十六夜に夫を身籠りゐたるなり
帯の俳句が妙に私の脳裏にこだまする。
周辺の俳句を拾い読む。
判読しながら秦夕美の生きるベクトルに圧倒されていく。
「ふぶく夜を屍の十指ぬぐひけり」「寒紅をひくこのたびは喪主の座に」「雪原の果いつぽんの泪の木」「ただ生きよ風の岬のねこじゃらし」
あるがままに詠み込んでいく秦夕美の俳句に私は、惹きこまれていた。
誰も叫ばぬこの夕虹の都かな
ゆつたりとほろぶ紋白蝶のくに
「誰も叫ばぬ」「ゆつたりとほろぶ」の俳句にこの国を憂う俳人のアンテナが、時代を感受している。この俳人の中では、出色に見える俳句だが、私をきちんと丁寧に俳句に詠う力量は、社会へも実感を得た俳句として素晴らしい俳句を成している。
秦夕美と名のれば乱れとぶ螢
気負いなく自己をあるがまま詠う。
苺つぶす無音の世界ひろごれり
霜柱十中八九未練なり
花のおく太古の魚を飼ひにけり
白南風に仮面の裏の起伏かな
ままごとのお客は猫と昼の月
今生の光あつめ雛の家
この俳人の俳句をささえている丁寧な描写力は、観察眼と言い換えてもいい。
よく視ている。
よく聴いている。
よく心に感受している。
それは、とても素晴らしい感性の弦になっている。
ただただ圧倒された女性俳人の感性の弦を軸に人生を奏でる気概。
私は、俳句観賞するためにも、もっと人生を謳歌したい。
人生の先輩俳人たちが、のたうち回りながららも獲得して人生を謳うことへの嫉妬を拭いきれない。
しなやかに。
たくましくも繊細に。
力強く生きる。
俳句の奥域を広げて、深めて、真実を捉えていく。
そんな俳人たちに私は、これからも沢山たくさん精一杯のエールを贈りたい。
この同時代に生きて俳句を切磋琢磨していくエールを私も確かに受け取っている。
この俳人の情念を突き抜けた先を私は、もっと見てみたい。
共鳴句を頂きます。
貝がらをあやすのつぺらぼうの母
残照の鰭もつ子宮(こっぼ)泳ぎけり
念々ころり寝棺・猫又・願ひ文
とろり疲れてやさしい闇に吊柿
七草にまじへ啜るは何の魂
回想の雨のぶらんこ揺れはじむ
月浴びてゐる「わたくし」といふ魔物
雁風呂やわが情欲のさざなみも
乱鶯や乳首の尖がりゆく思ひ
花ざくろ老いても陰のほのあかり
何処へと問ひ問はれゐる鳳仙花
そして誰もゐない夕日の芒原
沈黙も寒のきはみの紫紺かな
椿一輪おく胎内のがらんだう
朝の鵙もうここいらで転ばうか
海市あり別れて匂ふ男あり
王子の狐火ゆうらりと昭和果つ
恃(たの)むものなし月光の針を呑む
以後の世を歩きつかれて雪女郎
画鋲挿す癌病棟の夏の壁
理由なき反抗獅子座流星群
梧鼠(むささび)がとぶ霊域の大月夜
後の世は知らず思はずねこじやらし
やさしさはずるさに似たり雲の峰
暇なのでひまはり奈落へと運ぶ
花嵐お手々つないで鬼がくる
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