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2018年12月28日金曜日

【最終回】思い出すことなど(4)「BLOG俳句空間―戦後俳句を読むー」の創刊 (吉村毬子と小津夜景の記憶)/ 北川美美



現在の俳句新空間の前身「BLOG俳句空間―戦後俳句を読むー」は2013年1月に静かに創刊した。

「詩客」からの引き続きの形で<戦後俳句を読む>を中心にサイトを構築していくイメージでスタートした。作品掲載については考えていなかったということに近く、新年刊行に合わせて新年の句を募集してみようということで筑紫さん企画で<歳旦帖>を掲載。<戦後俳句を読む>の執筆者メンバーや筑紫・北川の呼び掛けで句を募り新年の巻物としてふさわしい雅やかな雰囲気になった。

歳旦帖以外の個人作品を掲載するにあたっては、管理・運営の面で長続きしないのでは、という懸念があり筑紫さんは乗る気ではなかった。刊行記念として当初作品依頼を北川が行ったが(「風狂帖」として句帖にそろえる名称)、やはり筑紫さんの予想通り依頼を続けるには困難が多く頓挫してしまった。ご寄稿いただいた方々にはお礼申し上げる。

ブログはその後、<歳旦帖>を主力作品として継続し、それを紙媒体としたい、という筑紫さんの構想を実行に移した。紙媒体は2013年創刊から5年間が経過し、2018年12月にて10号を迎えた(年二回刊行・購入の場合は邑書林へ)。60名近い参加者の作品集なので自分の作品が目立たないのは嫌だ、と参加を断られるケースもあるのだが(公募はしていない)それはそれなりに、紙媒体にすると多くの作品の中でも際立つ作品、魅かれる作品というのがあり、見る側としては、紙媒体になってからこそ新しい風景が見いだせる刊行物であると思う。 

ブログ(「BLOG俳句空間―戦後俳句を読むー」)が10号を迎えた頃、筑紫さんが俳人協会評論賞(『伝統の探求〈題詠文学論〉』, ウエップ)を受賞され2013年3月5日に授賞式に参加した。筑紫さんの短期句会「題詠句会」のメンバー有志の協力に加え本井英さん、西村麒麟さんの参加もあり二次会として新宿・サムライにて行われた。 

記念句会 
サムライでの様子

そのサムライの会場に参加したのが吉村毬子さん(2017年7月19日没)だ。吉村さんは、北川がすでに開始していた連載「三橋敏雄『真神』を誤読する」に影響され、自分も中村苑子論を書いてみたいと思った、とおっしゃっていた。

中村苑子から直接指導を受けた直弟子で、晩年の苑子がとても気にかけていた逸材だったようだ(福田葉子さん談)。 サムライ以降吉村さんからお便りを頂くようになった。

昨年2017年の吉村さんの訃報から一年以上過ぎ、改めて彼女の作品を再読してみると、詩に憑りつかれ、詩に翻弄され、自ら魑魅魍魎の世界に引き込まれていった感がある。

中村苑子論は掲載の回を重ねていくうち、吉村さん本人から訂正の電話が入るようになり「どうしても電話でなければならない。」と少しずつ狂的になっていった。メール入稿が前提のウェブマガジンなのだが、吉村さんの事情で御自身でテキスト原稿が作成できず、LOTUSはじめ吉村さんをサポートする方々により入稿が成立していた。

彼女自身の入稿はひとりでは出来なかったのだが、彼女はその間に第一句集『手毬唄』を刊行し、鑑賞の執筆依頼を各方面に依頼し、ブログに掲載してほしいと彼女の要望に逐次筑紫さんが対応していた。いうなれば、現在当ブログの句集鑑賞のシリーズは吉村毬子セルフプロデュースがはじまりだったのではないか。大井さんのブログに吉村毬子孤独死、という訃報記事があったのだが、多くの方のサポートを得られた彼女は、決して俳句の面では孤独ではなかったように思う。なので俳句においてはこれからも作品は死なないだろう。

留鳥も移民の耳も芒原 吉村毬子 
『手毬唄』以降 Lotus 2017年発表 



吉村さんの作品傾向は、昭和50年代くらいの情念的ものが漂っていた気がする。考えると、9月28日に急逝した渚ようこ(歌手)もはじまりはポップスだったが次第に情念的な歌に傾倒していった。大本義幸さん(2018年10月18日没)の生前のお手紙に「渚と友達ならばリクエストしてほしいことがある」というのだ。<背徳の昼メロ「雨に咲く花」>を渚にカバーしてほしいと書いてあった。それを渚に告げることも虚しく渚までも天空の人になってしまった。 なにか突然に昭和も平成も一気に幕を下ろした感がある。吉村さん、大本さん、そして友人の渚の逝去を悼む。2018年のこの師走に淋しい感情が込み上げてくる。

死者たちは悲しみを残し、当然、水を打ったように静かだ。時にこの世に佇み、言の葉が水に浮かんでは消える呪術めいたもののように思えてくる。


※吉村毬子さん第一句集『手毬唄』(2014年文学の森)版元で購入可能。(文学の森にて2017年電話確認)。またLOTUS38号では吉村さん追悼特集号が組まれている。情報元:同人誌LOTUSのブログ 

※大井さんブログでの吉村毬子記事
吉村毬子「水底のものらに抱かれ流し雛」(「LOTUS」第38号より)吉村毬子 「手毬唄」についての記事 

***
吉村毬子さんと同時期に、小津夜景さんとのやりとりがあった。
小津さんは、2016年に第一句集を刊行され、田中裕明賞を受賞。そして今年2018年には漢詩エッセイの書籍が刊行となり、現在俳句総合誌はもちろん新聞、雑誌などで活躍中である。この二人、明暗がこのサイトで分かれたような印象すらある。

小津さんは2014年に豈が募集した攝津幸彦記念賞受賞において準賞を受賞された。賞の主催である豈が年一回ペースの発行のため、当ブログで受賞者の紹介を先行することになり、正賞、準賞の受賞者全員に連絡をとったことがはじまりだった。受賞者の中でとても積極的だったのが当初より小津さんだった。最初にいただいた返信は「作品でお世話になりたい。」とご自身のビジョンを明確に持っていた印象がある。なので関さんなどがいわれてるふわふわした感じということとは少し異なる。

小津さんは、プロフィール(作者紹介として私の担当記事は記載している)に「無所属」と記されていて、それに纏わるエピソードが思い出される。小津さんはすでに活動の場としていた週刊俳句にて「フランス在住の小津さん」と紹介されていた。

受賞作を先行でブログにて紹介しようとプロフィールをお伺いしたところ(応募時には氏名、年齢、住所、電話番号をお伺いしている。)、小津さんが「無所属」、もうお一人が空欄 という回答だったため質問をしてみた。「慣習的には、生年や出生地、在住地などを書かれる方が多いですが、ご回答のままでよろしいですか。」といま振り返ると野暮な質問をした。もうお一人の方は受賞されたもののご自身のご事情からご自分のことは語りたくないようだった。小津さんからの返信は「他人が言うのは構わないですがフランス在住ということを自分から言うつもりはありません。経歴に住んでいるところを書かなければいけないのでしょうか?」と作家としてのスタイルがすでにあり、妙な言い方になるが、プロっぽい印象があった(俳句はだいたい素人なのか、といわれると実も蓋もないが)。なので、「小津夜景」という筆名以前になんらかの執筆活動されていたのか…、という想像が働かざる負えなかった。もしくは、フランス在住も筆名もすべて架空なのかもという想像も働いた。

住んでいる場所や背景なんて本当はどうでもよくて作品が第一なのだ。しかし俳句は短すぎるので見知らぬ作者はまず背景を知りたくなる。句集を後ろから開くような経験が読者の皆様にもあるのではないだろうか。なので自己紹介として作家のある背景としてのことを書くことが慣習となっているのではないかと思う。小津さんの第一句集に「フランス在住」ということはどこにも記されていなかった。しかし読者やメディアの小津さんへの興味は「フランス在住」ということが強調されていった。

では、小津さんがご自身でフランスと言わないのであればこちらが言うべきなのだろうか、と小津さんの連載が数回始まった頃、面白くもない「ニース風サラダ」の作り方を「あとがき」に書き、お茶を濁したことがある。それを書いた後、ニースは魚介類がもちろんイケるだろうね、と想像し、マルセイユにある魚介スープ専門店chez FonFonとかいうレストランを日本のテレビ番組のレポートで見たことを思い出した。テルミドールのスープだった。2011年に10年ぶりの渡英でのテルミドールスープが忘れられず、テレビで見たchez FonFonの一皿がとてつもなく美味しそうで、そのためだけにソビエトから来たひとりの金髪女性が映っていた。そこで日本で似たスープの缶詰はないのかと探してみたところ阿寒湖のザリガニのスープを探し当て阿寒湖漁業組合に発注した。ザリガニが日本ではテルミドールの代物として扱われていることを欧米人は貧しく思えるのだろうか。どうだザリガニだ、となんだか誇らしかった。

ニース風サラダがどんなものなのかを「あとがき」に書いたのは2014年4月25日のなので、ザリガニスープの缶詰は4年間未開封のままだ。しかし、何故か有効期限が過ぎても捨てられない。多分それは缶詰のテルミドールの絵(それは確かにザリガニが描かれているのだが)と缶全体のデザインが気に入ったのだ。未開封のままシュールストレミングになっているかもしれない。

…とフランス、といってもこれは食だが、時に饒舌になるのはフランスというお国柄が原因なんだろうか。フランスはある意味、人を興奮させるところがある。


現在の小津さんはフランス在住ということをご自身で書かれているようだ。フランスが小津さんの代名詞になっている印象がある。異国で日本語を書くことは大変なのではと思うのだが、塩野七生、岸恵子、石井好子という前例もあり、俳句をきっかけに文化人として活躍される予感もある。

当ブログで小津さんが連載をされた頃から5年以上経過した。

吉村毬子と小津夜景、<戦後俳句を読む>誌上ではクロスしていたことになるが、明暗を分けるこの二人、吉村さんの作品が増えることは当然ありえない。小津さんはこれからも多くの読者を驚かしていくのだろう。

「BLOG俳句空間―戦後俳句を読むー」は、2014年9月に終刊し、翌10月から「BLOG俳句新空間」という名称となった。「BLOG俳句新空間」という名称でのサイトが100号を迎え100号記念だということになる。

この連載は100号に関する長い長い前書であり且つあとがきである。


100号記念として連載にしてほしい、という筑紫さんの依頼により当初1回で終わるはずが(4)までお付き合いいただいた。8年間を思い出しつつ、考えることは多かった。


読者の皆様、参加された皆様、ご協力賜った皆様に感謝いたします。
ありがとうございました。

(了)






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