【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2019年12月13日金曜日

第127号

※次回更新 1/10

 【速報!】第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果
 ※受賞作品は「豈」62号に掲載

【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日 特集『切字と切れ』
【緊急発言】切れ論補足(1)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて
【緊急発言】切れ論補足(2)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて
【緊急発言】切れ論補足(3)動態的切字論1――現代俳句の文体――切字の彼方へ
【緊急発言】切れ論補足(4)動態的切字論2――現代俳句の文体――切字の彼方へ ※12/13追加

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和夏興帖
第一(11/8)飯田冬眞
第二(11/15)夏木久・山本敏倖・望月士郎
第三(11/22)椿屋実梛・曾根 毅・ 辻村麻乃
第四(11/29)仙田洋子・小野裕三・松下カロ・仲寒蟬
第五(12/6)山本敏倖・神谷 波・木村オサム・坂間恒子
第六(12/13)浅沼 璞・林雅樹・北川美美・青木百舌鳥・岸本尚毅・田中葉月・堀本 吟・花尻万博・井口時男・渡邉美保

令和秋興帖
第一(11/8)大井恒行
第二(11/15)曾根 毅・辻村麻乃・仙田洋子
第三(11/22)小野裕三・仲寒蟬・山本敏倖
第四(11/29)浅沼 璞・林雅樹・北川美美・ふけとしこ
第五(12/6)神谷波・杉山久子・木村オサム・坂間恒子

■連載

【新連載】英国Haiku便り(1) 小野裕三  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉕ のどか  》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ    》読む
16 「こころのかたち」/近澤有孝  》読む

句集歌集逍遙 柳本々々・安福望『バームクーヘンでわたしは眠った もともとの川柳日記』/佐藤りえ

【抜粋】〈俳句四季12月号〉俳壇観測203
切字と切れ――「切れ」よ、今日は・さようなら
筑紫磐井》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ    》読む
7 生真面目なファンタジー 俳人田中葉月のいま、未来/足立 攝  》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ    》読む
7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編  》読む


「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(2018/12/28)

【100号記念】特集『俳句帖五句選』


眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
5月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子





「俳句新空間」11号発売中! 購入は邑書林まで


豈62号 発売中!購入は邑書林まで


「兜太 TOTA」第3号

Amazon藤原書店などで好評発売中

筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【連載】英国Haiku便り(1) 小野裕三

[小野氏が英国留学するにあたって少し相談することがあり、その時に、BLOG「俳句新空間」にも書きましょうと言われていたが、やはりあまり時間もなかなかとりにくいようであった。一方「海原」には標記のような連載が始まり1年近く連載している。そこで相談したうえで、「海原」のご了解をいただき過去のバックナンバーを順次掲載させていただくこととした。「俳句新空間」の関心にも通うところがあると思うので、是非ご愛読を乞う。――筑紫磐井]



俳句と現代美術に共通するもの

 今年(2018年)の九月から、一年か二年の予定でロンドンに家族で引っ越してきた。その滞在の間、「英国Haiku便り」として短文を綴り、英国の地から俳句や日本文化を見直すいい機会にできれば、と思っている。
 Haikuはこちらでも知名度が高い。今のところロンドンで出会った中では(出身国もさまざま)、過半の人がHaikuを知っている印象だ。決められたリズムがあることを知っている人も少なからずいるが、それが五と七と五であると正確に答えられた人は未だにいなくて、「七・四・七のリズムよね」みたいな答えが返ってくるのはちょっと面白い。
 ロンドンの街中の小さな書店で、『Love Haiku』という、イギリス人が日本人の俳句を編纂した本を買ってみた。前文に、日本語は「精妙さ」や「ほのめかし」の力に強く依拠しているのに対し、英語や「明晰さ」や「正確さ」に依拠している、とあった。同感だが、それゆえに、俳句は日本語の持つ独特の質感から大きな力を貰っている、という印象が僕には拭えない。Haikuがどれだけワールドワイドになっても、それはやはり本質的には日本語の文学なのだ、と思える。あるいは少なくとも、書き言葉としての日本語が持つ独特の物質性に、俳句は深く依存しているのだ、と感じる。
 ところで、ロンドンに僕が来たのは、英国王立芸術大学(Royal College of Art)というところで学ぶためだ。この年齢で大学院の学生、というと日本ではだいぶ珍しいように思われるが、こちらに来てみると、学生と言えど年齢も二十代から六十代あたりまでまんべんなく分布し、国籍も職歴も本当にさまざま。現役の建築家、ファッションデザイナー、写真家、などがある程度の実績を積んで、さらに自分のテーマを深めるために大学で学ぶ、ということが当たり前のように行われている。そのように多様で前向きな人々の生き方を受け止める社会の大きな包容力は、率直に羨ましいと感じた。
 そんなアーティストやデザイナーたちに、僕は日本から来た「Haiku Poet」であると自己紹介し、なのでHaikuのこともよく話している。ある日、そんな人々を前に、二十世紀の俳句史を振り返りながら、「僕は、俳句にとって可能なあらゆる実験は、二十世紀の間に終わったと思っています」ということを語ってみた。すると一人がぽそりと呟いた。
「美術と同じなのね」
 なるほど、その意味では俳句も美術も今は同じ地平に立つのか、と妙に腑に落ちた。それでも、彼らがなおも自分の表現を見つけようと真摯に取り組む姿には、心を打たれる。似たような条件にあるという意味で、彼らが作り出そうとする現代美術の潮流から俳句が学べるものもあるのでは、と思っている。

(『海原』2018年12月号より転載)

【緊急発言】切れ論補足(4)動態的切字論2――現代俳句の文体――切字の彼方へ  筑紫磐井

1.ふたたび始めに
 前号の記述が誤解を呼びそうなので繰りかえしを述べる。切字論はある理念に基づいていると従来考えていた。前句が短歌の一部でなく、独立した詩歌だと認識させるためには、前句と下句の間に切断が必要となり、そのために「かな」という語――切字が重用されるようになった。だから切字と切れの効果に関心があり、正統的な切字を探求することになる。これを「静態的切字論」と呼んで、それはそれでそうした方面に関心がある人に議論を任せたいと思う。

 もう一つのあり方が「動態的切字論」で、その「前提」は静態的切字論と似ているが、いったん切字が生まれた以上、その理念――切れの効果などとは無関係に、連歌師や俳諧宗匠、俳人たちの知的活動として切字らしいものが再生産されてゆくのを追跡する。こうした活動に関心を持つのが動態的切字論である。静態的切字論が文学上の理念をピュアに追求するのに対し、動態的切字論は、それが文学上間違っていたとしても、連歌師や俳諧宗匠、俳人たちがどんな活動をしてゆくかを探求しようというものである。現に切字とされているものがどのように変化したかという社会現象的な関心である。別に切字がなければいけないと思っているわけではなく、ともかく切字が始ってしまったからこれがどう推移するかに関心を持つと言う思考方法である。浅野のように「切字精神」が完成したからと言って、芭蕉以後の切字に関心がないわけではない。現代の月並みな切字にも大いに関心があるのである。
 連句時代の切字を要求する発句(つまり付句を前提とした句)と、連句を廃止してしまった明治以降の俳句(つまり付句を前提としない句)にあって、この2つを接続して考えるには、切れとか何とか言う理念を放棄して、没価値的に切字がどのように変わってきたかを見ることの方が有益なのではないか。別にその是非を問うているのではなくて、人間とはこんな考えかたをするものだと言うことだけを示したいと思うのである。こういう現象が存在したことを前提として、その上で切字の価値を見つけたい人はまた考えてみればよい。一方でこれからも切字が残るのかどうかについても、――もちろん残らなくてもいいのだが、もしそれに類したものが残るとすればどう残るのかを尋ねたいと思う。ここまで来ると、前回紹介した川本提案説に近づくと思う。
 連歌から貞門までの切字はここで一頓挫し、芭蕉は48字皆切字なりと言って、一見切字は廃止になったようにも思えるが、実は芭蕉以後も切字は続いており、現在でも切字論(その後は、切れ論と名称を変えたものとなっているが、本質は変わらないだろう、相変わらず切れの根拠に切字を置いているからである)は盛んな訳である。実際俳句辞典や入門書を見れば、どれも「かな」「や」の紹介から始り、付け足しのように芭蕉の48字皆切字説を紹介し、矢張り最後は切字入門講座で終わっているのが現状のようである。こうした考え方にも動態的切字論推奨は役に立つと思う。

2.時代を下る
 さて切字の分類については、川本『俳諧の詩学』で専順法眼之詞秘之事の切字を次のように分類している。これはすでに『芭蕉解体新書』で示されている。

助詞=かな、もかな(もがな)、か、よ、そ(ぞ)、や
助動詞=けり、らむ(らん)、す(ず)、つ、ぬ、じ
形容終止形の語尾=[青]し
動詞命令形の語尾=[尽く]せ、[氷]れ、[散りそ]へ、[吹]け
疑問の副詞の語尾=[いか]に

 もっとも、これに先立ち、余り評判が良くはない浅野『切字の研究』でもこうした分析は行われており、もっと詳細な分析が行われているので、ここでは取りあえず標準的成果としてこれを使うこととしよう。

●浅野信『切字の研究』による『専順法眼之詞秘之事』18切字の品詞別
[助詞]
【かな】終助詞=詠嘆
【もかな】終助詞=願望
【そ(ぞ)】終助詞=強調(係助詞なので切字ではない)[注]
【か】終助詞=疑問
【よ】終助詞=願い(命令)
【や】助詞=詠嘆(係助詞なので切字ではない)[注]→7つのや

[助動詞]
【けり】助動詞=過去・詠嘆
【らむ】助動詞=現在の想像
【つ】助動詞=完了
【ぬ】助動詞=完了
【す(ず)】助動詞=打消し
【し(じ)】助動詞=推量打消し

[形容詞の語尾]
【し】形容詞の語尾

[副詞の語尾]
【に】副詞(いかに)の語尾
→「いかに」を「いかなる」(形容動詞)の連用形と見る見方もある。

[下知(命令)]
【せ】動詞の語尾(命令形)
【れ】動詞の語尾(命令形)
【へ】動詞の語尾(命令形)
【け】動詞の語尾(命令形)

[注]係助詞の「や」「か」「ぞ」を浅野は、係助詞であるから切字でないとする。終助詞の「や」「か」「ぞ」のみを切字とするのである。したがって、専順の挙げた例句を否定する。同様に、副詞(いかに)の語尾の「に」も切字と認めない。しかし、現にある切字一覧表を否定するのはフェアでない。
 一方逆に切字に係助詞を発見して切字の機能を理論化したのは川本であった。

 我々が通常切字として理解しているのは、このうちの助詞・助動詞であり、形容詞終止形・動詞命令形は切字として理解していない(せいぜい、句末の名詞止めが「切れ」ているという意味と同様に、これらは切れている、と言う頭の上の理解であろう)し、副詞は全く切字の体をなしていないと考えられる。しかしこれは当時の人々が切字を何として理解していたかを知るための手がかりにはなると思うので一応挙げておきたい。
 ではこれを通時的に推移分析をしてみたらどうであろうか。『切字の研究』を見ても作法書ごとに切字の文法的機能を示しているが、これを全体として通時的にその推移は示していないようである。
 まず、学校文法の、品詞の種類を全て挙げて、即して著作順に切字を落とし込んでみることとする。ただし、同じ単語であっても品詞はいくつか分かれるし、それぞれの論書の中でどれに当たるか判明しないものもある、特にBLOGの論考でもあり、学術論文でもないので一応の整理として見て欲しい。特段厳密な議論をしなくても私の議論には余り大きな影響はないからである。

【切字にかかわる全品詞の推移表】①~⑨の番号は、前号で述べた文献の種類の略号である。また()のついた略号は前回掲げた別本に上がっている切字である。
(1)[助動詞]
過去=き④(⑥)⑧⑨、けり②③④⑤⑥⑦⑧⑨、
完了=たり⑧⑨、り⑨、つ(②)⑤(⑥)⑦⑧⑨、ぬ③④⑤⑥⑦⑧⑨
推量=む③④⑥⑦⑧⑨、んず、けむ④、らむ②④⑤(⑥)⑧⑨、めり(⑥)⑨、らし(⑥)⑧⑨、まし⑧⑨、べし①⑧
打ち消し=まじ⑧、ず③⑤⑧⑨、じ⑤⑥⑦⑨
断定=たり、なり②(⑥)⑦⑨
希望=たし⑧、まほし、
   *    *
受身・可能=る・らる、
使役=す・さす、しむ、
比況=ごとし、やうなり
継続=ふ
推定=なり

(2)[助詞]
終助詞=な⑧⑨、そ③⑧、ばや、なむ、もが・もがな⑤⑥⑦⑧⑨・もがも、しが・しがな⑧・しがも、ね、か、かな①②③④⑤⑥⑦⑧⑨、かも⑧⑨、は、も、な④⑨、かし③⑦⑧、:
間投助詞=や、よ③④⑤⑥⑦⑧⑨、を⑥、ろ、ゑ:
係助詞=は、も、ぞ③④⑤⑥⑦⑧⑨、なむ⑧、こそ④⑥⑦⑧⑨、か③⑤⑥⑦⑧⑨・かは(⑥)⑦⑨・かも、や③④⑤⑥⑦⑧⑨・やは(⑥)⑦⑧⑨・やも:
接続助詞=ば⑥、とも、ど、ども、が⑨、に、を⑧、て、して、で、つつ、ながら、や、:
   *    *
格助詞=が、の、を、に、へ、と、より、から、にて、して、:
副助詞=し、しも、のみ、ばかり、まで、など、だに、すら、さへ、:

(3)その他の品詞
形容詞・終止形の語尾=なし②、し④⑤⑥⑦⑨、はなし(⑥)⑨、もなし⑦⑨
動詞・命令形の語尾=れ④⑤、せ⑤、へ⑤、け⑤、下知
疑問の副詞の語尾=[いか]に⑤⑦⑧⑨
  *
副詞=さぞ⑥⑧⑨、いかで⑥⑨、なと⑦、いかが⑧、何⑦⑧
感動詞=いさ⑥⑦⑧⑨、
代名詞=いつ⑥⑦、いづれ⑥⑦⑧、いづこ⑦⑧、いづら⑧、誰⑦⑧
接頭語=いく⑥⑦⑧
動詞=あり⑧、候⑨
動詞語尾=ゆ⑧、

 その他の品詞までを挙げると際限がないので、助動詞・助詞に限り、その推移を時期的に分析してみたい。品詞の種類が推移してゆくのと、同一品詞の種類の中でも更に語が推移してゆくのを見ることができる。

[切字にかかわる助動詞・助詞の推移表(初期→後期/切字となっていないもの)]
(1)助動詞
推量=べし、らむ、む、けむ→めり、らし、まし/(切字となっていないもの)んず、
過去=けり、き、
完了=つ、ぬ→たり、り、
断定=なり/(切字となっていないもの)たり、
打ち消し=ず→じ、まじ、
    ↓
希望=→たし/(切字となっていないもの)まほし、
    ↓
(切字となる可能性のあるもの)
推定=なり
受身・可能=る・らる、
使役=す・さす、しむ、
比況=ごとし、やうなり
継続=ふ

(2)助詞
終助詞=かな、かし、そ、な→もが・もがな・もがも、しが・しがな・しがも、かも/(切字となっていないもの)なむ、ばや、ね、か、は、も、:
間投助詞=よ→を/(切字となっていないもの)や、ろ、ゑ:
係助詞=や・やは・やも、ぞ、か・かは・かも、こそ、→なむ/(切字となっていないもの)は、も:
      ↓
接続助詞=→ば、を、とが/(切字となっていないもの)に、も、ど、ども、て、して、で、つつ、ながら、や、:
      ↓
(切字となる可能性のあるもの)
格助詞=が、の、を、に、へ、と、より、から、にて、して、:
副助詞=し、しも、のみ、ばかり、まで、など、だに、すら、さへ、:

 言っておくがこれらは切字として認識されているのではなく、切れを生む「てにをは」としてとらえられていたことに注意すべきである。「てにをは」とは現代文法にある助詞のことである。

●結論
(1)品詞の種類の拡大
 助動詞では、推量・過去・完了・断定・打ち消しの助動詞から希望の助動詞へと拡大している。助詞では、終助詞・間投助詞・係助詞から接続助詞へと拡大している。
[補足]助詞・助動詞から副詞や代名詞への拡大は、句中に使われた係助詞の存在の影響があると思われる。それ程係助詞の登場の影響は大きいのである。
(2)同一品詞の種類の中の語の拡大
 助動詞では、例えば、推量では「べし」・「らむ」・「む」・「けむ」→「めり」・「らし」・「まし」、完了では「つ」・「ぬ」→「たり」・「り」、打ち消しでは「ず」→「じ」・「まじ」と拡大している。助詞では、例えば、終助詞では「かな」・「かし」・「そ」・「な」→「もが」・「もがな」・「しが」・「しがな」・「かも」、間投助詞では「よ」→「を」、係助詞では「や」・「ぞ」・「か」・「こそ」→「やは」・「かは」・「なむ」と拡大している。
(3)結び(可逆的推移)
 このように、切字は時代が下るとともに一般的に増加してゆく。それも無秩序に増加するのではなく、同一品詞の種類の中の語の拡張があり(2)、さらに品詞の種類が拡張してゆく(1)。
 それからもっと重要なことは一方向的に増加してゆくのではなく増減を繰り返すことである。いったん切字リストに上がった切字が消えてゆくこともある。つまり字となっていない頭の中の観念的切字リストがあり、それぞれの宗匠がある基準から掲出したり、偶然掲出しまた偶然掲出し洩らす等によって具体的著作上の切字表ができあがっていると考えられる。つまり目に見える著作上の切字を操作することだけによって切字の全ての問題が解決するわけではないと考えられるのである。
 切字の増加については、自著に新規さを持たせようとしたためと言う考え方もあるが、以上から考えるとそれ程単純な問題ではないように思う。こんなところから次回では観念的な切字のリスト、更には切字の本質を考えてみることにする。

【注】筆者は文法に見識を持つものではないし、学説もまちまちなところもあるようなので、今後精査があり得ることを前提に読んでいただきたい。


寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉕  のどか

第3章 戦後70年を経ての抑留俳句
Ⅵ 百瀬石涛子(せきとうし)さんの場合(5)
【百瀬石涛子著『俘虜語り』を読む】‐その3

*は、インタビューをもとにした、筆者文。

  黒パンへ寒灯染みる虜囚の地(ナホトカ)
*配給の黒パンを切るには、白樺の木で物差しを作ってあって、それで均等に切り分けたのだが、皆、棚になったベッドから見つめる目に刺されるようであった。

  虜囚われ春禽捉え生き延びし(夏のペチカ)
*捕らわれの身である自分。飢えに苦しみ、春の鳥を捉えて食い生き延びた。

  今日の糧とつこ虫食ひ草を摘み(寒極光)
*春には鳥を捕まえ、とつこ虫(カミキリムシの幼虫)や草を摘み食べることはまさに生きる糧となった。

  蟷螂のまなこ兵士のころの吾 (夏のペチカ)
*あの頃の目は、まるで獲物を狙う、蟷螂の眼そのもので有った。また、自分自身の飢えに突き動かされるように食べられそうな物を探した。

  俘虜飢ゑて自虐のこころけらつつき(寒極光)
*飢えは、一層気力を低下させ、憂鬱や絶望といった自虐的な心にさせた。虫を食べるために草木の根元を掘る姿は、けらつつきに投影されている。

  逝く虜友を羨ましと垂氷齧りをり (寒極光)

*飢えは自分自身の心を苛み抑うつ状態に追い込む、死に逝く友を羨ましいとさえ思い、その一方で垂氷を齧らせる。死を切望しながらも体は、生きようと懸命なのである。

  繰り返し語る帰還(ダモイ)や木の根明く (寒極光)
*。収容所は、シベリアの各地に散らばっており、情報源は時々ある収容所の人員の交代により他のラーゲリの様子を知ることの他は、「日本新聞」のみである。幾つかの野菜のかけらが入った粥(カーシャ)をゆっくり味わった後の雑談はいつも帰還のことになる。毎晩、毎晩同じ話をするうちに、木の根の明く春がまた巡ってくるのである。

  虜囚とはいつも望郷盆近し(寒極光)
*飢えと寒さと強制労働から早く解放されたい、一日も早く帰還を果たしたいという望郷の思いが募る毎日、先祖や親せきか集うお盆も近づいている。夏になれば帰還船が出るのではという期待が「盆近し」の中に込められている。

  収容所の夏はつかの間岳樺 (夏のペチカ)
*ウラン・ウデが暖かくなるのは5月中旬から9月の上旬、9月の中旬以降は、最低気温が氷点下の日が続く。収容所の夏は短い。

  収容所は夏のペチカを奢(おご)りとす(夏のペチカ)
*石涛子さんの居たウラン・ウデ地域は、夏場も5月・9月には3度~5度になることがある。そんな寒い日には、粗朶を燃やして、冷えた体と心を温める。細やかな楽しみなのである。

  遠郭公脱走兵を悼みけり(寒極光)
  脱走の俘虜の末思ふ白夜かな(寒極光)

*収容所は、鉄条網で囲われ四方には監視塔が置かれ、狙撃銃を持ったカマンジール(監視兵)が見張りをしている。脱走が見つかったときには射殺される。発熱のために飲み水が欲しく雪を取りに行く、収容所の近くの雪は取りつくされているので、仕方なく鉄条網に近い場所の雪を取りに行く、あるいは野草を取りに鉄条網に近づき、脱走とみなされると射殺される者もあった。運よく脱走出来ても、冬はマイナス30度にもなる酷寒の地。腹を空かせた狼の群れもいる。脱走が目的でも鉄条網に走るのは、絶望の果ての積極的な自殺ともいえる。遠くリフレインする郭公の声は、脱走者を悼むかのようであり、脱走者を狙撃した銃声の木魂とも聞こえる。誰もが俘虜の苦しみから逃れたく脱走することを思うのだろうが、その行く末を思えば我慢するしかないと自分を慰めたのである。

  渡り鳥羨しと見つめ俘虜の列 (寒極光)
*冬の近づく頃、鴨や白鳥、真鶴などはシベリアの広大な空を自由に飛び、冬には日本に渡ってゆく。作業に出かける前の点呼の列で、作業の合間の給食を待つ列で空を見上げながら、自由に飛べる渡り鳥を羨ましく眺めるのである。

  凍天やウオッカの匂う看視塔 (寒極光)
*ウラン・ウデ地域の冬の降水量は少なく、雨はひと月に1~2日位となる、空も凍てつく青さなのである。監視塔では、カマンジール(監視兵)がウオッカを煽って寒さをしのいでいる。

  深井戸は氷の渓や俘虜の列 (寒極光)
*深井戸とは、硬い岩盤を掘りぬいた井戸のことであるが、水脈を得るために谷底に作られたのだろうか、一日の飲み水を水筒に汲むために、氷った谷底へ俘虜の列が続いている。今の時代には、水道を捻れば水を汲むことができるが、厳しい作業に備えて点呼の前に飲み水を確保しなければならないのは大変な苦労であった。

  凍てし樹皮刻み煙草の日々なりし(寒極光)
*強制労働の対価として、月に一回はマホルカという刻み煙草が支給されたようだが、その量については、定かではない。空腹を紛らわすために、木の皮を刻んで煙草の代わりに吸って口さみしさを紛らわせた日々なのである。

  凍つる日の毛虱検査女医強気 (寒極光)
*収容所での身体検査は、三か月ごと位に有り、主に尻の肉をつまんでその戻り具合で、労働等級を決めるために行われたが、ケジラミの検査も行われたのであろう。人に取り付く虱は、アタマジラミ・コロモジラミ・ケジラミであり、ケジラミは陰毛に寄生するのである。当時ソ連では、ドイツ戦・関東軍との戦いにより多くの兵士を失い、男性が少なかったので、医師は女性が多かった。毛虱検査をする女医も強気にならなければならなかったろうし、裸になって女医の前に整列する側も心凍る思いだったのだ。

  懐郷の虜囚の尿は礫に凍つ (寒極光)
*冬を迎えると故郷への思いは一層つのる。「慮囚の尿は礫に凍つ」については、酷寒の地では小水をしたところから氷っていくのでそれを金槌でたたいて落とすなどという笑い話を筆者は子どもの頃に耳にしたが、実は小水が落ちたところから小石のように凍り付いてゆくのだという。

  冬来るや畚もて糞塊当番 (寒極光)
*冬の到来でのもう一つの悩みは、便所で鍾乳石のように氷り、尻を刺す糞尿である。労働階級三級になると軽作業に廻されるが、便所当番も仕事になる。足掛けの丸太を外し、十字鍬やシャベルで糞尿の鍾乳石を掘り起こし、畚(もっこ)で捨てに行く。凍っている時は良いが、外套についた塗沫がペチカの火で溶けると、臭いが厄介なのである。糞塊当番とは、石涛子さんの独特の表現なのか、当時のラーゲリではそう呼んでいたものか、大変な仕事の中に笑いを誘う表現である。  

  俘虜逝きて白夜の星を眩しめり (寒極光)
*昼間は作業を夜には食事を共にした仲間が死んだ、白夜の頃(夏至前後)、深夜の友の埋葬。黙祷を終え、白夜にかすかに瞬く星を目をほそめて見上げるのである。

  俘虜死すや骨立つ尻の寒からむ(寒極光)
*生活を共にする収容所(ラーゲリ)の仲間の死は、生の隣にある死を暗示する。裸にされた遺体の骨と皮だけの尻に、一層いたいたしく不憫な思いが湧いてくるのである。
(つづく)
句集『俘虜語り』百瀬石涛子著 花神社 平成29年4月20日

【麻乃第2句集『るん』を読みたい】16「こころのかたち」 近澤有孝

 辻村麻乃句集「るん」を読んで、まっさきに感じたのは「なんて不思議なこころのかたちなんだろう」ということだった。季語にさまざまな思いを託して書かれるわずか十七音の詩。たんなる書きつけのように見えるかもしれないけれど、その短章の奥に凝縮されたひとりの人間の思いのあることを知るとき、読者はそのミスティーな魅力に惹きつけられないわけがない。

  雛の目の片方だけが抉れゐて
  春疾風家ごと軋む音のして
  眠るやう交はるやうに秋の蝶


 これらの句は、いずれもなんの変哲もない、ひとりの女性の日常をしたためたものにすぎないのかもしれない。けれども、雛の片方の目だけが抉れていることに心の痛みを感じ、秋の蝶の訪れに《眠れるやう交はるやう》な慰藉をみとめたとき、ばらばらのことばはたちまちのうちに並びたち一本の短詩となっているのだ。このささやかなことばとのたわむれに触れるとき、ぼくはその書かれた、いや詠まれた作品のひとつひとつに怯えのような不思議さを感じずにはいられない。
 そう言えば、ずっと以前に麻乃先生のお父さま、故・岡田隆彦氏の詩集を読んだときにも、やはり似たような不思議さを感じていたものだった。

うまく水路がみつからないときは、
いつも揺れる界隈に溺れてしまって
突堤のような店さきで
押しよせる雑踏にしばらく身をまかす。「泡だつもの 1」冒頭


 詩と俳句では作品の成り立ちが違うけれど、それでも、岡田氏のまるで山繭がいま吐いたばかりの生糸で、悪戦苦闘しながら壮大な構造物を作りあげようとしているような印象があって、それはとりもなおさず血をわけた娘である麻乃先生の句の上にも同じ不思議が継がれていているらしい。日常に腰を下ろした深い眼差しや、いかにも都会のひとらしい洗練されたことば選び、それからふいに見せてくれる茶目っ気や艶やかさは、そのまま麻乃先生の句をいろどるものとなっている。

  気を付けの姿勢で金魚釣られけり
  私小説受け入れられぬままに解夏
  冬ざれや男に影がついてゆく


 これらの句はたぐいまれな美しいかたちを備えている。へたをしたら、まさに女子校生の手すさび、あるいは《私小説》になってしまっていたかもしれないところを、とことん熾烈な匠の目で、新鮮なことばだけを提示してくれている。ここには、気まぐれなな感傷や古びた伝統のかけらもない。辻村麻乃という、たぐいまれなほどにまっすぐな《こころのかたち》がそこにあるからにほかならない。

句集歌集逍遙 バームクーヘンでわたしは眠った もともとの川柳日記/佐藤りえ

本書は春陽堂書店のホームページで1年間連載された『今日のもともと予報』をもとにした、柳本々々さんの川柳と短文、安福望さんのイラストレーションからなる本である。ちなみに現在おなじ春陽堂書店のホームページで「週刊もともと予報」が連載されている。

副題が「もともとの川柳日記」ということで、ページ(または見開き)ごとに冒頭に川柳が1句、それに続いて日記本文としての短文が続き、安福さんのイラストレーションが伴っている。文章の長さはまちまちで、20文字足らずのこともあれば、600字を超えているところもある。日記の内容は「したこと」や「考えたこと」「思い出したこと」「ひとから聞いたこと」など多岐にわたる。その日の出来事、というより、柳本さんの脳内で絶えず流れている川から、その日にひょいと掬われた水なのだろう、と思う。

そうした多岐にわたる話題、というか考えのなかに、これまた多岐にわたることごとが引用されてあらわれる。カフカ『審判』。フランソワーズ・ポンポン。浅沼璞。漱石。ベンヤミン。レムの『ソラリス』。映画『クレイマー・クレイマー』。ヒエロニムス・ボス。モリアーティー教授。チェーホフ『ワーニャおじさん』。
引用されるのはその日の本題となったことの背景だったり、きっかけだったりするものだ。

「もともとの川柳日記」は、日々を割り当てられた短いエッセイというのでなく、これはやはり日記だろう。肉体を以てしたことのみが日に記すべきことであるはずがなく、繰り返しになるが、脳内で絶えず流れている川から汲みうるその日の水が、ここには脈々と記されているのだろう。

短文そのものが詩のような箇所も随所にみられる。

わたしは、またうそをつきそうになる。
うそはつきたくなかったから、わたしは、
星ひろう。なんでもひろわないでねときみにいわれる。「はい」とこたえる。
(9/11)

ひらがなの多い表記を読み違えないよう、拾うように読んでいくと、「なんでもひろわないでね」が窘めを含意しているように見える。「なんでもひろわないでね」を「なんでもない」に見間違えそうになる。たどたどしく読んでいく時間感覚が、直前の「星ひろう」「「はい」とこたえる」のさっぱりした時間感覚と拍子が違って、時計が狂ったような異次元感覚を味わう。

安福望さんのイラストレーションが本書を絶妙に彩っている。イラストレーションは全ページに添えられている。単純にその物量にも驚く。
安福さんの絵は鉛筆のような軽快なタッチの明確な線と、透明水彩や色鉛筆の、透明度の高い色彩が特徴的だ。線は明確なのにフォルムがどこか曖昧でおもしろい。熊、栗鼠、人間、猫、なにかを被った生き物っぽいものなどが、広大な色彩のなかに、わりあい小さくあらわれることが多い。

透明水彩は発色が美しく、明度の高い色や淡彩が幅広い表現を生み出すものであるが、同時に色面にムラができやすく、筆触のあとが残りやすい。そうしたムラ、にじみが画面にいろどりと生き生きした感じを与えているのが興味深い。

人生の間隙を突いて読むのによい本、と直感する。
ちょうどこの年の瀬、クリスマスをひかえて、また、クリスマスを越えて、年の瀬をかみしめて読むのに適していると思います。
最後に好きな句をいくつかひきます。

あまいだめなにんげん
(苺のにおいがしてる)  (8/3)
へー魂にも歯があるんだ  (10/3)
秋のポテトサラダ女の子が好きな女の子  (11/14)
春という汚い手書きで始まる詩  (3/1)

(春陽堂書店)2019年8月28日刊