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2020年8月7日金曜日

【読み切り】「タナトスとエロス呑み込む貝は都市 ~九堂夜想句集『アラベスク』より~」 豊里友行

 九堂夜想さんの俳句の初見は、海程だった。
 私も当時、俳句の武者修行のため金子兜太先生の海程会員として俳句を切磋琢磨していた。
 あっという間に独自の作風で頭角を現していく印象を受けた。
 『セレクション俳人 プラス 新撰21』(邑書林)にて入集者は越智友亮、藤田哲史、山口優夢、佐藤文香、谷雄介、外山一機、神野紗希、中本真人、高柳克弘、村上鞆彦、冨田拓也、北大路翼、豊里友行、相子智恵、五十嵐義知、矢野玲奈、中村安伸、田中亜美、九堂夜想、関悦史、鴇田智哉。
 私も私自身を含めて若手俳人21人の鮮烈な登場に大いに刺激を受けた。
 その中でも北大路翼さんと九堂夜想さんの俳句には、衝撃的な俳句の視界の拡大に戦慄さえ覚えた。
 九堂夜想さん(1970年生まれ、「LOTUS」同人)の第1句集『アラベスク』(六花書林)を読み深めていくにつれ私の中で言葉にしがたい感情が芽生えていた。
 硬質な詩魂の原石が、マグマのようにぐわぁんぐわぁんと構築されていくことへのあせり、いらだちを同時代に生きる俳人として感じる。
 それは私の心の奥底に棲む俳句の鬼が抱いている嫉妬だったのだろう。

春深く剖かるるさえアラベスク

 冒頭の〈春深く剖(ひら)かるるさえアラベスク〉は、まるで手術台に立ちメスを踊らせる舞台かのように春を深く鮮やかに解体してみせるとアラベスクの世界が展開している。
 アラベスクとは、モスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式で、幾何学的文様(しばしば植物や動物の形をもととする)を反復して作られている。
 九堂夜想俳句のある種のマジックに魅了され、快楽の歓喜も悶絶の苦痛も鮮やかな世界観に誘われていく。

みずうみを奏でる断頭台なれや
母踊り来るやまなうらの離れより
燃えずの火濡れずの水をわたり馬
花という花からびゆく相聞(あえぎこえ)
月よみや水に憑かれて海という


 断頭台とは、死刑執行人が斬首刑を行う時に使用する木製の台である。その行為の戦慄とは裏腹にみずうみを奏でる断頭台への祈り。
  眼裏(まなうら)の離(はな)れより母が踊り来る記憶。
燃えない火も濡れない水をも馬がさっそうと渡る幻想的な世界観。
 「からびゆく」は、ねび行く(ねびゆく)として読み解くと次第に花の成長していくエロス。
 月光圏の水に魅せられ憑かれてしまう魔性を海と名づけよう。

みなみかぜ貝殻は都市築きつつ

 九堂夜想俳句の醍醐味は、AというモノをBという世界に異化する超リアリズムな俳句的錬金術とでもいうべき世界観の構築にある。
 貝は瞳のように柔らかに誕生しつつも堅い貝殻になってもなお都市を築きあげつづけるのだろうか。みなみかぜは、絶えることのない永久無窮の九堂夜想俳句の都市を築きあげ続けている。

死に顔へ海市はこばれゆく夜会(ソワレ)


 海市(かいし)とは、気温の相違により、地上や海面上の大気の密度が一定ではないときに、光の異常な屈折が原因で、遠方の景色が見えたり、船が逆さまに見えたりするなど、物が実際とは異なって見えるような現象のことである。死者の顔へと海市は、夜会(ソワレ)の宴に誘われる。
 九堂夜想俳句のエロスとタナトスへの誘いの絶頂の波に呑まれないように必死に抵抗しつつ、これからもジックリと読み解きながら私は私なりの俳句世界を切り拓き続けたい。

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