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2017年11月10日金曜日

【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む13】「結び」及び「最強の1句」/筑紫磐井



 西村麒麟特集を2回編集したことになる。第1回目は『鶉』。第2回目は今回の150句。恐らく近いうちに第3回目の特集をやるかもしれない。私がこうした企画を設定した理由は、結社で恵まれない作家を救済したいと言うことにある。
 もちろん結社に入らない人もいる。結社でなく仲間たちとの同人雑誌をやっている人もいる。それらは当人たちが覚悟の上だし、案外そういう人には多くの仲間がいる。しかし結社に入りながら西村のようにこれだけ恵まれない人は珍しい。もちろん結社で干されているのは自業自得かもしれない。しかし結社にかかわって、それなりに立派な成果を挙げ(多くの若手が渇望する田中裕明賞、北斗賞を受賞し)、なお結社で評価されないという人は珍しい環境にあるとしか言えないだろう。そして、そうした結社に居続けるというのも健気である。
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 ただ特集を企画して気づいたことがある。西村は、何のポストも権威もないのに、特に若い作家たちの中心にいるらしい。第1回目も、第2回目も、西村が自分で執筆者を打診し、決定し、原稿を貰っている。私は、企画しただけで何の編集もしていないのである。こうした編集企画力は将来間違いなく役に立つのではないか。
(私は現在、BLOGで「前衛から見た子規」という連載を行っているが、実は子規という人物は小学校時代から雑誌の編集を行っていた。それが中学、高校、大学と続き、最後は、日本新聞社の「小日本」という新聞編集を行うところまで繋がっている。雀百まで踊り忘れず、というが、子規はジャーナリストとなるために生まれてきた人物である。その数あるジャーナリズムの中で、俳句というジャンルが選ばれたのである。)
 当然西村が集めた記事は、彼を中心とした同世代が多い。私のような年配者は殆どいないであろう。そして思うのは、この若い世代の文章が、多彩ではあるものの一つの特色を持っているように思うのである。変わった西村麒麟特集だから、まず、「西村麒麟を論じた特集」を論ずるところから初めてみようか。

 それらは、誠に緻密で西村麒麟という世界――今回で言えば、西村の150句の世界を縦横に分析し、完結した評論としているところである。だから西村麒麟を科学的?に分析しているように見える。その意味では、社会学的な評論といえるかもしれない。しばしば、西村が固執しているテーマや季題が収集され、比較されている。
 ところで、手法が違うと言ってしまえばそれまでだが、例えば、「豈」59号で第3回攝津幸彦記念書を受賞した生駒大祐について私は選後評を書いているのだが、その核心は、30句の中で、

 新潟に近くて雪の群馬かな

を究極の1句として掲げ、これを論じていることにある。他にいい作品があるとか、他の作家と比べてどう優れているかではなくて、生駒の作品からたった一句を選んで鑑賞をしているのである。
 考えてみると私の最初の評論集は飯田龍太を論じた『飯田龍太の彼方へ』(深夜叢書社刊)であるが、ここでは世の常の龍太論のように万遍なく龍太を論じたのではなくて、龍太のたった一句、

 一月の川一月の谷の中

だけを論じて200頁を費やしている。どうもこれが私のやり方であるようだ。
 しかし私は案外これが正統的だと思っている。どんな作家であれ、生涯に詠んだ数千句がすべてのこるわけではない(全集を作るのと評価は別である)。どんな作家であれ、常時人から語られるのは十句ぐらいしかないのではないか。いや、生涯にたった一句が残ればよいのかもしれない。後は、参考として引用される句であろう(須賀田某を悼んだ「生涯にまはり灯籠の句一つ」という素十の句があった。山本健吉は「思いだされない名句というものが何の意味があろう」と、余りにも常識的な、しかし意外に深遠な言葉を残している)。とすれば、評論の一つの意義は、究極の1句を見出すこと、そしてそれが究極である理由を後世に残るように語ることであろうと思っている。
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 そういう考え方で、西村の150句「思ひ出帳」を読むと、それらは10句ぐらいに集約され、そしてさらに次の1句に落ちつくように思うのである。

 金魚死後だらだらとある暑さかな

 もちろん究極の一句を探すという同じ方針を採っても、選者によって、全然別の句を選ぶことになる。それが当然だと思う。しかし、この一句を据えて西村を眺めることによって、私の見る西村の姿は急に引き締まる。全体、西村は巧みではあるが、ふざけた句が多い。私が、第1句集を「虚子に一ミリ近づいた男」と表したのはそうした謂いである(この言葉は、西村のキャッチフレーズになるかと期待していたがちっとも流行らなかった)。それが、突然深読みされることにより、別種の俳句、別種の俳人のような相貌をおびてくる。
 元々俳句などは不完全な詩型だから、そのときどき、例えば20代と60代では読み方が全然違ってくる。朝と夜と、疲れたときと休息の取れたときと、ひどいときは食前と食後で好悪は変わってくる。従って、一群の作品も、その中心に置く句によって全体印象はかなり変わってくる。

 まず、この句は、2017年1月発表の自選10句にも選ばれていない。これで安心した。西村は自分の究極の1句を見ぬ抜く目がまだないことになるからだ。 3人の選者の中岡毅雄、田中亜美、立村霜衣のうちこの句を選んだのは立村霜衣だけだった。だが立村が選んだ理由は私と違うようだから、ほぼ私の独断といってよいだろう。
 分り易いのは、比較的多くの論者が評価していた「八月のどんどん過ぎる夏休み」だ(これは自選10句にも入っている)。人気の一句といって良いだろう。決して悪い句ではないが、私が『鶉』評で書いたように飯田龍太の影を負っているようだ。現代作家、特に西村のような作家が飯田龍太の影響を受けることはあまり意外性のない話だ。
「金魚死後」の句はそれがない。いや人の知的創造活動に完全な影響のないはずがないとすれば、辛うじて影響があるとすればもっと根源的なもの――例えば人間探求派に近いものではないかと思う。西村と人間探求派――これは意外だ。しかし、この句にふざけた匂いが見えない理由もそこにある。かつ、そう見た瞬間、日頃のへらへらとした西村の笑顔に隠された本音が見えるように思うのである。
「金魚死後だらだらとある暑さ」はほとんど散文のようであるが、それの持つ思想が、逆に韻律を形成している。そうか、これが西村麒麟であるのだ。
 かつて、一度だけ真面目な顔で話されたことがある(生涯にわたって真面目な顔をされたのはこの時だけだったような気がする)。私や高山れおなが企画した『新撰21』やその続編シリーズで、西村は一度も登場したことがなかった。未だ我々の視野に届かなかった(申し訳ないが「古志」は余り読んでいなかった)のだが、シリーズが回を重ねるたびに置いてきぼりになる焦燥感が生まれたという。これは私たちに対する非難であったかもしれない。しかし一方で、『新撰21』ごとき連中に置いてきぼりを食う作家ではないという自負がにじみ出ていた。それ以来、やや馬鹿にしたような言い方をしつつも、西村を尊敬している。だから西村は永遠に俳句を止めないであろう。またこれだけ干され続けても「古志」を止めないであろう。西村が師事すると言っている長谷川櫂が少しだけ(ほんの少しだけであるが)羨ましくはある。
 つまらない事ながら一言添えれば、北斗賞の選考で西村は誰にも一位に推されていない。選者は3人別々の作家を推している。つまり平均点で西村は受賞したのだ。受賞こそしたがこれは西村にはやや傷つく事実だと思う。しかし気にする必要はない、受賞選評で3人の感想を読むと、どう考えても他の作家に比べて圧倒的に激賞されている。つまり、1位になった瞬間に突然深読みされ、1位にふさわしい作家に見えてくるのである。これは、上述した私の理論が成り立つことを証明するようで、いささか鼻が高い。
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 直接関係無いことだが、西村を論じた論についても最後に述べておきたい。ある雑誌の編集者から、現代の若手は同世代の評価を気にし、上の世代の評価には無関心だといわれた。例えば指導者の評価より、同世代の評価に深く傷つくのだそうだ。なるほどもっともと感じた。とすれば私の評など、西村には不要かも知れない。西村麒麟が選んで既に掲載した十二人の評論で十分であるかもしれない。とすれば、書いたものの、役に立たないかもしれない上の世代の評価を、蛇足を承知で加えた事になりかねない。しかし若い世代の時代性にずっぽりはまった評価よりは、五十年後に西村が古稀を迎えたときに本当に納得するのはどちらの論であるかは、必ずしも今即断はできないと思うのである。


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