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2020年10月16日金曜日

【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】3 愛すべき雪女—私を超えて「私」へ 柏柳明子

 ●ぴったりのもの、ぴったりではないもの
 なべての本にとって題名はその本の「顔」ともいうべき大切な象徴だろう。読者がこの本を手に取り、実際に開いてくれるかどうか。そのためには、己の世界を端的に表し、読者をページの中に誘う魅力的なフレージングが必要だ。これに対し、なつはづきは『ぴったりの箱』という題名を選んだ。

ぴったりの箱が見つかる麦の秋

 上記の句から採られた題名は、平易ながら不思議なイメージ喚起力に満ちている。
「ぴったり」の「箱」。それは何なのか。その箱の中には何があるのか。
 「箱」というとプレゼントなどの容れ物というポジティブな実体から、「閉じ込める」というネガティブにも近いエゴまでさまざまな形態やイメージが思い浮かぶ。
 また、「ぴったり」という言葉。「ぴったり」と題名で形容しながら、本句集を読み進めると不格好、不完全、欠落、空白といった要素や世界観を持つ句といくつも出会う。どちらかというと「ぴったり」とは逆の概念の句のほうが多いくらいだ。
 この作家にとっての「ぴったり」とは何なのか。「ぴったり」と言いながら、実は逆の概念「ぴったりではないもの」を自身の詩の世界の基軸として詠んでいるのではないか。そして、そこにこそ俳句作家・なつはづきの特性の一つが潜んでいるとはいえまいか。

からすうり鍵かからなくなった胸
宝石箱に小さき鏡野分来る
白い部屋林檎ひとくち分の旅
ひょんの笛心入れ忘れた手紙


 「鍵かからなくなった胸」と開放的な表現を一見用いながら、胸という「容れ物(箱)」はどこか不安定な動悸と呼吸を繰り返しているのだろう。それは「からすうり」という季語からも象徴的だ。
 「宝石箱」の鏡は人生の新章を呼び込むかのように、無意識のうちに野分という予感を待っている。
 「白い部屋」という空白。酸味の残る味の行き先はいずこへ。
 「手紙」という平面すら感情がこもれば、それは容れ物という概念になりうる。しかし、そこには最初から心がない。ひょんの笛の行きどころのない響きが読者の胸を掠めていく。

 一方、表題句を含めた「ぴったり」な句も存在する。

啓蟄や身の丈に合う旅鞄
冬の幅に収まる抱き枕とわたし
今日を生き今日のかたちのマスク取る


 「啓蟄や」はオーソドックスな二句一章のかたちが生きた、自然体の佳句。
 ここでは季語に中七「身の丈に合う」が「旅鞄」と組み合わされることで、のびのびと生活と人生の一シーンを寿いでいる。
 『冬の幅に収まる』は意表を突く導入から、冬の寒さの中の安らかな眠りが春を待つ祈りのようにも見えてくる。
 COVID-19の蔓延により装着が日常化された「マスク」。自分の一部にもなりつつあるマスクをぴったりとつけて今日を生きることは、今日を無事に終える(生ききる)ことでもある。その繰り返しが明日も可能かは誰にもわからない、そういった不安も行間に覗かせながら。

 なつはづきという作家とその俳句作品には、いつもどこか「自分はこれでいいのか」「自分の場所はここなのか」という視線や迷いがある。その「欠けた想い」が俳句という形を借りることにより、表現として昇華され時とともに成熟していったのだろう。その結実が本句集であり、一つの到達点として選んだのが『ぴったりの箱』という題名ともいえるのかもしれない。

 上記のアプローチ以外にも、本句集にはこの作家に特徴的な志向がいくつかある。
多くの人が指摘する「身体感覚」についてはここでは触れず、「恋」と「雪女」に絞って述べたい。

●「変」という字の上半分、下半分
 「移りゆく心」という1980年代の歌がある。歌い手は小林麻美、作詞は松任谷由実。
 「変わるという字の上半分は恋、下半分は愛」要約するとそんな歌詞なのだが、なつはづきの描く恋愛句も絶えず揺れる心を雫にも似た純度で定型の裡に言い留めている。

音程のぐらぐらの恋夏帽子
靴音を揃えて聖樹まで二人
薔薇百本棄てて抱かれたい身体
殴り書きのような抱擁花梯梧
アスパラガス愛にわたしだけの目盛り
合鍵を捨てるレタスの嚙み心地
あなたのことば十薬が暮れ残る
檸檬切る初めから愛なんてない


 時に不器用なほどストレート。しかし、同時に隠し持つ突き放した視線。
 恋愛をしている時の攫われるような感情と時間の豊潤さ、その反面自分の暗部を見せつけられる瞬間の絶望感。十七音の中にぶつけられた措辞が季語と化学反応を起こして、一句の裡で感情は生々しい変化を遂げていく。そして、「変わる心」を詠った作品の中に、上述の「ぴったりのもの」「ぴったりではないもの」を探し求める作品世界との共通点があることに気づく。
 今は好きでも明日はどう移るかわからない感情。だからこそ、なつの恋愛句は切実でリアルな輝きを放っている。

●はづき、ときどき雪女
 筆者にとって、なつはづきの作品の中で特に印象的な一句は下記である。

実印を作る雪女を辞める

 怖いような悲しいような、でも可笑しいような。
 言葉では説明できないユニークさ。感性の飛びの素晴らしさ。
 俳句作家・なつはづきの真骨頂の一句といえよう。

 掲句以外にも、なつは以下の「雪女」の句を『ぴったりの箱』に収載している。

雪女笑い転げたあと頭痛
その町の匂いで暮れて雪女
雪女ホテルの壁の薄い夜


 どの作家にも意識的、無意識的にかかわらず拘泥して使用する季語があると思う。
なつはづきの場合は、「雪女」がその一つとして挙げられるだろう。
 一体、彼女にとっての「雪女」とは何なのか。
 ある時はフィクションの存在に仮託して恋を詠い、ある時はこの世とあの世の間で遊ぶためのアバター的な役割を果たす存在なのだろうか。

 現実のなつはづきは成熟した大人の女性として、日常生活を営んでいる。
 しかし、彼女の裡のあやかしのような異界がときどき雪女に化けて、俳句作品としてこの世に忽然と姿を現すのかもしれない。

 自分ではない自分。ここではないどこか。
 私が私でいられる場所、心。

 本句集は、常に揺れつつも「自分が自分であるための、ぴったりの箱」を俳句という世界で探し続けた作家・なつはづきの現在の境地といえよう。
 微細な違和感をも敏感に感じ取る感性。それゆえに捉えうる世界。
今後もその感性を始点に、なつはづきは時にこの世から片足をはみ出し、片目で幻視を続けながら「私を詠みつつ私を超えた」彼女独自の俳句世界を紡ぎ続けていくのだろう。


1 件のコメント:

  1. 素晴らしい鑑賞力。はづきさんの世界を見事に捉えております。
    はづきさんの美しくも切ない魅力が全開の句集ですね。

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