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2020年11月27日金曜日

【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】6 雪女三態―なつはづき句集「ぴったりの箱」鑑賞 岡村知昭

   雪女笑い転げたあと頭痛

 「もうやめてよ、笑い過ぎて頭が痛くなっちゃった」との声が響いてきそうな、一見ほほえましい景なのですが、この声の主は、何を隠そう雪女ご本人なのです。 
 言うまでもありませんが、雪女とは幻想の産物、脈々と積み重ねられてきたロマンチックの塊。同じ架空の存在でありながら、雪男が季語とされていないどころか、ヒトではなく獣扱いをされているのとは対照的です。男性目線が過ぎるのかもしれません。しかしこの一句に登場する雪女ときたら、大きな声を上げて笑い転げているのです。そしてついには「頭が痛い」と口にしてしまうのです。いったい何に対して、誰に対して笑い転げてしまったのかは、一切示されないまま、笑い転げている、頭痛に襲われている姿だけが鮮やかに、刃のような冬の空気の冷たさと合わせて、読者のもとへ届けられているのです。
 もちろん「雪女」で切れが発生していると捉え、この一句は私が、もしくは誰かが、雪女の話に笑い転げているのだ、と読み解くことはできます。その読みを取る場合には、積み重ねられた雪女へのロマンチックな幻想そのものを笑ってしまおうとしている、権威や伝統の圧力を恐れない、生き生きとしたひとりの人物の姿が、浮かび上がってくるでしょう。主人公が雪女本人であれ、「雪女=私」もしくは「雪女≠私」であれ、大きな笑いと鋭い痛みを自分の身体に併せ持ちながら、積み重ねられた幻想の縛りから解き放たれている誰かの姿が、この一句では鮮やかに描かれているのです。

 その町の匂いで暮れて雪女

 「その町の匂いで暮れて」との流れで、下五に何を持ってくるかは、なかなかに悩ましいところです。いま自分が住んでいる「その町」の「その」に、わずかながらではあっても、よそよそしさが感じられるので、季語として花を持ってきても、鳥をもってきても、雨風を持ってきても、誰かの忌日でも、それなりの落ち着きを一句にもたらしてくれそうです。しかし、下五に付けられたのは冬の幻の産物である「雪女」なのでした。
 この句においても、「雪女」で切れているかいないかは曖昧なので、「この句は『雪女』が、いま住んでいるこの町の匂いをまといながら、今日も日暮れを迎えていることへの想いにあふれている」と「自らを『雪女』に見立てて、この町の日暮れに思いを馳せている」のふたつに読みが分かれそうです。雪女本人か、「雪女=私」かのどちらかとなると、個人的には後者のほうの読みを取りたくなります。雪女の有無を超えて、「その町の匂いで暮れて」の上五中七は、いまの自分自身の心の揺れを十分捉えていると思われるからです。
 どちらの読みを取っても、この一句に描かれている日々の生活、現実の生活の中で抱えこんでいる寂しさは、一句の向こうにくっきりと広がっています。寂しさというぶれない軸を持つことで、一句は確かな形を手に入れています。そして、寂しさを抱え込んでいるからこそ、「その町」でこれからも生きる、生きていくのだとの意志は伝わってきます。今日も一日がんばった、明日もがんばろう、との決意が見えてくるのです。

 実印を作る雪女を辞める

 ついに決心はついたのです。「雪女を辞める」のです。雪女を辞めて、ヒトになると決めて、実行に移しているのです。まずは、実印を作るのです。実印ができあがったら印鑑証明を取りにいくのです。そのあと、金融機関に口座を開設し、不動産屋で新しい住居を見つけ、ヒトとしての新しい生活が始まるのです。
 もちろん、この一句における「雪女を辞める」は、自分にとっての大きな決心の見立てとなっているとの読みが、本来ならば適切なのかもしれません。決心と行動を「雪女」に託するのですから、かなりのものと思われます。故郷を離れるのか、大切な関係だった関係との決別なのか。どちらにしても悩みに悩み、決心はしたもののこれでいいのだろうかと思い悩み、それでも迷いを吹っ切って動きだしたのでしょう。なにしろ「雪女」だった過去(に込められた自分の過去)とは、相当重いものなのですから。
 「雪女を辞める」大変さを、この方はよく知っているはずです。雪女からヒトとなって、何とか社会に溶け込もうとしながら、過去を見破られて、ヒトを辞めて雪女に戻らざるを得なかった(もしかしたら雪女に戻ることもできず、彷徨える存在となってしまったかもしれない)先輩たちの悲劇を知らないわけはありません。たとえ知らなかったとしても、雪女を辞めようかどうしようかと悩んでいたときに、相談相手から「辞めるのはよしなさい。辞めた先輩たちがどうなったか知っているでしょう」とさんざん聞かされていたでしょうから、「辞めていいのだろうか」との不安は募って当然です。
 しかし、動きだしたのです。実印はできあがります。きっぱり「雪女を辞める」と宣言しています。もう雪女ではないとの自信にあふれています。自分自身の決断を、いまの行動を、そしてヒトとして生きるこれからを、積極的に肯定しています。雪女という縛りから解き放たれての新しい生活、新しい人生への希望と喜びにあふれています。それもそうでしょう、雪女ではないわたしとは、まぎれもないいまの自分自身。追い求めて、探し続けて、ようやく見つけ出した「ぴったり」の自分自身なのですから。

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