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2019年3月22日金曜日

【抜粋】〈「俳句四季」4月号〉俳壇観測195 俳人協会評論賞のあり方 ――句作ではない俳人の活動を振興するためには  筑紫磐井


(前略)
●俳人協会評論新人賞のあり方
 俳人協会評論賞があまりにも文句なく一気に決まったものだから、評論新人賞に議論が移った。これについては若干の意見が出た。しかも評論の選考委員会が終わった後の、全体会議にまで波及したのはやはり皆が少しづつ問題と感じている点があったからであろう。その意味で、賞のあり方を検討するためにはちょうどいい機会であった。
 第一の問題は今回も評論新人賞が出なかったことである(表参照)。候補そのものも少なかった。実は、俳人協会には別に公募で募集される新鋭評論賞があるのだが、この賞も今年は受賞者がなかった。のみならずこちらは、応募者がゼロだったのである。評論賞における根本的な問題があるように思われる。

受賞 年
×  30
×  29
×  28
×  27
○  26
○  25
×  24
×  23
×  22
×  21
○  20

 またほとんどの人が誤解しているのだが、実は評論新人賞は年齢で限定されない。俳人協会新人賞は五〇歳以下と規定されているのだが、評論新人賞はそうした制約はない。過去、五〇歳以上の受賞者もいる。しかし、五〇歳以上いくつまで許されるのか(六〇歳でもいいのか)はその時その場で審査員が決めるしかないシステムになっている。
 私が思うのに、どうやら評論新人賞は、俳人協会新人賞と違って独立の賞ではなくて、評論賞本賞に附属する賞のようなのである(だから評論新人賞は独立した回数で表示されていない)。言ってみれば評論新人賞は奨励賞に当たるようなのだ。だから厳密に条件を決めないで運用してきたのである。
 さらに問題は評論賞自体もはっきりした条件がないことである。俳人協会賞を会長や理事長が受賞することはありえないと誰しも思うだろうが、評論賞に関しては会長経験者が受賞している例もある。
 また、俳人協会賞はあらかじめ膨大な手数をかけて予選が行われているが、評論賞にそうした予選はない。俳人協会新人賞も同様である。俳人協会賞は膨大な数の候補作(句集)が上がってくるが、俳人協会新人賞、俳人協会評論賞、俳人協会評論新人賞には、選考に困るほど多数の候補作が過去上がってこず、今後も上がってくる可能性がないのである。あえて制約を設けることは、俳句文学の振興を害することになるというのも一理ある。
 色々問題をあげつらったが、私の最終結論は、――皮肉な結論であるが、きっちりした基準があると良い作品が選べるかといえば、そうしたことは決してないということである。妙な基準があると、かえって予想外の傑作を見落とすことにつながる。ルーズな基準は好い作品を選ぶためには都合がよいのである。
 ただ一つ、お願いしたいことがある。ネガティブな方の基準――例えば自句自解は候補にいれないとか、俳句に一切言及していない著書はいれないとか、入門書はいれないとか、エッセイ集はいれないとかは、毎年の恣意的な判断ではなく、協会のしかるべき責任者が明示してほしい。評論賞の候補となるかどうかは、毎年かなりぶれている気がするからである。応募者にしてみれば、受賞するかどうかは選考委員会が公平に決めてくれるから透明性があるが、候補となるかどうかはよく分からないという不満があるようなのである。
 実はもう一つの協会である現代俳句協会も現代俳句評論賞を募集し、昨年は第三八回目の授賞を行っている。応募者も順調らしい。俳人協会の評論顕彰活動と両輪相俟って健全な発展をして欲しいものである。

※詳しくは「俳句四季」4月号をお読み下さい。

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