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2021年7月9日金曜日

【新連載】澤田和弥論集成(第2回)津久井紀代

 (澤田和弥一周忌に寄せて〉 

 こころが折れた日 澤川和弥を悼む 津久井紀代[天為28年5月号]

 

 澤田和弥のこころが折れた日は革命前夜だったのか。

 改めて第一句集『革命前夜』を読む。

 この『革命前夜』を書いた時、すでに和弥は「こころが折れる日」を予感していた。

 理由はいくつも掲げることが出来る。        

 句集名『革命前夜』の命の文字だけ大きく傾いて書かれている。著者名澤田和弥の文字の上にはなぜ血の跡が飛び散っているのか、疑問が残る。

 見開きから静かに目次に眼を移す。

 青竜、朱雀、白虎、玄武、とある。これは天の四方を司る四神である。つまり天の隅々の神様への挨拶と取れる。

 さらに句集あとがきに眼を移すと、そこには「ありがとう」「ありがとう」の文字が多いことが気になる。

 知人友人には「僕の人生は君たちのおかげで色彩を得ることができたよ」と。「こんな弱い僕をいつも、どんなときでも、あたたかく見守ってくれる両親、兄夫婦に心から、最大級の御礼を申し上げます。本当にありがとう。あなた方がいなければ、私はここまで生きてこられなかった。ありがとう。本当にありがとう。」と締めくくる。

 三十五年間という人生の挨拶を『革命前夜』の日にすでに行っていると取っても不思議はない。

 なぜ革命前夜に心が折れたのか。彼の言い知れぬ「やさしさ」ゆえであった。

 三十五年に凝縮された深田和弥の俳句に傾ける情熱を紐解く。


 『革命前夜』の最初と最後の句を見る。

  故郷の桜の香なり母の文

  ストーブ消し母の一日終はりけり

である。

 これは三十五年問常に母の匂いを感じていたのである。言い換えれば母は常に和弥とともにいたのである。ストーブという日常をもってくることにより和弥もまた、母と共にあったのである。


 更に見ていくと晴よりも褻のものに目を留めているのである。


  壊れてゐたる少年の風車

  空缶に空きたる分の春愁

  このなかにちりめんじやこの孤児がをり

  風船を割る次を割る次を割る           

  蛇穴を出で馬鹿馬鹿しくなりけり           

  箸割つて箸の間を春の風

  卒業や壁は画鋲の跡ばかり


 「青竜」の項より挙げた。

 ここに見られる「虚無感」は「あきらめ」とも取れる。少年の「風車」は和弥にとって、「壊れてゐた」のだ。「空缶」と「春愁」とのあいだに生じる虚しさにはまだ救われる余地はあった。

 たくさんのちりめんじやこの中の一つは、世の中から取り残されたと感じる「われ」ととるべきものであろうか。

 なぜ風船を割らなければならなかったのか。その答えが「割る」を三つかさねたところにある。そんな自分が馬鹿川鹿しくなった時の虚無感は、箸を割った時の間から更に感じ取ることが出来る。晴れやかであるはずの「卒業」は硬質な「画鋲の跡」ばかりだったのか。 「革命」としての「詩」としてはあまりにもさみしい。                  

                             

  咲かぬといふ手もあつただらうに遅桜 

  春愁のメールに百度打つわが名

  陽春や路傍の石が全て笑ふ

  椿拾ふ死を想ふこと多き夜は

  おばあが来たり陽炎より来たり


 和弥に何かあったのか、などと詮索することは無意味だ。

 ここに経験したであろう「挫折感」は、さらに和弥の「革命」へとしての「詩」を深めたのか疑問が残る。和弥にとって「おばあ」は母親にはない「ともしび」であったのだ。シルエットが確としない「陽炎」の中の「おばあ」は和弥に取って最後の救いであった。


  革命が死語となりゆく修司の忌

  海色のインクで記す修司の忌

  修司忌や鉛筆書きのラブレター

  船長の遺品は義眼修司の忌

  廃屋に王様の椅子修司の忌

  折りたたむ白きパレット修司の忌

  修司忌へ修司の声を聞きにゆく


 「修司忌」より挙げた。

 『革命前夜』がここから始まったとすると「革命」は青春に満ちていたはず。「海色のインク」「鉛筆書きのラブレター」「王様の椅子」「白きパレット」、ここから青春の革命は始まるはずであった。しかし幾度の挫折が和弥のあまりの「やさしさ」ゆえにこころが「折れて」しまったのだ。


  若葉風死もまた文学でありぬ

  或る人に嫌はれてゐる聖五月

  とびおりてしまひたき夜のソーダ水

  東京に見捨てられたる日のバナナ

  太宰忌やぴょんぴょんとホッピング

  プール嫌ひ先生嫌ひみんな嫌ひ

  蟬たちのこなごなといふ終はり方


 「朱雀」の項より挙げた。

 ここにきて和弥のこころはすでに折れている。「死もまた文学」と突き放す。「或る人に嫌はれてゐる」という感覚は、すでに和弥のこころを離れて独り歩きを勝手にしている。

 「とびおりてしまひた」いという叫び、和弥を救えなかったのか。すでに「見捨てられた」と言い切る。傾倒した太宰を「ぴょんぴょんとホッピング」と書いた。ここにはすでに心が折れきっている。「嫌ひ」をこれほどはげしく重ねたことはすでに世の中をあきらめていると取れる。だから蟬の死を「こなごなといふ終はり方」と書いた。この時点で救える余地はなかったのかと考えるのは当然であろう。


  秋めくやいつもきれいな霊柩車


 「白虎」より挙げた。

 ここではすでに「霊柩車」を美化している。恐ろしいと思う。


  手袋に手の入りしまま落ちてゐる

  冬めくや母がきちんと老いてゆく

  外套よ何も言はずに逝くんじやねえ

  マフラーは明るく生きるために巻く


 「玄武」の項より挙げた。

 ここでは「母がきちんと老いて」いることを確かめている。

 「外套よ何も言はずに逝くんじやねえ」は自分をすでに他者として客観視している。

 和弥は「真の革命とは何か」を突き詰めた最後に、「死」という結論を自らに出した。一本のマフラーだけが彼の首を離れぽつねんと取り残された。


『革命前夜』より 澤田和弥自選十句

  薄氷や飛天降り立つ塔の上

  佐保姫は二件隣の眼鏡の子

  革命が死語となりゆく修司の忌

  廃屋に王様の椅子修司の忌

  太宰忌やぴょんぴょんとホッピング

  プール嫌ひ先生嫌ひみんな嫌ひ

  秋めくやいつもきれいな霊柩車

  蜘蛛の囲に蜘蛛の屍水の秋

  寒晴や人体模型男前

  ストーブ消し母の一日終はりけり

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