【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2021年8月27日金曜日

第167号

         ※次回更新 9/17


豈63号 発売中! 購入は邑書林まで

俳句新空間第14号 発売中 》刊行案内


【新連載】北川美美俳句全集1》読む

【連載】澤田和弥論集成(第5回) 》読む


【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010/04) 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
》第1回(2020/05) 》第2回(2020/06)
》第3回(2020/07) 》第4回(2020/08)
》第5回(2020/09) 》第6回(2020/10)
》第7回(2020/11) 》第8回(2020/12)
第13回皐月句会(5月) 》読む
第14回皐月句会(6月) 》読む
第15回皐月句会(7月)[速報] 》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年花鳥篇

第一(7/2)仙田洋子・曾根 毅・杉山久子・夏木久
第二(7/9)岸本尚毅・渕上信子・山本敏倖
第三(7/16)坂間恒子・中村猛虎・木村オサム
第四(7/23)ふけとしこ・神谷波・小林かんな
第五(7/30)渡邉美保・望月士郎・辻村麻乃
第六(8/6)林雅樹・前北かおる・小沢麻結
第七(8/13)眞矢ひろみ・浅沼 璞・内村恭子
第八(8/20)松下カロ・家登みろく・鷲津誠次
第九(8/27)なつはづき・竹岡一郎・堀本吟・飯田冬眞・青木百舌鳥・水岩 瞳

■連載

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (13) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(24) 小野裕三 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
22 「紅の挽歌」を読んで「宿命」/井上はるひ 》読む

【抜粋】 〈俳句四季8月号〉俳壇観測223
二つの協会――協会に入ろう・どんどん入ろう
筑紫磐井 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ 》読む
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
インデックスページ 》読む
15 恋と出会い/野島正則 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ 》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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麻乃第二句集『るん』を読みたい
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寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
8月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子








「兜太 TOTA」第4号 発売中!


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【連載】北川美美俳句全集1

  本年1月14日に亡くなった北川美美の作品集は、この8月に評論集「『真神』考」が刊行された。今後は美美の俳句作品をまとめる作業のために、入会以来の「豈」「俳句新空間」等の作品を掲載して行くこととしたい。46歳からの作品で始まる。 

                              筑紫磐井


【豈49号】2009.11

   冬の夜

靴紐を結んでもらう雪の日に

海がひく地球の壷へ冬の夜

春塵や砂利巻きに上げて大車輪

行く春や東欧の人と乗る四両目

靑嵐銀の扉を開けて海

割れたての石に息ある五月かな

ああこれが地球のかたち吊忍

夏火事や隣のビルの靴の音

指人れてメロンしずかに種を叶く

関東平野ところどころの青みどろ

祖先にはみな子孫あり百日紅

民家民家民族民家百日紅

どれだけの人と逢いたる百日紅

どれだけの人を泣かして百日紅

お悔やみは一回恩は百回 百日紅

身の白き秋刀魚に泊怨み節

鬼蜻蜒幼き日の罪人攫い

亡き父と畳の上の夜長かな

昼のポー鍋焼饂飩のど自慢

しよこらあと手に持つ遊女寒紅

浮浪者の世迷い言の聖夜かな


【豈50号】2010.6

   トランジスタラジオ

苺の香子のくちびるに夢ごこち

海の色かさねがさねの石蓴かな

川に石人に心や夏茜

駅前に一団降りる阿波踊り

夏火事や隣のビルの靴の音

一九八九狸穴蕎麦の紫陽花よ

ひびきあふ切れ字のあとはさはやかに

北風や交差点に造花あり

雪しまき肌一枚の赤さ肉

つり銭や花屋の男子あかがりの

大晦日紫のハイウェイ驀進す

風花はうつくし昏き赤城山

老翁はおんなになりし玉椿

宅急使春入り口に届きけり

上州を春に染めたるレンガ積む

曖昧な輪郭をとぶ春の蝿

春眠や地球一周してもなほ

春時計つきトランジスタラジオかな

近づきて離れる日月勅使河原宏忌

溺死するもよし花水木揺れて


【豈51号】2011.2

   後ろの正面

かぶと煮の鯛に舌あり春寒し

春霰の海茫々と鳴きにけり

木下闇眠るしかない男かな

荷の薔薇を過積載と停められし

つつぬけの隣家の日覚まし時計かな

リヤカーのペンキ乾かぬ春怒涛

あたたかや金銀茄子足元に

春の野をおばあさんに会ひに行く

月曜出生日曜埋葬春三番

お手水に人正ガラス人梅かな

毛穴から山百合の香を吸ひ込めり

ぽこぽこにあがる噴水大人の輪

寝返りのソファの軋み明易し

造り滝真逆さまに葉の落つる

暮の秋後ろの正面に私

秋風やノー・ノー・ボーイ囗遊み

非常囗より東京タワー赤く赤く

雅子妃はトレンチーコオト畳み了え

動く歩道に歩かされてゐる冬日向

冬晴や親指と人指し指で丸


【豈52号】2011.10

   雲のやうに

初桜ひかりあつめてゐたりけり

さざ波の立ちてかがやき鳥の戀

行く春に達磨両眼を見開けり

仮の世の臍の緒つけ天鼠かな

ろくぐわつのおつぱいはすつぱきかな

港ぢゆう顔ぢゆう浴びる揚花火

抱き合ひて踊り飽きずにゐる子供

炎帝にむきだしにさる比翼塚

きりぎりす鯨の中で眠りけり

袖丈は鯨ひげほど初嵐

止め時を考へて引く芋の蔓

屋上の鳩舎消えゆく暮の秋

火戀し東京タワー尖りけり

灯る火の喉の奥まで冬ざるる

鼻長き男と分ける石焼芋

文字もたぬアイヌ語をもて熊祭

飾海老あんな男にこんな家

雲のやうに島浮びたる弥生かな

清澄の龜や鳴かずに人好きで

糸嘗めて春を弾きて玉結び


【中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい】18 恋心、あるいは執着について  堀切克洋

 中西夕紀(1953-)は、2008年に「都市」を創刊。直後に刊行された句集『朝涼』(2011年)につぐ第4句集が『くれなゐ』である。「青嵐」「桐筥」「野守」「緑蔭」「墨書」「冬日」という6章から構成される。


1. 闇と空白

 これらの6章はそれぞれがほぼ均等の――順に60句、58句、58句、56句、54句、60句という――厚さをもっており、そのようなバランス感覚は、それぞれの章タイトルに付された言葉がすべて漢字二字の言葉であることとも照応しているようだ。ただし、うち漢語が占める割合は五割を少し割っている。そんなことを思って頁をめくっていたら、こんな句と出くわした。

  読初や仏教漢語飛ばしとばし

 ちょうど2011年に『仏教漢語50話』が岩波新書から出ているので、ひょっとするとこの本から着想を得ているのかもしれないが(そこで話題になっているのは「平等」「我慢」「睡眠」のような私たちにも馴染みのある「漢語」だ)、わたしたちの生きる社会ではますます漢語の地位は低下しているし、そもそも俳句は硬質な漢語よりもやわらかな和語を好む。しかし「飛ばしとばし」でもそうした難解な概念や思想にチャレンジしているところが俳句らしく、読初らしい。

  火涼し真言声に出してこそ  

 すでに第3句集『朝涼』に〈真言はわが胸中に梅白し〉が含まれているように、仏道に対する関心の強さは、この句集でもひとつの脈をなしている。護摩のの向こうに「真言」という漢語がもつ謎に満ちた深淵が控えている。本句集の秀句としては〈仏具屋に玩具も少しつばくらめ〉も挙げられよう。

 句集のなかに弔句が挿入されるのは、ある程度、年齢を重ねれば避けられないことである。しかし『くれなゐ』においては、この仏教的バックボーンがそれらに深みを与えているといえる。とくに、師である宇佐美魚目(1926-2018)には、帯文にもその名前が記されているとおり、たびたび前書となって言及されている。「魚目先生から毛筆の手紙」という前書のある〈読めるまで眺むる葉書雪あたり〉などのあとで、収められている弔句は以下の4句である。

  先生のペンは撓へり梅擬

  書の中の古人とならる花すすき

  無患子や死して冥しと空海は

  邯鄲や墨書千年ながらへむ

 第3句集『朝涼』の採られた表題句は、〈朝涼のまだ濡れてゐる墨書かな〉。何よりも宇佐美魚目は、書家であった。無患子の黒色は、(最澄にあてた手紙3通からなる)『風信帖』の縦長の字形を浮かばせながらも、「秘蔵宝論」の序論の最後を締め括るあのテクストへとわたしたちを送り返すことだろう。

  三界の狂人は狂わせることを知らず。

  四生の盲者は盲なることを識らず。

  生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、

  死に死に死に死んで死の終りに冥し。

 人間は闇から生まれ闇に還っていく。もちろん最初の闇とは、胎児だけしかみることのできない、あの闇のことである。しかも仏の教えによれば、闇から闇へ(生から死へ)の運動は、たえまなく反復されるという。眼前の「墨書」のくろぐろとした色はしだいに読み手を悠久の時間へと、そして作者と墨書を包み込む秋の夜の闇へと誘っていくようだ。

 さらにいえば、この作者の中心には、書物だけでなく葉書や染筆といった「テクスト」があるのかもしれない。

  空白の涼しき葉書頂きぬ(『さねさし』)

  いくたびも手紙は読まれ天の川(『朝涼』)

  読めるまで眺むる葉書雪あかり(『くれなゐ』)

 このように〈手紙〉という主題は、中西にとってたんなる「挨拶」ではなく、いくたびも読まれるべき、読解されるべきテクストであるということが見てとれる。それはまるで一句の読者が、繰り返しその句を反芻し、イメージを立ち上げては毀していくように、終わりのない作業なのだろう。ここには、闇とは対照的でありながら、しかし似てもいる〈空白〉という無が控えている。それは著者がベースとする和語の抽象性とも響きあっている。


2. 「一」への執着

 あらゆる句集がそうであるように、この句集に描かれる世界もまた、ふたつの闇のあいだの小さな〈空白〉にすぎない。もっといえば、人間が認識できる世界などちっぽけなもので、そのなかのもっともちっぽけなものに注目するのが、俳句と呼ばれる作業なのだろう。『くれなゐ』に収録されている半数を占めるのも、日常の〈空白〉の見落としてしまいそうな世界の輝きである。

  真ん中の一鉢抜いて買ふパセリ

  信号の青に誘はれ鯛焼屋

  蜜豆の豆を残して舞妓はん

  百物語唇なめる舌見えて

  切り株に坐れば斜め鳥帰る

 密教に息づく漢語的な世界とは対照的に、『くれなゐ』の足場となっているのはあくまでこのような、やわらかな日常詠である。日常のなかのちっぽけな特別な瞬間である。

 そのような点で、句集のなかに「一」という数字が頻出するのは、ひとつの特徴といえるだろう。他の句集の「一」の数は数えたことがないし、対象に焦点を合わせた句は最終的に「一」に収斂していくものであるから、これは何も本句集に独自な傾向とはいえないかもしれないが、ここに『くれなゐ』の「一」俳句を集めてみよう。

  船団の一艘に旗若布刈る

  真ん中の一鉢抜いて買ふパセリ

  花栗の一山揺する香なりけり

  青嵐鯉一刀に切られけり(以上「青嵐」)

  好色一代女と春のひと夜かな

  十聞いて欠伸がひとつ未草

  一生に一茶二万句三光鳥(以上「桐筥」)

  はこべらや一人遊びの独り言

  梅林の一本松に茶店あり

  ゴム長の一人加はり大試験

  短冊一葉冷し胡瓜の礼とせり

  飛び回る蝙蝠ひとつ小諸駅

  ねこじやらし一本抜いてまた明日

  同舟のひとり火鉢を抱へゐる

  鴨打の一羽一羽に触れ数ふ(以上「野守」)

  春障子ひと夜明ければ旅に慣れ

  星祭一本足で鳥眠り

  明けてゆく海に一点鷹飛べり

  笛一管一節切なり初稽古(以上「緑蔭」)

  一振りの太刀を受け取り舞始(以上「墨書」)

  かきつばた一重瞼の師をふたり

  鵜を起こし鵜匠の一日始まりぬ

  鵜匠去る一の荒鵜の籠さげて

  線刻の岩いちまいを滴れる

  蛇踏んで一日浮きたる身体かな

  鉄斎を一幅見せむ風邪ひくな

  一席を設けて雪見障子かな(以上「冬日」)

 約350句のうち27句というのは、やはり多いのではないか。もちろんこれは言葉の上の話で、「一」という数字が入っていなくても「一」を想像する句はいくらでもある。だが、わかりやすいように、ここでのコーパスはあくまで言葉としての「一/ひとつ」に絞って話を進めることにしよう。

 「一」というのは、俳句において、抽象=捨象するという機能をもつ。つまり、対象(=「図」)に焦点をあわせてクロースアップすることで、背景にあるもの一切を「地」へと後退させてしまうということだ。結果として、「まさにこの」という指示語と同等の機能をもつことになる。ただし、固有名詞となっている「好色一代女」や、他に二重しか選択肢のない「一重瞼」はこの限りではない。しかしそれを除けば、このようなカメラの比喩として論ずることの可能な「一」の俳句は、写生=描写を足場とする「近代」以降の俳句のオーソドックスな発想といえるだろう。

 

3. 「一」からの退却?

 対象が何であれ「一」としてものごとを捉えることは、何かを「分ける」ことであり、「分かる」ことである。だから「分かりやすい」句となる。もちろん「一」が入っていなくても、〈かなぶんのまこと愛車にしたき色〉のような一物仕立てのユーモアある句は、これからさまざまな人々に愛唱されるだろう。だが、そのような目で見てみると、『くれなゐ』の帯文に掲出された以下の句は、たんなるオクシモロンを超えて、別の色合いを秘めてくるようだ。

  ばらばらにゐてみんなゐる大花野

 この句もまたこれからさまざまな人々に愛される句となるだろう。だが、ここでは、それぞれが「一」でありながら「全」でもある――などといえば、たちまち哲学めいた話になってくる。いやいや、そんな難しい話ではない。わたしたちは誰もが個でありながら集団を構成しているのであり、つまるところ、本当の意味での「個」などにはなることはできない。「個」とはかりそめのフィクションであり、「個」を突き詰めようとすれば、それは社会や集団から白い目で見られることを覚悟しなければならないだろう。それは一種の独我論なのだ。

 もちろん、大花野が「社会」や「集団」などのメタファーであるなどといいたいわけではない。いま、読者のイメージには、「ばらばら」でありながら「みんな」でもあるような人間の姿が、広大な大花野とともに浮かんでいるはずだ。だが、ここにもし「大花野」がなかったとしたらどうだろう。ただの「ばらばら」である。「大花野」はここで「地」となって、そのなかからマティスの描く形象のような「人間」たちが浮かび上がってくる。「大花野」はまるで、マティスの原色の背景色のような働きを担っている。

 このような認識は、先の「一」的な、つまり対象を凝視して描写するというオーソドックスな句とは、やはりどこかちがっている。句集に収められた句は、一物で詠まれた写生的な句もであれば、イメージの重層性で詠まれた取り合わせの句もある。しかし、この「大花野」の句はそのどちらでもない。けっして像を結ばないというわけではないが、しかしもっと「ぼんやり」とした情景だ。「一」であり「全」であるというのは、ひとつの論理であって、観念である。かといって現実ではないかというと、現実にそういうことはある。いったい、ここで中西が描こうとしているものは何なのか。

 先の「一」の句にある種の臨場感がもたらされるのは、自己(読者)と対象(句の中のイメージ)が一対一で、差し向かいに、対面しているような錯覚が得られるからだ。そのときほかのものはすべて捨て去られる。いわばそれは恋のようなもので、ほかの一切が見えなくなるとき、唯一見えているものが輝きを放ち、特別な存在感を獲得する。その意味で中西は「恋」の人であり、じっさいに恋や色欲を主題にした句もある。

芸事の師は年下や春障子

花道に涼風たちて仁左衛門

アイヌ語で男根といふ春の山

緑蔭の男女のどれも恋に見ゆ

羽子板に欲し色悪の役どころ

 歌舞伎を愛好していることが察せられるが、色悪(いろあく)とは表面は二枚目であるが,女を裏切る悪人の役柄のことである。『東海道四谷怪談』であれば、民谷伊右衛(たみやいえもん)門がそれにあたるが、それが「欲し」というのは、あくまで自身が健全な恋しかしてこられなかったことを、多かれ少なかれ「罪」と思っているということだ。「アイヌ語で男根といふ」という措辞もまた、普段から色に溺れた生活をしていれば、あえて句にするようなことではない。クールな仁左衛門――これも悪役かもしれないが――に「恋」をするのも、芸事の師が「年下」であってそこからあらぬ妄想をするのも、作者の恋愛観が如実にあらわれている。

 このような中西の「恋愛体質」が、さきほどの「一」への執着とつながっているのだろう。だからこそ、どこか景物を遠くにおいて、〈ばらばらにゐてみんなゐる大花野〉と見やる作者の姿は、〈緑蔭の男女のどれも恋に見ゆ〉という句と同じ地平にある。つまり、一歩引いて「人間観察」をしているという目線がここにはある。


おわりに――執着ということ

 「われ」を詠む句が圧倒的多数を占める句集のなかで、このような句は貴重だが、逆にこういう句ばかりがあればいいという話ではない。おそらく、圧倒的な量の「恋するわれ」という一途な主体の句が並んでこそ、「人間観察」の、あるいは世を遠ざけているような句に、ある種の感慨が加味されるのだ。秀句として一句だけ取り上げてみても、その点は理解できないだろう。あくまで句集のなかに置いてこそ「読める」句というのがあり、それが「大花野」の句であり「緑蔭」の句なのである。

 一言でいえば、これらの句には「執着がない」。「われ」がほとんど消え入りそうになっている。おそらく、このような詠み方は、具体物とたえず向き合ってきた作者にとって、けっしてベースにあるものではないはずだ。近代的自我という俗念を振り払って、「ただある」世界を描くということ、そのような句はけっして多くはないが、句集を読んでいくうちに、少しずつ浮かび上がってくるようにも見える。

  干潟から山を眺めて鳥の中

  鹿の声山よりすれば灯を消しぬ

  隙間より花の日差や籠堂

  山椿かごぬけ鳥の夕べ群れ

 これらの句は、〈髪の根に汗光らせて思念せる〉というような人間のありようと対極にあるものだ。つまり、少なくとも何かをひとつだけ見つめ、「恋」をするようなモードとはちがっている。あまたある鉢のなかから、ひとつの鉢を選びとったり、夏の夕刻の小諸駅を飛び回る蝙蝠のなかから、一匹の蝙蝠を見つめたりする視線とは異なっている。そこに「われ」はいるが、しかしもっとパノラミックに、鷹揚な自然の運行に触れようとしている。だから執着は感じない。

 もっとも空海の教えでは、人間が煩悩をなくすことはできない。密教は、「執着上等!」である。とはいえ、欲に溺れることがあってはならない。自身をコントロールしなければならないのだ。『くれなゐ』は、その意味で理性の領域から踏み越えることのない句集だといえる。中西は、一歩踏み出すことを無意識下で欲望しながらも、現実には踏み出すことのない(少なくとも句集からそう思わざるをえない)良識的な作家だといえる。この常識性が、本句集の安定感を基礎づけているのだ。

  業深く生きて霜焼また痒し

さてこの句が、どこまで作者の本心であるか。少なくとも、読者には作者の「業」がどれほど深いものであるか、それほどうまく想像できない。席題でつくられた遊びの句のようにさえ、思われてしまうのは損なことかもしれない(句会で出たらわたしも採るとは思うけれど)。しかし、この句を句集のなかに置いてみたとき、あえて「業深く生きて」といえるほどの業はそれほど感じられないのも事実なのだ。だからこれも、内面的な吐露というより、むしろ無頼への「あこがれ」と解するほうが、至極自然かもしれない。

 末筆ながら、わたしが最も印象に残った句を引いて稿をしめくくることにしよう。以下の句がこれから人々に愛唱されることを願ってやまない。


   かなぶんのまこと愛車にしたき色

   百物語唇なめる舌見えて

  マスクして葬の遺影と瓜ふたつ

  皺くちやな紙幣に兎買はれけり

  緑蔭の男女のどれも恋に見ゆ

  春障子ひと夜明ければ旅に慣れ

  ばらばらにゐてみんなゐる大花野

   無患子や死して冥しと空海は(悼 宇佐美魚目先生)

  ころぶこと鳥にもありて冬の草

  さいいかを誰か出しをる暖房車

  鯖〆て平成の世も暮るるかな

  かきつばた一重瞼の師をふたり


(堀切克洋氏が管理人を務めるウェブサイト「セクト・ポクリット」2021年5月9日に公開された記事より転載)

英国Haiku便り[in Japan](24) 小野裕三


 

エズラ・パウンドの「切れ字」

 エズラ・パウンドは、米国で生まれ欧州で活躍した英語圏の詩人で、二十世紀初頭のモダニズムや前衛詩運動の中心の一人でもあった。その彼が俳句に強く影響を受けたのはよく知られた史実だ。パリの駅で見た光景を元に、彼は「地下鉄の駅にて」と題した短い詩を書いた。

 The apparition of these faces in the crowd;    群衆の中に現れるこれらの顔

 Petals on a wet, black bough.       濡れた黒い大枝の上に花びら

 彼が最初にこの詩想を得たのは一九一一年で、最初は三十行の詩を書いたが、それをいったん半分に縮め、最終的には前掲の詩として一九一三年に完成させた。俳句(当時はhokkuと呼ばれた)を意識して作った詩だと彼も明言するし、この詩を〝世界初の英語で書かれたHaiku〟と位置づける研究者もいる。

 同時期に彼は、「イマジズム」(語義としては「イメージ主義」)というモダニズム文学運動を主導し、その創作方法の提言を発表する。「長々しい作品を作るよりも、生涯で一つのイメージを提示できたほうがいい」「余分な言葉や形容詞を省け」「(抽象的な表現は)イメージを鈍らせる」「直接的に<物>(thing)を扱え」など、そこに記された彼の前衛詩のルールは、まるで俳句のルールのように見える。

 彼は単に俳句の短さに注目しただけではない。上記の詩は、動詞もなく、純粋なイメージだけが二つ直接的に並置される。この手法を彼は「重置法」(super-position)と呼び、この詩で体得したものだ、と語る。この詩の二行目を一行目の比喩と捉える見解もあるが、むしろ俳句の「二物衝撃」にも似た異質性を孕むと僕は感じる。つまり、この詩で彼は彼にとっての未知のイメージ操作であった「二物衝撃」の原理を体得し、革新的な詩的方法論を導いた。

 彼の探究を裏付けるように、彼はこの「二物」を繋ぐのにセミコロン(;)を使う。この詩の初稿ではそれはコロン(:)だったらしい。英語の語法的には、ピリオド(.)、エムダッシュ(―)、コンマ(,)などもここでの候補になりうるが、彼は最終的にそれをセミコロンと定めた。言ってみれば、彼は英語という言語の中での適切な「切れ字」を模索したわけだ。というのも、他の記号だと「二物」は説明的な比喩関係になったり、逆に距離が生じてしまったりする。セミコロンならば、「二物」は説明的でもなく密接に並置される関係に置かれる。その結果、二つの具体物の直接的衝突の中から新しい第三の感覚的観念が生まれる(彼は類似の原理を「漢字」の成り立ちにも見出し、「表意文字的方法」<Ideogrammic method>と呼んだ)。かくしてこの〝世界初の英語俳句〟には、前衛詩運動を主導した西洋詩人が俳句の「切れ」と格闘した痕跡が明確に残っている。それはなんともスリリングな事実だ。

(『海原』2021年4月号より転載)

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】22 「紅の挽歌」を読んで「宿命」 井上はるひ

   私は「紅の挽歌」の著者 中村猛虎氏が代表を務める、句会「亜流里」の末席に連ならせ

ていただいています。

 3年前 五・七・五のリズムの乗せて思いを表現できる俳句に惹かれ、ネット検索して

出会ったのが「亜流里」です。

 俳句を詠む人たちの集団ってどんな感じなのだろう?そんなワクワクした気持ちで初めての「亜流里」句会に参加させていただきました。

 緊張のあまり その日の記憶は曖昧なのですが、中村代表に対する第一印象は少し怖い人

でした。それは風貌からくるものではなく観察眼の鋭さを感じたのだと思います。

 回を重ねるごとに中村代表の存在感の大きさと不思議な魅力が会を引っ張っていることを感じました。

 語り口は軽妙なもですが 的確な判断と指示にメンバーは全幅の信頼をおいています。

 強い個性集団「亜流里」の自由な雰囲気を楽しんでいる私にとって、中村代表はつかみどころのない大きさと少年の青さも感じる 今も謎の人です。

「順々に草起きて蛇運びゆき」

「少年の何処を切っても草いきれ」

 この二つの句が同じ頁に並んでいるのを見たとき、句会において一度経験しているにも関わらずゾクゾクしました。草という同じ言葉を使いながらこんなにも訴えかけるものが違う句を作ることができる中村代表に感動しました。

 そして奥様を亡くされた深い悲しみが「紅の挽歌」を生み、天才俳人「中村猛虎」の名を

世に知らしめたことに、宿命すら感じます。

「逝きし君の最後の言葉卒業す」

「ポケットに妻の骨あり春の虹」

 奥様ははかなくも美しい想い出として今も生きているのです。

死は人の心に永遠の命として宿ることを教えてくれた「紅の挽歌」は感受性の鋭さとひらめ

きの言葉に溢れています。

 今 日々新しい句を生み続ける中村代表の活躍を見続けることを幸せだと感じています。


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(13)  ふけとしこ

    蛇の衣

ありくひの尾が掃いてゐる夏落葉

貌上げる河馬の筋力雲の峰

蛇の衣見に行けといふ行つてくる

草は穂にほつそりとゐる雀かな

囲はれて水はみづいろ夏の果

   ・・・

 古い古い本が出てきた。古書店でも捨てられてしまいそうな文庫本である。変色もひどいし、何だか埃っぽい感じでどこをどう持とうかしら、と思案するような古さ。誰の本だったのかしら? いつから私の本棚にあったのだろう? 

 『愛の妖精』(プチット・ファデット)岩波書店版である。作者は勿論ジョルジュ・サンド。訳者は宮﨑嶺雄。第1刷は昭和11年9月5日。そして、この本は第16刷だろう。昭和27年11月30日第16刷発行とあるから。臨時定価120円。このへんの事情に疎いから、臨時定価というのがよく解らないのだが、取り敢えずこの値段にしておきます。値上げするかも知れませんよ、ということだろうか。昭和27年といえば私は小学1年生。本当に古い話だ。

 私が初めてこの物語を読んだのは多分中学時代。少女雑誌に載っていたダイジェスト版ではなかったか。その頃、綺麗な挿絵付きで、色々な物語が掲載されていたから。私は物語もさることながら、その挿絵画家たちに憧れていた。特に藤田ミラノ(現在パリ在住)の描く少女が好きで、真似て描いたりしていたものだったが……。どう頑張ってみても、理想通りに描けるものではないと思い知って、そのことが悲しかった。そんなことを改めて思い出して、少ししょんぼりしている。全く、今更ながら、なのだけれど。

 話を戻すと『愛の妖精』は、その後、世界文学全集か何かで読んでいるはずだ。

 で、この古ぼけた本、どうしたものかと思案したが、懐かしさもあって捨てきれずにいる。紙質も良くないし、漢字も仮名遣いも戦前のもの、当て字というか当て読みというか、まあ、これでそう読ますの~? と言いたいようなことがそこここに。差別用語とされている表現も次々に出てくる。今ならどう訳されるのだろう? と余計なことを考えながら読んでしまった。

 実家から持って来た覚えもないし、もしかしたら義母の本だったのかしら。晩年の義母は芥川龍之介ばかり読んでいたけれど……。

(2021・8)

【新連載】澤田和弥論集成(第5回)

 (【俳句評論講座】共同研究の進め方――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その1) 津久井紀代・渡部有紀子)より転載

【津久井紀代】

1.一作家を究めるということ

                津久井紀代

 この稿を興すきっかけになったのが評論家坂本宮尾の一通の手紙からである。そこには次のように書かれている。「ついに朗人句集十冊読破、すばらしい。偉業ですね。とりわけ独りで読むのではなく多くの人に学ばせ楽しみながら作業したところがほんとうに立派。おめでとうと百回言いたい。」というものである。率直にこころが震えた。この研究はこれで良かったのだとやっと自分にけりをつけることが出来た。

 坂本の言うところの偉業とは「有馬朗人全句集10巻を読み解く」という壮大な計画を立て、五年余をかけてこの度読破したことを差すものである。

 この計画は『天為』同人故澤田和弥の発言に依るものである。これを実行に移したのが『天為』同人内藤繁である。有馬先生の了承を得て、丁度『一粒の麦』の評論集を出したばかりの筆者が講師として招かれた。

 この計画がどのように進められたかを残っていた当時の資料から検証してみたい。

 結論を急ぐと、この計画が成功した理由には大きく次の三つことを挙げることが出来よう。

1.坂本が言うように独りではなくみんなで読み解いたということである。このことはすでに『天為』誌上において対馬康子が指摘していることでもある。有馬朗人研究会をはじめるにあたり「勉強会の目的」を掲げた。「有馬朗人の新しい世界を創り上げる。朗人に関する今までの知識は筆者が伝えるので、その上で新しいことを発見する。新しい眼で朗人俳句を見ると、意外な発見がある。そこが勉強会の目的である。その成果を一回ごとに出す。それにはみんながひとつになること。」と掲げたのである。

2.一回ごとの成果として、一つの句集が終わるたびに一冊づつ本にまとめて出版した。

これは最初から決めたことではないが研究を進めていく上において「纏めておきたい」という思いから、出した結論である。しかし、一冊出したがすべて個人の資金でやるという事は大変なことであった。途中なんども挫折したが、研究会会員の熱意が勝り、ここまでやっと出版することが出来た。最初の『母国』『知命』については筆者一人の著書として纏めたものである。理由として講義は筆者が主で進行していたためである。『天為』の三冊目に入ったころ、会員の一人から発言があった。「講師ばかりの発言でななく、みんなの意見を活発にしたい」というものであった。私はここで一つの成果を得た、と思った。三冊目は会員一人が一句づつ有馬朗人の句について論じたものを掲載した。この頃からノンリーダーの方式を採用した。一人一人全員で割り当てられた句について論じるという形式になった。これも一つの成果であったと確信する。会員は一回ごとに膨大なレジメを作成し発表したのである。

3.五年余という時間を人数は増えても挫折者がでなかったことの理由として、「有馬朗人の俳句を読み解く」という事のみに終わらなかったことである。その背景にあるものに膨大な時間を費やしたことに拠るものであろう。一例を挙げる。

 まづ第一句集『母国』に触れると略歴として年代、年齢、東大入学、東大ホトトギス入会、夏草入会、「子午線」創立にに参加、古館曹人、高橋沐石との交流。背景として 前半10年間アルバイトの連続、生活に追われ、疲れ果て、電車の中で立ながら眠った青春。生き抜くための励ましは俳句と物理の他なにもなかった。初めての海外出張シカゴアルゴンヌ研究所とその周辺のこと。俳壇での『母国』の評価、同年代鷹羽狩行、上田五千石、原 裕、について述べた。

 このように全体を把握した後に、一句一句について鑑賞を試みた。

 更に、「山蚕殺しし少年父となる夕べ」の句については斎藤茂吉が下敷きにあること

から斎藤茂吉について多くの時間を費やした。「水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も」に

対しては、山口青邨の「ある日妻ぽとんと沈め水中花」を揚げ、山口青邨に膨大な時間

を使った。西東三鬼の即物的手法についても学んだ。「運河淀む蝙蝠己れの翳おそれ」では塚本邦雄と二物衝撃に触れた。「冬の夜も影ひくいとど草城死す」からは、大正後期没個性時代ホトトギス沈静期の無人時代に草城が突如現れたことから、大正時代初期に頭角を現した虚子の四天王について例句を挙げながら読み解いた。

 第二句集『知命』については主に聖書に触れながら海外俳句に多くの時間を使った。

 第三句集『天為』については海外からみた日本の伝統の美について論じた。

 繰り返すがこのように句集を読み解きながらその背景に多くの時間を費やしたことが

五年余という時間の重みになっていると思われる。

 この稿を書いているとき、井上弘美さんより『読む力』(角川)をいただいた。そこには次のように書かれている。

 「名句は誕生したときから光を宿している。しかし、その光を感じとったり引き出したりする読み手がいなければ、光は孵らない。光を放つ一句と出合える喜びは何ものにも代え難い。・・・しかし、そんな一句に出合ったとき、その輝きがどこから生まれるのかを読き解き、誰かに伝えて感動を共有したいといつも思う。」

 この一文に出合って、この五年間は無駄ではなかったことを確認できた。さらに「・・ある世界史の先生がようやく教科書の内容が絵巻物のように、途切れることなく一枚物として、自分の中でつながりました、と晴れやかに語ったことがあった。」と述べている。

最後に成果として言えることはこの井上弘美が言う様に「有馬朗人」が絵巻物のように一枚物として会員全員の心の中に繋がったことである。有馬朗人にとって決して満足のいくものではないことを承知しているが、この10冊を読み解くという作業を終えた後、会員がいかなる論を展開していくかが今後の課題である。すでに渡部有紀子が名乗りをあげている。

 私自身もこのままで終わるつもりはない。すでに論点はきまっているが、3年くらいをかけてじっくり取り組みたいと考えている。

つれづれなるままに


【渡部有紀子】

2.「有馬朗人研究会」について

                   渡部有紀子


 有馬朗人研究会は、「天爲」の有志たちが始めたもので、平成二十六年九月より令和元年十一月までの五年間、毎月一回休むことなく開催した。

 この会の設立には、天爲の浜松支部同人、故澤田和弥が大きく関わっている。

 和弥氏の第一句集『革命前夜』出版を記念しての句会を神奈川県藤沢市で行った際に「結社の中の若手を育成するにはどうしたらよいだろうか?」という相談を和弥氏にしたところ、「主宰である有馬朗人の全ての句集を徹底的に読み解く研究会をすると良い」という助言を得た。

 これに応えて研究会の設立準備を進めていた頃、有馬朗人の作品百句について論評をまとめた著書を出版したばかりだった東京の同人、津久井紀代氏と知遇を得ることができ、氏を講師役に迎えての研究会が始まった。会の代表は神奈川の同人、大西孝徳氏である。

出席者は神奈川県内の「天爲」同人・会員で毎回十三名前後。同時期に東京でも開設された会の五名を合計すると、全会員は約十八名であった。

 また、研究会では各句集が終了する毎に会員各自の学んだことを記した冊子を発行した。この度、「俳句新空間」に掲載の機会をいただいた本稿は、もともと第十句集『黙示』についての冊子に寄稿した原稿である。よって文中には、それまで発行した第一句集から第九句集についての報告冊子での内容を踏まえて書かれた箇所も多い点はお許しいただきたい。

 所属する結社主宰の句集に対し、主に結社内の人々に発表する論考であることから、どうしても「師の礼賛」あるいは、有馬朗人本人が過去の著作やインタビューの中で語ったことを「師の言葉」として無条件に受け入れてしまうといった傾向から逃れることはできなかったという反省もある。

 それでも有馬朗人という一人の俳句作家の作品を全て読み解いたことで、二十代・三十代から現在の八十代に至るまで、師が俳句を通じて志向した一本の線のようなものがおぼろげながらも見えてきたこと、有馬朗人俳句はこれまで巷でよく言われてきたような学術的な知識の豊富さのみでは語り得ないのではないかと気づけたのは大きな収穫であった。これをいかに結社外の人々にも説得力ある論に展開していけるかは、今回の筑紫磐井先生、角谷昌子先生からの御評でご指摘いただいた点をしっかりと受け止め、論考を重ねていきたいと思う。まだまだ不勉強の身ではあるが、これからも両先生はじめ「俳句新空間」、俳人協会「評論講座」の皆様よりご鞭撻いただければ幸いである。


【俳句界4月号より転載】

 天為「有馬朗人研究会」最終回  令和元年十一月二十六日(火) ユニコムプラザさがみはらに於て


 有馬朗人研究会は「天爲」浜松支部同人、故澤田和弥の助言により神奈川県の有志たちが始めたもので、主宰有馬朗人の全句集を読み解く会である。

 講師役に同人津久井紀代を迎え、平成二十六年九月に藤沢市総合市民図書館会議室にて第一回をもち、以降、月一回定例的に五年間休むことなく開催した。出席者は毎回十三名前後。同時期に東京でも開設された会の五名を合計すると、全会員約十八名である。

 物理学者である有馬朗人は、研究機関の委員や理事などの仕事で海外に出向くことが多く、これまで米国、欧州、中東、南米、特に中国での作品を発表している。「天爲」同人には中国からの留学生も多いが、留学生向けの寮の運営関係者が本研究会に参加。中国で詠まれた句に深い洞察を与え、大いに刺激となった。

 「漢詩や外国の歴史について調べるきっかけとなった」「国内作品には、古事記だけでなくアイヌや沖縄の神話も詠み込まれていて、新たに知ることが多かった」「ごきぶりなどの忌み嫌われがちな生物にも的確な写生を与え、科学者としての冷静なまなざしを感じる」と、いった発言が会員から寄せられた。

 また、各句集が終了する毎に会員各自の学んだことを記した冊子を発行。最終の第十句集『黙示』については、二〇二〇年三月の発行となった。最後にこの冊子より会員の論考を一部抜粋する。


 「朗人俳句についてよく言われることは、海外俳句と日本での作との間に差がない……つまり「平常心」という事である」(津久井紀代 『同シリーズ⑨ 第九句集 流轉』より)

 「朗人俳句は……上六、中八、下六など、俳句を音のバランスで創り上げている」((澤田和弥 『同シリーズ① 第一句集 母国』より)

 「(〈ねこじやらし神々もまたたはむれて〉について)日本独自の俳諧味……一神教の風土では、森羅万象、至る所に神々がいるというのは、ほとんど生まれない発想」(大西孝徳 『有馬朗人を読み解く⑤ 第五句集 立志』より)

 「その土地の歴史や風俗、人々の暮らしに思いを馳せて、重層的な句作りを行っている点が非凡」(杉美春 『同シリーズ⑨ 第九句集 流轉』より)

 「(<万霊雪と化して原爆ドームかな>について)作者は物理学者として……慙愧に堪えない……「万霊雪と化して」の言葉が心の叫びとして響きわたる」(妹尾茂喜 『同シリーズ⑥ 第六句集 不稀』より)

 「眼前の自然風景の中にある隣りあう二つの世界の存在を読者に感じさせる詠み方であれば、海外、日本国内を問わず詩情豊かに且つ、読者にも判りやすい俳句が作れることを朗人主宰は発見した」(渡部有紀子 『同シリーズ⑧ 第八句集 鵬翼』より)

(報告:渡部有紀子)

2021年8月13日金曜日

第166号

        ※次回更新 8/27


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■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年花鳥篇

第一(7/2)仙田洋子・曾根 毅・杉山久子・夏木久
第二(7/9)岸本尚毅・渕上信子・山本敏倖
第三(7/16)坂間恒子・中村猛虎・木村オサム
第四(7/23)ふけとしこ・神谷波・小林かんな
第五(7/30)渡邉美保・望月士郎・辻村麻乃
第六(8/6)林雅樹・前北かおる・小沢麻結
第七(8/13)眞矢ひろみ・浅沼 璞・内村恭子


■連載

【抜粋】 〈俳句四季8月号〉俳壇観測223
二つの協会――協会に入ろう・どんどん入ろう
筑紫磐井 》読む

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7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
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21 中村猛虎句集「紅の挽歌」より20句/中嶋常治 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(23) 小野裕三 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (12) ふけとしこ 》読む

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中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
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17 ゆとりの句集/永井詩 》読む

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18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

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11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
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11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

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8月の執筆者 (渡邉美保

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子








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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】 〈俳句四季8月号〉俳壇観測223 二つの協会――協会に入ろう・どんどん入ろう  筑紫磐井

 ●三協会の現状

  俳壇の主要な協会は三つある。現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会である。それぞれの毎年の活動は『俳句年鑑』に紹介されているが、三つの協会の直接の比較はこれではよくわからない。ここでは、その現況を設立年順に述べてみよう。まず会員数から。

    *

 現代俳句協会は、平成14年九二九九人(過去最高)であったが、以後三~四年で千人を減少させるトレンドが続いている(22~28年は七年)。令和2年で四六八三人となっており、近い将来四千人台を割る危険性も高い。

 俳人協会は、創設以来会員数は増大を続け、平成20年までは、三~四年ごとに千人の増加が続いていた。しかし、平成21年以降の十二年間は一万五千人台に横這っており、特に令和2年は二六九人の減となっており危機意識が強い。

 日本伝統俳句協会は、創設時の三千六百人から会員数は減少する一方であり、現在は二千五百人程度で、危機状況にあると言われる(大久保白村副会長談)。

 だからこのようなトレンドは、、俳壇人口全体の趨勢と考えられるのである。前回述べたようにコロナ後の俳句関係の諸協会の状況は事業が縮小しているから黒字化は続くが、それでは魅力がないから会員は減少する。結果的には、悪循環でいずれ協会事業そのものが縮小減退しかねない。

 協会が行っている事業はおおむね類似している。賞の授与などの顕彰、大会・句会の開催、講座の実施、図書や紀要の刊行、図書の収集と閲覧機会の提供、機関誌の刊行などである。しかし出版社や自治体が行うものよりはきめが細かく、私も重宝するものがあった。ニーズがある以上ぜひ進めてほしい。


●中高年俳人の入会促進

 さてこのように協会員が減少しているのだから、協会はいろいろな場で入会を促進した方がいい。特に中高年俳人への対応は不可欠だ(例えば現俳の97・6%は中高年)。以下では、特に現俳と俳人協会の二つについて考えさせていただこう。

 俳人協会は会員数一万五千人の天井を打ってから危機意識を高め、同人雑誌・無季俳句をあえて排除しない方針に転換している。前衛無季の同人誌にも推薦の依頼が二~三年前から来ている。原理を曲げてでも会員増強を図るというアグレッシブな姿勢が俳人協会にはあるようである。

 その意味では、両協会へ入会することもいいのではないかと思う。最後の選択は入会してから選べばいいのだ。ただこのためには、両協会の活動を客観的に比較できるデータが整備されることが必要で、それを踏まえて、会員が合理的な判断をすればいい。協会員であっても、現在、両協会の違いを的確に把握しているかやや疑問だからである。

 結局は協会への帰属を決めるのは、会員がそれぞれの協会からどれだけサービスを得られるかの合理的判断による。逆に協会としては、会員を引き付けるサービス提供が必要で、ことによると協会同士のサービス合戦となるかもしれない。しかしそれは会員が喜ぶことである。(例えば忠誠心がないと出世できないとすれば、それだけでハンディとなる)

 すでに前号で述べたように、印刷媒体を使った機関誌活動は現俳が俳人協会に対して優勢であるが、会員においてどれほどそれを自覚しているか、かつそれを有効活用した戦術がとられているか、やや疑問である。

 また現代俳句協会が若手会員増加に伴い青年部の諸活動が顕著であるが、これにならって俳人協会も改革実行委員会(小澤實委員長)において令和3年度より組織としての「若手部」を設置(部長はまだ不明)し、オンライン句会、ネット句会などの勉強会も開く予定だという。これもいいことだ。

 こんなことを言うのは、大久保白村氏の提言を読んだからである。氏は、日本伝統俳句協会が敵を研究せず、己を過信して会員数に危機的状況をもたらした、この際、日本伝統俳句協会と俳人協会に同時在籍する会員に「俳人協会の魅力」を書かせたらいいというのである(「沖ゆくらくだ」二〇二〇年一〇月号)。誠に至言である。

(中略)

●協会への入り方

 最後になるが、協会への入り方がわからないという人も多い。こういうコラムでいうのは不適切かもしれないが、ニーズがあれば答えるのもコラム担当者の仕事だろう。入会したい人がいれば、筑紫が運営する雑誌「俳句新空間」(会費無料。一般会員には雑誌無料送付)に参加して頂ければ好きな協会に推薦させていただく。

〇俳人協会:推薦枠をもっている。入会金二万円と年会費八千円。

〇現代俳句協会:推薦人になる。入会金五千円と年会費一万円。ただし私の雑誌は現俳の支援団体となって助成金が出るので入会金を新規入会者に還付する方針である。

※詳しくは「俳句四季」8月号をお読み下さい。

第15回皐月句会(7月)[速報]

投句〆切7/11 (日) 

選句〆切7/21 (水) 


(5点句以上)

8点句

夜のプール人体得ては歪みけり(松下カロ)

【評】 飛び込みや水泳をプールの側から捉えているのがユニークで驚きました。──仙田洋子


白玉や心に死者を遊ばせて(西村麒麟)

【評】  「心に死者を遊ばせて」に共感。──渕上信子


7点句

その人に涼しき毒を習ひけり(西村麒麟)

【評】 涼しき毒を使いこなせるかっこいい人、私もそうなりたいです。──渕上信子

【評】 「涼しき毒」に惹かれました。涼しき毒とはどういう毒なのでしょうか?わからないところが魅力です。──水岩瞳

【評】 毒だけど涼しいというのがいい味わいです。私もいつもそのように心がけているのですが、どうやらトウガラシのような毒になってしまいがちです。──筑紫磐井

【評】 本人には嫌みに聞こえない皮肉、とかそんな感じでしょうか。スマートだけど言いたいことは言う、という人物に憧れる気持ちは共感できます。──前北かおる


初蟬や樹齢等しき埋立地(依光陽子)

【評】 広大な平面に人工的に等間隔に工業製品の如く植えられた、そのような樹にも、蟬が来る。それが今年初めて耳にした蟬声だったと、これだけの内容を云い留める字配りに感服いたします。──平野山斗士

【評】 言われてみれば当たり前のことですが、当たり前のところに面白みを見つけるのが俳句です。単価ではこういう味わいは埋めないでしょう。──筑紫磐井

【評】 かつて海だった地を土で埋め植林し、いつしか蝉が飛んでくるようになった。蝉は埋立地の新しい土に卵を産み、今鳴いているのだと思った。植林の木々や蝉が成虫になるまでの歳月を思わせる句である。──篠崎央子


6点句

遺書なくて人死ぬ蜘蛛の巣を払ふ(近江文代)

【評】 遺書がないと遺された者は非常に困る。蜘蛛の巣は置き物ではあるが、効果的であると思う。──依光正樹

【評】 遺書もなく死んだ人の部屋を片付けている。その部屋には蜘蛛の巣が張っている。それを払いながら孤独死という運命に思いをはせる。人の死のありかたのこういう状態は切ない。──堀本吟


箱庭に星を育ててゐたりけり(田中葉月)


5点句

開脚も逆立ちもせぬ素足かな(水岩瞳)

【評】 「それで?」という感じもしますが、何となく面白いです。──仙田洋子

【評】 特選。まるで私です。──渕上信子


夏物の売場を歩くただ広し(岸本尚毅)


(選評若干)

まっさきに乾く少年の海水着 4点 松下カロ

【評】 確かに!言われて納得。──仙田洋子

【評】 海水着から少年のエネルギーが見えてきます。──小林かんな


かきつばた本にきき紙あそび紙 4点 妹尾健太郎

【評】 「きき紙」は書籍の表紙裏に貼り付ける紙のこと。「あそび紙」は貼り付けない紙のことで、両者を合わせて「見返し」といいます。掲句は「かきつばた」の湾曲した花弁を左右に広げた姿と、本の真ん中のページをつまんで持ち上げたときの形状が類似していることから想を得たのでしょうか。「かきつばた」と製本用語の「きき紙」「あそび紙」との取り合わせが新鮮でした。──飯田冬眞


かき氷みづから食へば客来り 3点 前北かおる

【評】 間合いがなんともなくいいですね。淡々と描いているにもかかわらず自然な面白みが浮かび上がってきます。ちょおと古い俳諧という感じです。──筑紫磐井


ほたるぶくろ黙読のふと独り言 4点 望月士郎

【評】 黙読をしていると、目は文字を追っているのにいつの間にか違うことを考えている時がある。ついには独り言が出てしまったり。。。そんな人の姿とほたるぶくろの花の形が重なって見えてくる。季題斡旋がとてもよいと思いました。──依光陽子


戦争は嫌よ白靴山となり 3点 近江文代

【評】 強制収容所の靴・鞄・服・眼鏡…などの山々が思い出されました──佐藤りえ


夏蝶のなぞり前方後円墳 4点 平野山斗士

【評】 大形で原色のいかにも古代から生き続けてきたような夏の蝶。それがフッと目の前に。そしてそれがかの前方後円墳をなぞり飛んだ。夏蝶と前方後円墳の不可思議な配合美による、深遠なる時間の存在。詩趣豊か。──山本敏倖


新月に蟬と生れしや啼いてみん 3点 依光陽子

【評】 月光の射さない夜に時間をかけて羽化を終え、その翅の濡れも乾いてすらりと伸び蝉の姿が整ってきた。早暁のひと啼き、思いもかけぬこの生を謳歌するとしよう。──妹尾健太郎


香水の蓋の球体もてあそぶ 2点 渡部有紀子

【評】 もてあそぶうちら香りが立ち上って来そうです。夜の句として読みました。──小沢麻結


手ざわりで知る古蚊帳の力かな 2点 真矢ひろみ

【評】  古蚊帳の力とはごわごわかもしれないが、それもまた頼もしい。日中目にするものではないので、手ざわりに伝わるというのがまたいいです。──小林かんな

【評】 古い蚊帳には、その家の暮しの力を感じます。手触りでその力をこの時期になると感じた作者。よく理解できます。──松代忠博

【渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい】7 『櫛買ひに』のこと  牛原秀治

  ・風花や島の突端まで歩く

  ・蓬来や海ひろびろと明けきたる

 自選第一句集、『櫛買ひに』の初句と最終句である。

 渡邉美保氏の句作は、「うみ」を詠むことから始まり、その二十年は、「海」を詠むことで中締めを迎えたと言っていい。

 誰でも、その表現のかたちは別にして、アドレサンスを、自分の原風景を「うたう」ことから、意識的に言葉を紡ぎ始める。

 氏の原風景は天草の「海」だったから、それを詠うことから句作が始まったのは自然なことだった。

 最初の章「ポインセチア」には、初句から始まって、みずみずしい感性で(「あとがき」によればこれの句作がなされたのは六十代!である)、「うみ」を詠った句が選ばれている。

  ・潮風のふきつさらしに藪椿

  ・雛あられ食うべ波音聞いてゐる

 そして「海」の句、

  ・早春の海の匂いのハンバーガー

  ・明易の海を見てゐる帰郷かな

 けれど、この二句で「海」の句は封印されるのである、勿論、選から外された句の中には「海」を詠んだ句がたくさんあったはずである、しかしこの章には取られなかった。

 二番目の章「アンモナイト」にも、化石のように大事な記憶としてしまい込まれた「うみ」の香りがする句はあるものの、「海」の句は無い。

  ・鳥たちに波くつがへる彼岸かな

  ・足裏の砂崩れゆく盆の波

 林誠司氏に「初挑戦で受賞した。 これは驚くべきことではないか。」と書かしめた「俳壇賞」の対象となった三十句からなる三番目の章「けむり茸」にも、当然のごとく「海」の句は無い。

 断念すること、それも自分が最も愛おしいと思うものを断ち切ることによってしか、ひとは成熟することはできない、表現の世界においては、より厳しくそのことが問われる、だからそんな、人の推量をはるかに越えた苦しい句作の試みの中から生み出されたであろうこの章の句には、硬質な響き、冷冽な美しさがある。

  ・骨貝の棘美しく九月来る

  ・冬ざるるもの青鷺の飾り羽

  ・薄氷にひび老木に刀傷

 自身の俳句世界の成熟を確かめ得たのだろうか、氏は四番目の章「夕凪」で、父との、天草との交歓を詠い、「うみ」を詠う、封印は解かれたのである。

  ・白さるすべり浮桟橋に父を待つ

  ・天草行きフェリー発着所のざぼん

 以前よりもっと自由に「海」が詠われる。

  ・海風に影の明るき石蕗の花

  ・短日の川にひとすぢ海の色

  ・ぽつぺんやちちははの海凪わたる

 第六番目の章「櫛買ひに」。

  ・海鳴りや布団の中にある昔

  ・海鳴りの暗きへ鬼をやらひけり

 ここでは、「海」が映像ではなく、「海鳴り」の音として詠われている、氏のなかで「海」の存在は薄らいだということだろうか、けれど、僕たちは、映像から音を感じるよりもっと、音のほうから様々な映像を喚起されるのではないか、「うみ」への思いは、より深まり、強くなっている、そんなふうにも思える。

 そして最終章「炭酸水」の最終句は、冒頭に既に引用した、

  ・蓬来や海ひろびろと明けきたる

 「うみ」と「海」をめぐって『櫛買ひに』の世界を、僕なりに、ずいぶん自分勝手に読んできた、でも書き足りないことがもう少し残っている。

 ふけとしこ氏が「序」で、「身辺些事を掬い上げ、細やかに景を詠んでいたところへ、ファンタジックな要素が入ってくるようになった。幻想というか、虚の要素を取り込むというか、物語性というか、世界を拡げてきた・・・。」と書かれている、ことについてである。

これまで触れなかった唯一の章「うかうかと」の三十一句すべてに、僕は点を入れたいのである、「あとがき」で渡邉氏は書いている、「なんでもないことにはっとする瞬間。普段、何気なく見ている景色の中(あるいは心の中)にある小さな変化や違和感、不思議を見つけていきたいと思っています」。

 氏の俳句世界の真骨頂はここにある、と僕は考えている、「ファンタジックな要素、幻想、虚の要素、物語性」、これらすべては、「平凡な日常生活を繰り返す日々」の中にあるので、それ以外のどこにもない、と氏は熟知している、そして、そんなことは俳句を始めたときに分かっていたことなのだ。

 僕がこの句集を読み進めながら、最初に立ち止まった句が「ポインセチア」のなかにある。

  ・朝より毛虫あやめて水打って

二千二十一年七月三十日 

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】21 中村猛虎句集「紅の挽歌」より20句  中嶋常治(姫路青門会長)

 「モノローグ」 より

秋の虹なんと真白き診断書

寒紅を引きて整う死化粧

鏡台にウイッグ遺る暮の秋

モルヒネの注入ボタン水の秋

 私の義妹も多臓器癌で亡くなった。強い女性で最後まで痛みに耐え、モルヒネを拒否し続けた。しかし亡くなる前の三日ほどは家族との面会も嫌がった。桜の散る頃であった。殆ど意識のない中で何かを語ろうとしていた姿が目に浮かぶ。

「遠い日の憧憬」 より

少年のどこを切っても草いきれ

この空の蒼さはどうだ原爆忌

部屋中に僕に指紋のある寒さ

春月へ飛び立つ角度人力車

右利きの案山子が圧倒的多数

 案山子を見て右利きか左利きかは判らない。案山子を作る人は多分大方が右利きであることから、 案山子も右利きが多いだろうと作者は推測した。大雑把にして繊細な発想と表現が詠われている

「家族の欠片」 より

卵子まで泳ぎ着けない十二月

 少子化に関連して、最近精子の少ない男性が増加しているという。昔は「三年子なきは…」などと女性に不妊の責任を押し付けたが、男性にも責任があったことになる。原因は男性の女性化かストレスなのかは分らない、要は鳥取県の人口程が毎年減少していると言う事

亡き父の基盤の沈む冬畳

犬ふぐり母は呪文で傷治す

夏帽の少年走る走る走る

「左手の記憶」 より

ひとりずつカブセルにいて花の雨

秋給生涯抱きし女の数

  作者の願望であろうか、それとも…。抱きたいと思う女性はいても実現するにはためらいがある。不倫のニュースがテレビを賑わす昨今。行動には制約がある。しかし気持は分る

キウイに種あり人の妻といる

桃を剥く背中にたくさんの卸

「さよならの残像」 より

水撒けば人の形の終戦日

「前世の遺言」 より

父の日の父はりがねむしの孤独

ポケットに妻の骨あり春の虹

 ポケットの中に小さなカプセルに入った妻の骨が納められている。「生涯おまえだけ」 という意思が感じられる。春の虹もロマンチックでよい

【新連載】澤田和弥論集成(第4回) 

澤田和弥は復活する

              筑紫磐井


 最新刊の『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 津久井紀代』(二〇二一年三月ふらんす堂刊)に次のような自句自解を見つけた。

ゆりの木で逢ふ約束を修司の忌

 新宿御苑に大きなゆりの木がある。有馬先生、上井正司さんたちと吟行したときに出来た。ちょうど五月であった。若い時は誰もが一度は寺山修司に憧れる。三十五歳で命を絶った澤田和弥も修司に憧れ、多くの修司忌の俳句を残した。もがきながらついに修司に追いつくことが出来ず死という道を選んだのである。惜しい若者を失ってしまった。一周忌に澤田和弥論を発表した。

 これを読んで改めて澤田和弥は自死してしまったのだなと思い返した。


『革命前夜』

 澤田和弥は昭和五十五年生まれ、平成二十七年の五月に三十五歳で亡くなっている。

 早稲田大学俳句研究会を経て、平成十八年に「天為」に入会し、二十五年に「天為」新人賞も取っているが、澤田が俳壇で知られるようになったのは同年の七月に第一句集『革命前夜』を上梓してからだろうと思う。序文を書いた有馬朗人は、「『革命前夜』をひっさげて俳句にそしてより広く詩歌文学に新風を引き起こしてくれることを心より期待し、かつ祈」ると言っているが、こんなにも早く愛弟子がなくなるとは考えてもいなかったに違いない。公私ともに面倒を見ていただけに哀惜の思いは強い。「私は和弥君が寺山修司のような力強さや野性、そして徹底した前衛的な強い精神力を持って活躍してくれることを切に願っている」は果たされないままに終わったのである。

 翻って、『革命前夜』は若々しい澤田を遺憾なく表している。章構成は「青龍」「修司忌」「朱雀」「白虎」「玄武」となっているが、四季の象徴に修司忌を加えたことが澤田の思いをよく表している。寺山忌は四季そのものであるのだ。「修司忌」の章は句集として圧巻であろうが、思い入れが過ぎて現在の伝統俳句の世界では余り受け入れられなかった。

革命が死語となりゆく修司の忌

外つ国のガラスの目玉修司の忌

廃屋に王様の椅子修司の忌


 むしろ『革命前夜』は、澤田が亡くなった後で再評価が始まる。その最初のものは、冒頭で言及する津久井紀代が一周忌に発表した澤田和弥論「こころが折れた日――澤田和弥を悼む」(「天為」二十八年五月号)である。ここで津久井は、「『革命前夜』を書いた時、既に和弥は「こころが折れる日」を予感していた」「三十五年間という人生の挨拶を『革命前夜』の日にすでに行っている」と述べる。こうした一節を読むと、澤田がキリストだとすれば、津久井はイエス復活の証人であるマグダラのマリアのようだと思う。今にしてみれば生前に取り上げられた句よりは、こうして没後回想される句の方が『革命前夜』の代表句となる。


若葉風死もまた文学でありぬ

東京に見捨てられたる日のバナナ

蝉たちのこなごなといふ終はり方

秋めくやいつもきれいな霊柩車

外套よ何も言はずに逝くんじやねえ

マフラーは明るく生きるために巻く


 津久井紀代は、「彼の根底に「いじめられた」ことがあった。文学の中で必死にもがいたが、そこから抜けだすことが出来ないまま自らの命を自分の手で断った。」と述べている。その根拠に次のような句が挙げられている。


プール嫌ひ先生嫌ひみんな嫌ひ

或る人に嫌はれてゐる聖五月


 澤田自身にも次のような回想があるというからこれは間違っていない。


 「中学に入ってとにかくいじめられた。同級生、後輩、教師、私の卒業アルバムは落書きだらけである。・・・いじめられることはそれほどまでに苦しい。死という選択肢を私は敢えて否定しない。社会にでてからもいじめに遭った。」

 「(修司の)最晩年の二年間を特集した番組が片田舎の我が家のテレビに流されたのは私が中学生の頃のこと。寺山の死からすでに十一年の歳月が流れていた。ぼんやりとテレビを見ていた私は不意に我を忘れた、亡我。寺山と出会った。それは両親の言葉を忠実に守る十四歳のいじめられっ子にはあまりにも衝撃的であった。いや。衝撃そのものだった。早速、地元の本屋へ行った。『寺山修司青春集』。生まれて初めて、血の流れる生きた「詩」と対面した。


 とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩


 私の詩を汚すものは憎きいじめっ子たち。中学三年間のいじめに耐えてきた力の源に、この歌が一助をなしていたことは確かに否めない。中学の時の「想像という名の現実」。いつも寺山に教えられているばかりだ。彼に憧れながら、私は彼にはなれない。一体これから先、何ができるのだろうか。俳句はそれを教えてくれるのか。わからないことが多すぎる」。


 寺山への畏敬は、「天為」と別に、平成二十七年一月に遠藤若狭男が創刊した「若狭」に参加していることにも現われている。遠藤は早稲田俳句研究会の指導を行い、澤田と同じように寺山を素材とした作品を膨大に発表している讃美者だ。澤田は、最晩年の僅かな期間であるが「若狭」に「俳句実験室 寺山修司」の連載を行っている。澤田のライフワークということが出来た。


『革命前夜』以後

 『革命前夜』が上梓されたのち交流の始まった澤田から、私に生前句稿が送られて来ている。『革命前夜』(二十五年刊)収録の後、角川俳句賞等に応募して落選した次のような句群である。『革命前夜』は二十二年までの作品を収録しているというから、その後の四年間のこれらの作品は未完の『革命前夜・その後』に収録されるべき作品であった。

 もちろん「天為」「若狭」に発表された句もあるが、澤田らしさを発揮するのは特別作品だからこれで十分であろう。


①「還る」五〇句(二十三年)

➁「草原の映写機」五〇句(二十五年)

③「ふらんど」五〇句(二十六年)

④第四回芝不器男俳句新人賞に無題の百句(二十六年)


 『革命前夜』後の澤田和弥を語るのに決して少ない量ではない。『革命前夜』で「これが僕です。僕のすべてです。澤田和弥です。」といった、「これ」以後の澤田和弥――新しい「これ」も我々は完璧に語ることが出来る。なぜなら新しい「これ」以後を澤田和弥がもう作ることはないからだ。「これ」及び新しい「これ」以外に澤田和弥はないのである。澤田の全てがここで語られる。

 これらの中で、自叙伝風な句がしばしば見えるようになる。これらの主語は、私(澤田)と読みたくなる。


亀出でて無能無能とわれに鳴く

春夕焼骨壺のごと眠りたし

春夕焼文藝上の死は早し

精神病んで杖つき歩く花ざかり

復職はしますが春の夢ですが

花満ちて故郷は呪ふべき処

女見る目なしさくらは咲けばよし

下萌や小野妹子はひきこもる


 こうした中で、かつて「革命が死語となりゆく修司の忌」と詠んでいた革命に寄せていた期待は潰えてゆく。


多喜二忌や革命の灯は遠き国

革命を捨てし祖国よ花菜雨


 そうした一方で、二十五~六年にかけて死の句が極端に多くなる。『革命前夜』の予告は、着実に実現してゆくのである。


梅が香よすでに故人となる未来

雪割や死にたき人がここにもゐる

春昼は春の昼なり嗚呼死にたし

生ききるはずもなきわたしが蟻の中

こほろぎ鳴け鳴け此岸はつまらなかつた

寒の夜の翼たたみて自死の人

生くる子が首吊る子へとなりし冬


 これらは本当の死の直前の句である。死の後はどのようになってゆくのであろうか。それを的確に語っている最後の句がある。死によって、澤田は自由になることができた。


毛布一枚わたしは自由である


(「天晴」2号(夏号)2021年6月より転載)