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2017年6月9日金曜日

第67号 あとがき(筑紫)



 本BLOGで広告を載せているが、最新の著書『存在者 金子兜太』の増刷のお祝いのため藤原書店でその内輪のお祝いの会の招待を受けた。「海程」終刊宣言後初めて会う兜太なので関心があったが、歩くのはやや不自由そうであるが、頭と口は驚くほどはっきりしている。今後のことはまだ決まっていないというが、集まった人々の話は「金子兜太の未来」であったのは明るくて喜ばしかった。「海程」は終わっても、兜太は終わりはしないのだ。例えばあの虚子は、「ホトトギス」の選者は終えた(昭和26年3月)が、その後、朝日新聞に名編「虚子俳話」を連載し続けたし、「玉藻」の研究座談会で実作を踏まえた戦後俳句の総評(戦後の4Sや人間探求派、新興俳句だけでなく社会性俳句まで含めての批評)を行っている。倒れる(34年4月8日)まで筆を執り、語り続けているのである。兜太にはこうした仕事が期待されるのである。
 前回書いたように、5月の「海程」の大会において、「海程」が来年9月をもって終刊することが宣言された。
 実はもう一つ、「海程」の人間ではないので、「海程」の大会において、「海程」の終刊がどのように語られたのかは、新聞記事で不正確に承知しているだけであったが、その場で一言一句を教えてもらえたので、少し兜太が何を考えているのかが分かった。
 一つは、「海程」を「造型俳句の実践の場である「海程」」といっていることである。前衛の場でも、社会性の場でもないところにポイントがある。兜太は97歳における現在において自分の俳句活動を「造型俳句」に収束させようとしていることである。
 次に「「海程」は、私が主宰者でなくなった時点で、収束させたい」「私は「金子兜太が主宰した俳句雑誌が海程」ということに強い拘りがあります」と述べていることだ。後続の雑誌を、海程を使うにしても「海程Ⅱ」「新海程」「海程新世代」「海程埼玉」と添えた形にして、海程との違いと承継の意志を明らかにして欲しいし、あるいは「海童」もいいのではないか、という。そして、「新しい俳誌への協力は出来る限り惜しまないつもりです。しかし、俳誌名については、私の美意識を受け入れていただきたいと思います」と結ぶ。
 「海程」は兜太の主宰誌という記号だけではなく、造型俳句の歴史を経ることで、兜太にとって肉体化していたと言うことができるかも知れない。後継者がいかに出ても「ホトトギス」は虚子の肉体化であり、「豈」は攝津幸彦の肉体化であるように。
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 広告にちなんでいえば、拙著『季語は生きている』の広告を出させていただいているが、このたび、東京四季出版の「七夕まつり」(7月7日(金)15時半~)で記念講演「季語は生きている」を演じさせていただく。今年の俳句四季大賞は高橋睦郎氏の「十年」が受賞しており、こうした機会にお話をさせて頂くのはまことに光栄である。入場無料ということなのでぜひたくさんの方とお目にかかりたい。


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