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2022年12月9日金曜日

澤田和弥論集成(第16回)  地酒讃歌

 地酒讃歌

澤田和弥 


 「地酒ありますよ」

と言われると、ついついそちらに目が行く。ほお、たくさんありますなあ。しかしながら正直なところ、よくわからない。友人たちはあれが好き、これが佳いと言うのだが、私にしてみれば、旨ければそれでよい。あと、お値段。よくわからないので店員さんに「このくらいの金額で、辛口のおすすめはどれ?」と尋ねる。餅は餅屋。酒は酒屋。そうすれば、その日のおすすめか、早く空にしたい酒のどちらかが運ばれてくる。そこで店の心を見定める。というような舌はあいにく持ち合わせていない。出てくる酒はことごとく旨い。日本全国よい心のお店ばかりということだろう。旅先ではその地の地酒を、故郷では故郷の地酒を。そういう手もある。地酒という文字を目にすると、それだけで喉が鳴る。地のものと合わせ、今宵の一杯としたい。勿論一杯で済む訳はないが。

  初鱈に地酒辛きを佳しとして  辻田克巳

 おっ。辛口がお好きですか。気が合いますな。初物の鱈。鱈はたらふく食べてこそ鱈。鱈鍋がよろしいか。鱈の身はもちろんのこと、だしも旨い。熱々のところに地酒を常温で。コップでもらおう。きゅいいと飲んで、ぷは。旨すぎる。さてさて煮え過ぎる前に鍋、鍋。民宿で炬燵にでもあたりながら。外は激しく風の音。気の合う友と三、四人で。男ばかりでも。いや、そう言いながら、そりゃ女性がいていただけるなら。ねえ。 

  地酒得て夫にさよりの糸づくり  野辺祥子

 さよりは春が旬。地酒が手に入ったからと、さよりの糸づくりを用意して。春らしい光のある句。地酒もさよりの脂も光っているが、なによりも輝いているのが、この夫婦愛。このやさしさが愛らしい。せめて地酒とさよりだけでも分けてもらえないだろうか。

  蕗の薹貰ひ地酒の封を切る  林照江

 こちらは蕗の薹。まさに早春の悦び。蕗味噌にするか、天婦羅か。勿論どちらも。先ほどのさよりの句は地酒を得たからさより、という発想。こちらは蕗の薹を貰ったからにはこの地酒、遂に封を切りましょう!という流れ。よほどとっておきの酒なのだろう。蕗の薹のほろ苦さは白いごはんにも勿論合うのだが、二十歳をとうの昔に過ぎた身としては、地酒でキュッと味わいたい。静謐なほろ苦さに辛口の酒が素直に流れていく。至福のひととき。

  地酒酌む野蒜の玉のこりこりと  竹村和哉

 勿論こちらの野蒜もこりこりおいしくいただきます。こりこり、そう、こりこり。

  地酒よし秋刀魚の煙る店なれば  竹吉章太

 最近は空調設備等によって「秋刀魚の煙る店」もなかなか目にしなくなったように思う。しかし、このようなお店での地酒。確かに「よし」と言いたくなる。秋刀魚の表面に弾ける脂。箸を入れると、さらにジュッ。あのとろけるような味わい。そこに流す酒は熱燗というより常温。ぐい飲みや桝よりもビールグラスで。「煙る店」、至れり尽くせりでは味気ない。粗野な部分がほしい。グラスを持ち上げつつ、口を近付けつつ。グイと。荒ぶる秋刀魚の脂には、少しばかり野趣ある酒、クセのある酒がよい。上品な酒では秋刀魚に負けてしまう。口中にて、がっぷり四つを組むような。のこった、のこった、えい。両者、喉から胃の中へ流れ込み。いい勝負だった。さて、もう一口、二口。秋刀魚の煙る店の大将が、酒のようにクセも旨みもある方ならば、何度も通いたくなる。秋刀魚のジュ、地酒のグイ。

  うなじ迄地酒に染めて風の盆  二村美伽

 風の盆は富山市八尾町にて毎年九月一日から三日まで、盆に続いて行われる行事。徹夜で踊り歩き、暴風の災厄を送り出すというもの。うまじまで真っ赤に染める祭衆。これを他の酒にしてしまうと間が抜けてしまう。地酒だからこそ、一句の雰囲気が楽しい。地酒を分けてもらえるならば、なお楽しい。

 祭の地酒をもう一句。

  踊太鼓地酒ぶつかけ滅多打ち  岸田稚魚

 この祭の観光ポスターを作成するならば、間違いなくこのシーンを採用するだろう。ふんどし一枚の色気立つ壮年の男が、口にふくんだ地酒をぶっかけ、踊太鼓を滅多打ち。日本の祭の一典型とも呼ぶべき、ダイナミックな状景。この地酒を「もったいない」と思うようでは、いや、私もちょっとは思いましたけどね。

  直会の辛き地酒と納豆汁  山崎千枝子

 そうそう、お酒は飲みましょう。酒はゴクリと。直会は「なおらい」と読む。神事の最後に神饌を神職や氏子等でともに分かち合うもの。お供えしたのは辛口の地酒。やはり土地の神様にはそこの地酒が一番よいだろう。そして奥さん方が作ってくださった納豆汁。冬の拝殿はたいていの場合、かなり寒い。冷えた体に辛き地酒と納豆汁とはなんとも嬉しい。仏教やキリスト教の禁欲と対をなすように、神道は大らかだ。御神酒として日本酒があれほどある。全部飲むのだろうか。ぜひともお仲間に入りたい。肝臓の神様はいらっしゃるのだろうか。

  山眠る久慈の地酒のさくら色  平塚奈美子

 「山眠る」は漢文が出典の冬の季語。眠っているかのように静かな冬山の様子。「久慈」は岩手県北東部の地名。風の音が遠くに聞こえる冬に久慈の民宿。注いでもらった地酒はぐい飲みの中でほのかに紅をさす。さくら色。東北の雪という白いイメージにさくら色がなんとも美しい。春を待ち望む気持ちも感じられる。美しい酒は間違いなく旨い。酒自体も言うまでもなく旨いのだが、その雰囲気もまた旨い。地酒をその土地で飲むということは格段に酒を旨くする。地酒はその土地の神々と人々によって生み出される。風土を感じながら、魂を味わう、と言っては大袈裟か。雰囲気と飲む場、そして酒。この三つの味を一心に味わいたい。

  旅人となりきる春の夜の地酒  岡本眸

 地酒はその土地で味わわなければと、言うつもりはない。そうじゃなくても十分においしいんですもの。旨い地酒を口にしつつ、その土地を旅する気分になるというのも一つの味わい方。地酒ならではの悦楽。夏冬では寒暖厳しい。秋では眼前の寂寥感に負けてしまう。駘蕩とした春の夜だからこその、夢見るような楽しみ方。酔いもまた旅の春風。

  一合の地酒を分ち花の宿  近藤一鴻

 こちらは旅の最中。桜咲き誇る宿でのこと。熟年夫婦の二人旅。ゆかたで窓の外を溢れる夜桜を眺めながら、そこの地酒を一合、徳利で。それをちびちびと分かち合いながら。桜に酔い、地酒を舌に転ばせ、お互い「お疲れさま」の旅。窓の下には屋台が一軒。一人でコップ酒の私。夜桜と酒は人を狂わせる。「一合じゃ足んないの。もっと、もっと、ガバッと注いで」。

  ざる一枚風呂吹地酒小一合  黒田杏子

 冬の一景。蕎麦屋にて。注文はざるそば一枚に肴の風呂吹大根、それに地酒の小、一合徳利。以上。量から考えて、一人でのご来店。酔態を曝す訳もなく、さっと味わい、さっと店を後に。粋である。かっこいい。私であればまず最初に「地酒大」と注文する。一人なのに。風呂吹大根をつつきながら「お酒おかわり」。すでに体験済みかのように目に浮かぶ。粋とはほど遠い。結構。粋じゃなくてもよいので、もっともっと飲みたいのだ。

  地酒注ぐ猪口も徳利も今年竹  黒坂紫陽子

 これはなんとも旨そうな。かつなんとも贅沢な。今年生えたばかりの若竹を猪口に、徳利に。今年竹は夏の季語。ゆえに地酒は冷やで。筍から竹に成長したばかりの若竹の香りが涼やか。都会ではそうそうに味わえない。酒の妙。場の妙。雰囲気の妙。記憶がなくなるまで酔いしれたい。いやいや。冗談です。節度、節度。

 地酒の知識があれば、さらにおいしく飲むことができるのかもしれない。たとえば米の種類や水、地域性等。ただどうにもこうにも覚えられない。記憶力の問題はすでに自覚している。今、目の前の酒が旨い。友との語らいが快い。その場が楽しい。それで満足してしまう。翌朝には「銘柄は……」となっている。その時その場の酒がある。同じ酒でも場や雰囲気、体調や懐具合によって全く味が違う。その時その場とは即物的、刹那的かもしれないが、人は次の一秒を生きているとは限らない。ならば今、この一瞬をともにしているこの酒を心から味わい、楽しみたい。

※ 連載酒讃歌(澤田和弥)最終回

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