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2020年10月30日金曜日

英国Haiku便り(15) 小野裕三

カズオ・イシグロの「マイ・ジャパン」

 僕と同じように、イギリスに来て一年ほどを過ごした若い日本人女性の友人がいる。その彼女が、この一年で「よくもわるくも、日本のことが好きになり日本のことが嫌いになった」とネットでコメントしていて、それはまさに僕自身の実感と一致していた。
 もちろんすべてのものに、長所と短所はある。「日本」も然りだ。だが、いろんな外国人たちと話していてこんなことを思ったりもする。彼らが口にする「日本」は、実在の場所からは少し乖離した、ひとつの美的観念なのではないか、と。実在する国や制度としての日本は、そこに暮らすと何かと息苦しく、ほとほと嫌になることも少なくない。だがその場所で育まれる諸文化や、根底にある美の構造は、外国人を含む多くの人を魅了してきた。
 小説家のカズオ・イシグロは、日本で生まれ、幼少時に家族と英国に渡った。以後を英国で暮らし、小説もすべて英語で書いた。そんな彼の、処女作と第二作は日本が舞台だ。ノーベル賞後のスピーチで(『My Twentieth Century Evening and Other Small Breakthroughs』)、彼は「私の日本」(my Japan)について語った。それは「自分のアイデンティティと自信を引き出す場所」であり、「私が飛行機で行けるどの場所ともあまり対応しない」「私の頭の中に存在する」もので、「ユニークであると同時にとても脆い」ものだと言う。僕が感じる美的観念としての「日本」もおよそそんなものだ。
 「日本の職人は尊敬してるけど、日本の政治家は嫌いなんだ」と僕は時折外国人に語るが、それも意味合いは近い。ここでの政治家はいわゆる政治だけに限らない諸分野の「政治屋」も含み、保身のためにうまく立ち回ろうとする人たちのことでもある。現代の日本の「職人」で国際的にも人気なのはやはり、漫画・アニメだ。友人との雑談だけでなく、時には出くわした医師やタクシー運転手からもそんな話題を投げかけられる。そしてそんな彼らの口から、日本の政治家や歴史上の指導者を尊敬するといった話を聞いたことはついぞない。
 先日、こんなことがあった。数人が集まって「戦争」について討論する機会があり、ある中国人の若い女性が意見を求められ、こんなことを語った。
——昔は、中国の学校では戦争中に日本人がいかに悪いことをしたかを教えられて、だからみんな日本人が嫌いだったんです。「日本」は「悪」の代名詞でした。でも、最近では、日本のアニメがみんなすごく好きになって、そんな状況も大きく変わりました。
 そんな彼女が、自身のスマホのカバーに「セーラームーン」とカタカナで書かれた日本のアニメのデザインのものを使っていることにも、僕は気づいていた。「好きで嫌いな日本」がここにもあった、と僕も複雑な気持ちになった。

(『海原』2020年5月号より転載)

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