み込んだ一句目の柩に悲壮感は見られない。三句目は句集掉尾の一句で、胎内に花吹雪を撒き散らして舞台は暗転する。永劫回帰を象徴するかのような結末である。あとがきは「お世話になった皆さんありがとう」で結ばれ、作者はこの時、本当にこれが最後の句集と思い切っていたのであろう。

その半年後、2022年7月に個人誌「GA」89号が発行された。22×10センチほどの縦長のこの冊子は俳句作品・短歌作品・エッセイが収録されており、ラベル印刷、切手貼りなどにお孫さんの手を借りつつ、年2回こつこつと続けられていた。その最新号のあとがきを読んで筆者は驚いた。さらに句集を出すというのである。作者曰く「漢字一字の句集は持っていない」ので、『雲』という題の本を作ることにしたとのこと。驚きつつ楽しみにしていたこの句集が、まさか作者の訃報の後に届くことになるとは、思ってもいなかった。

句集『雲』は「蒼い雪」「白い月」「赫い花」の三章からなる。雪月花とトリコローレのかけあわせ。『金の輪』で死の討議を経た後、ふっきれたということでもないとは思うが、自在な句が繰り出される。

熟田津は月待つ汝は我待つか

雲呑を落すでもなく秋の川

贅沢は素敵戦後の秋は好き

白露かな土偶の一重瞼かな

魔王よぶあつけらかんと雪がふる

一句目は万葉集の額田王の歌「熟田津に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」から。歌には人々が満ち潮を待つ情景が詠まれているが、句のほうでは土地そのものが月を待ち、「汝」が「我」のことを待っている。対比構造を取ることで、「汝」が「我」を待ちかねているさまがより強調されてみえるが、果たして「汝」とは誰のことなのか。
二句目、三句目は攝津幸彦へのオマージュだろうか。「雲呑は桜の空から来るのであらう」「幾千代も散るは美し明日は三越」が浮かぶ。「贅沢は素敵」が「贅沢は敵だ」を換骨奪胎したフレーズで、脚韻でみちびき出された下の句へと繋がるさまが三越の句を思わせた。

八十島に防空壕の残る秋

余寒なほキーウに杖の影いくつ

昏れゆくやミッドウェーの春の潮

惜春のイラクねむたし星を抱く

戦後なり蜘蛛の囲ゆれてゐるばかり

日の本の雨の桜と赤紙と

日を招きかへす扇か戦時中

零戦の破片とおもふ月日貝

『雲』には戦争にまつわる句が夥しく収録されている。『金の輪』にもいくつかそうした句が見られるが、『雲』にはより明確に、戦争を題材とした句が並ぶ。自身が体験した第二次世界大戦のことだけでなく、二句目・四句目のように、現在進行形の戦闘地域も詠みこまれている。戦後七十有余年、平和などとは寝言であり、蜘蛛の囲のごとくぶらぶらゆれているのが現状だと、作者は暗に言っているのかもしれない。「招きかへす扇」は三橋敏雄「戦争と畳の上の団扇かな」をふまえてのことだろうか。

最後と覚悟した18冊目の句集を経て、いわばカーテンコールの句集を編むとした時、積み残し、ではないが、記しておかねばならぬ、と思ったであろう題材が、戦争だったことが、意外でありつつ、作者の原形質の一端だったのかと、感じ入るところがあった。これも美意識の一端であろうか、直接的に声高に叫ぶのではない、嫌戰が見える。

うるはしく老婆となりぬ七日粥

老いて買ふ夢と台湾バナナかな

背負投げしたき病や諸葛菜

自身の生老病死を率直なかたちであらわすことは作者の美意識からは避けるべきことと感じていたが、集中にはこんな句もあった。表現としてはナマなものとは言いがたいが、さっと差し出される「老い」と「病」の文字は、しかし機知で彩られ、愚痴めいたところがまるでない。なお「GA」89号によると、昨年(2022年)作者は階段から転落し、全治三ヶ月の裂傷を負っている。読み手の側として、旺盛な創作意欲から超人的な体力の持ち主と勝手に推測していた面があった。散文には時折、加齢や病に対する思い、体力増進のための行動などに触れられているところもあったが、自身の身体についての表現にも、言葉に拘り、美意識を貫いた作者らしさが滲んでいると思う。

句集に添えられたふらんす堂社主山岡氏の書面によると、作者は句集の校正刷りを確認したが、完成を待たず鬼籍に入られたとのことだ。生涯現役、という言辞はあまり美しくないが、この語を実現することは、実際にはかなり難しいだろう。作者が最晩年の二年間に二冊の句集を編み、俳人であり続けたことは、驚きに値する。

このまとまりのない文章を直接お見せできないことが残念でならないが、草葉の陰で「甘い」とこぼしてもらえていることをなかば確信して筆を擱く。最後に好きな句を挙げます。

白鳥は光ついばみつゝありぬ

寒梅に夢の始末の思案かな

木は立つて人は坐りてお正月

虹の街浮き足立つてゐたりけり

冥府にも北京ダックと夕焼と

風鈴やどくろは舌をもたざりき

平和てふ奥のおくには雲と薔薇

■ 第32回皐月句会(12月)[速報]

投句〆切12/11 (日) 

選句〆切12/21 (水) 


(5点句以上)

8点句

へその緒の桐箱匂ふ冬日向(飯田冬眞)

【評】 木の香立つ新しい桐箱。新しい命誕生の証のへその緒が収められている。清潔で柔らかな冬の日差しの祝福を浴びているようだ。──小沢麻結

【評】 そう言えば桐箱に入ってました。これは冬でないとね。──仲寒蟬


7点句

顔ぶれは変はらぬ村の焚火の輪(松代忠博)

【評】 常連さん、いつも同じような話。中の人には居心地のいい場所、外の者には近づきがたい。──仲寒蟬


三畳の艦長室や日記果つ(中村猛虎)


6点句

毛糸編む地球滅びるその日まで(内村恭子)

【評】 地球も生命も滅びようとも、愛する人への思いは不滅。──仙田洋子

【評】 案外そうかも。──渕上信子

【評】 「渚にて」を思い出します。──筑紫磐井


蓑虫は遠近法の外にあり(岸本尚毅)

【評】 見詰め見詰めているうちにクローズアップされて見えて来たという印象ですね。巧みな「云い表しよう」の一句と感受します。──平野山斗士

【評】 蓑虫が遠近法の外なら我々は内かな。──仲寒蟬


人事部に届くケーキやクリスマス(内村恭子)

【評】 組織管理の要である人と金。殊に人事は清濁併せ持つ世界。ケーキを受け取った人事職員はその意図をめぐって沈思。笑──真矢ひろみ

【評】 誰が食べるかでもめそうなケーキ。あるいはたくさんあって困惑されるケーキ。ケーキは喜びばかり届けるにあらず。──佐藤りえ

【評】 一瞬バブルの頃を思い出したが、「人事部」というのがこの句のミソ。けっこう古くからある会社で、きっと毎年クリスマスには社員にケーキを配るのが習わしなのだろうが、縮小を重ね、今は人事部で扱えるほどの量しかないのだろう。「総務部」に届いたのではないところが今の世相を表している気がする。──依光陽子


(選評若干)

猫塚に猫うづくまる漱石忌 3点 飯田冬眞

【評】 猫塚、猫、漱石忌とやりすぎの感はあるが、「猫うづくまる」が効いていて、独特の味わいがある。──仙田洋子


裸木や拳を何にあげるべき 2点 水岩瞳

【評】 裸木はまるで両手を挙げるような格好をしている。その様子と不条理への怒りの拳の対比が効いている。──辻村麻乃


むささびや夜のどこかにひらく火山 4点 仲寒蟬

【評】 〈むささび〉から〈火山〉への展開に驚きました。──篠崎央子

【評】 肢間にある皮膜を広げ、木から木へ滑空する夜行性のむささび。そのむささびを見上げた時、夜のどこかでひらく火山を感受。まったくの感覚とイメージの句だが、夜の存在が不思議な一寸景を呼び覚ます。──山本敏倖


討入日消しゴム買ってコーヒー飲む 3点 松下カロ

【評】 討入の日と消しゴムとコーヒーの関係性の解らなさに引力がある。意味ではないところでこころを鷲掴みにされた。──妹尾健太郎


浮鳥や歩行補助車(しゃ)の妻(め)に添ひて 1点 千寿関屋

【評】 基本的なことをお教えください。「歩行補助車の妻(め)に添ひて」と「歩行補助車の妻(つま)に添ひ」とどちらが良いでしょうか。──渕上信子


水占や曇天に乗る柿落葉 1点 山本敏倖

【評】 水占、貴船神社で見ました。「曇天に乗る」がうまい。──仲寒蟬