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2021年6月11日金曜日

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】17 「紅の挽歌」読後評  滝川直広(藍生、いぶき)

  題名に「挽歌」という語がある通り、この句集は亡き妻に捧げられた追悼句集だ。しかも、句集の構成は独特で、亡妻の発病から死去、初盆までを「記録」した俳句を「モノローグ」という一章を立てて冒頭に配置している。妻の追悼というメンタリティから発したこの句集には、死から生、性、肉体への関心を示した句が多いことが一つの特徴といえる。それらの句を「モノローグ」以外から抜いてみる。

 【死】

  秋晴れて死出の旅路を寄り道す

  冬すみれ死にたくなったらロイヤルホスト

  子供はね死ねないんだよ冬ひなた

  布団より生まれ布団に死んでいく

  殺してと螢の夜の喉仏

  魂の重さ二g曼珠沙華

  死に場所を探し続ける石鹼玉

  寒紅やいつか死にたる赤子生む

  百合折らん死ぬのはたった一度きり

  ポケットに妻の骨あり春の虹

 【生】

  月天心胎児は逆さまに眠る

  朧夜の肩より生まれ出る胎児

  妹と朧を母の産み落とす

 【性】

  遠火事や右の卵子が今死んだ

  卵子まで泳ぎ着けない十二月

  ひとつずつ歳とる卵子花疲れ

  キスをして夜の向日葵に見られたり

  テトリスのような情事や春の月

  秋袷生涯抱きし女の数

  短夜の妊娠中のラブドール

  男根を祀る神社に色鳥来

 【肉体】

  羅の中より乳房取り出しぬ

  天高しふぐりはいつも鉛直に

  小春日や退屈そうなふくらはぎ

  梟や喪服の中にある乳房

  遠雷や乳房悲しき掌の形

  星涼し臓器は左右非対称

  春月や抱かれてあやふやなフォルム

  子宮摘出かざぐるまは回らない

  喉仏二回動いて桜桃

  心臓の少し壊死して葛湯吹く

  喉仏探して迷い込む枯野

  傷口のゆっくり開く春の夕

  春の雪溶かす人体積もる人体

  押し潰せそうな四月の喉仏

  古団扇定年の日のふぐり垂れ

  鬼灯を鳴らす子宮のない女


 ざっと挙げただけでもこれだけある。【肉体】に入りそうな句はこれの倍ほどあったが、冗長になるので割愛した。挙げなかった句の中には読みようによってはどれかに入りそうボーダーラインの句もあったが、やはり省略した。

 挙げた中では「喉仏」を詠んだ句が四句ある。闘病中の細君があまりの激痛に「殺して」と口走ったと「モノローグ」に書かれていることから、作者には忘れられない人体の一パーツになったのだろう。【死】に挙げた「殺してと螢の夜の喉仏」は上記の場面を詠んだと思われる。

 こんなことまで句に詠むのは俳人の性と言ってしまえば簡単であるが、しかし目の前で愛する人間が苦しみ、半ば壊れそうになっている状況を詠むのは、傍が思うほど簡単、楽なことではないだろう。むしろ、句に詠まないと作者は作者自身を保てなかったのではないか。どこかでこの恐ろしいと言ってもよい状況を客観的に見る自分を担保しておかないと、裏返して言えば、妻の心配だけしている時間ばかりの時分では病魔と闘う妻を支えられなかったのだ。


 しかし、この句集の真骨頂はこのような句よりも、作者独特の観点が光る作品にあると思っている。

  新涼の死亡診断書に割り印

   診断書というものが改めて事務的な書類だということを感じさせる

  少年の何処を切っても草いきれ

   思春期の青臭さが感じられる

  白菜の葉と葉の隙間の不信感

   そりゃ白菜の葉に隙間があれば不信

  雪ひとひらひとひら分の水となる

   思いがけない叙情。

  三月十一日に繋がっている黒電話

   3.11と黒電話に共通する非日常。

  不と思と議切れば海鼠の如くなる

   発想の冴え。高尚な軽み

  たんぽぽがよけてくれたので寝転ぶ

  光らざれば生き永らえし螢かな

   命を見つめる作者の姿が切ない。

  存在を組み立て直す大花野

   枯野でなく花野であるところが非凡な感性。

  雪のない街へ線路は続きをり

   「雪のある」ではないところが作者らしい。


 この句集は亡妻の追悼に重点がおかれているが、次の句集こそ、俳人中村猛虎の本質が十全に発揮された句集となるに違いない。

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