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2020年11月27日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(4)ふけとしこ

   火
パピルスの戦ぎて冬のはじまりぬ
あんよは上手冬日が背中くすぐるよ
冬凪の海や手元に走らす火
落葉踏む落葉の下のものも踏む
小春日をスキンヘッドと隣り合ひ

   ・・・
 こんばんはだ! まだあったんだ!
 20センチ四方程の赤い木綿の古い布。幼い頃に着ていたワンピースの、おそらくスカートの部分。私はその服を「こんばんはの服」と呼んで大のお気に入りだったのだ。
 実家へ一泊して祖母の裁縫箱を探っていた時のことであった。祖母も母も亡くなって久しく、その裁縫箱も針や糸が必要な時に取り出すぐらいのものである。それでも、今まで何度も開けたことがあるのに、この端切れが入っていることに全く気付かなかった。畳んで重ねてあったからだろう。
 記憶を辿るのだが、今もってその生地でできた服を何故「こんばんはの服」と呼んでいたのかが分からないのである。
 人の顔のように見える柄だったか……しげしげ眺めてみても、そう見える所は全くない。
その服を着ている時に誰かが訪ねてきて「こんばんは」と挨拶があり、「こんばんは」と自分から言ったか促されて言ったかは不明だが、その挨拶の言葉と赤いワンピースとが自分の中でセットになってしまったのではないか、と考えてみる。
 「いい服着てるね」と言われれば「うん、こんばんはの服」と答えていたような記憶がかすかにある。「どうしてこんばんはの服?」との問いにはどう答えていたのだろうか。それは全く記憶にない。
 記憶というものの不思議さや面白さを思うことはままあること。家族や友人達と行動を共にしたはずのことにしても、一人一人の記憶のどこかがずれていたり、欠けていたりする。
今度実家へ行ったらあの赤い端切れを持って来よう。何にするという当てはないが、傍に置いておくのも悪くないなと思えるから。

(2020.11)

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