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2017年5月5日金曜日

【短詩時評40】ちょっと気になっただけです/柳本々々

「現代俳句協会創立70周年記念事業 青年部第149回勉強会 【読書リレー「ただならぬ虎と然るべくカンフー】」において田島健一さんの句集『ただならぬぽ』を読ませていただくという機会をいただいた。そのときの経験から、〈俳句を読む〉という行為をめぐって、のちに、断片的に、さまざまなことを思った。これはその、後日にあらわれた〈俳句を読むこと〉と〈読むこと〉をめぐる「ちょっと気になっただけ」の断片である。

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自分にとって色川武大という存在は長い間凄く大きな存在としてあったが、ただ色川武大をどう読めばいいかわからずずっと色川のそばをただ何年もうろうろしていた。田島健一さんの句集を読む作業を通してとつぜん色川の読み方がわかったが、しかし俳句を通してわかる小説表現とはいったいなんなのだろう。俳句を読むという行為は、なにか、ひとの、読む経験を、変質させてしまうようなところがあるのだろうか。〈読む〉ことそのものをとらえかえしてしまうような。俳句を〈読む〉行為は、〈読むこと〉そのものを〈読み直す〉ことにもつながっているのではないか。わたしが、読み直される。

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そもそも、ものが「見える」というのはある意味で幻想なんです。たまたまそういうふうに「見えて」いる。「見えてしかたがないもの」があって。意味のレベルじゃなくて、泥んこ。/田島健一『オルガン』2号、2015年」

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橋本直さんの岡村知昭さん句集『然るべく』の講座をきいていてはっとしたのが、橋本さんがそこで〈読むことをしくじる可能性〉のような事を話されていたことだった。うまく読むことはできるかもしれない。しかし、うまく失敗しながら読むことはどのように到達できるのだろう。俳句はそれを時に要請する。俳句を、うまーく読んだときに、俳句は、こう言うかもしれない。おまえそれちがうよ。おまえそれなんかちがうよ、と。わたしは、聴いている。

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わたしは小さな田舎町を散歩していた。突然私は心臓部に強い衝撃を受けた。それは事物の境界を崩壊させ、定義をばらばらに分解し、事物や思考の意味をなくさせてしまった。わたしはつぶやいた。これ以外に、これ以外に真実はなにもないのだ、と。/イヨネスコ『過去の現在 現在の過去』」

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だから私が今回現代俳句協会のイベントでいちばん勉強になったのは、読むこと、読みの経験とはどのようなものなのだろうということをとても考えさせられたことだった。多摩図書館でわたしはそれをかんがえていた。それはあの一日の一貫したテーマだったと思う。俳句を読む行為は、ふだんの読む行為をとらえ返し、再考させる。読む経験に変質を迫る。ときどき机につっぷしそうになる。人生でたった一冊でもほんとうに〈読む〉ことができた本があったのかどうか。いろんな本を読んだけれど。わたしは、耐えている。

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なぜ、私は読んだらそれについて何かを言わなければならないと思うのか。私は何かを言うために読んでいるのか。なぜ、 黙って、反芻するようにただひたすら読もうとしないのか。/山城むつみ「文学のプログラム」」

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生駒大祐さんが私の隣で「この句を《ただたんに》読むこともできると思うんです」と言われた時に、山城むつみと小林秀雄の事を思い出した。数年前にこの時評で書いたのだが、読むということは、読むことをいったん放棄することであり、書き写すことなのではないか。それはボルヘスもドン・キホーテを通して語っていた。メナールさんを通して。メナールさんが提出していた《ただたんに》の経験。読む、とはときに、読まないこと、読むことをしくじらせながらたどりつくということ。生駒さんは言う。「たまねぎを切る。ただたんに見る、たまねぎの切った断面をただたんに見る。ちがいますか」 私は、聴いている。

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白鳥定食いつまでも聲かがやくよ/田島健一

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俳句を読む行為は、その読みの行為のなかに《失敗の経験》を含ませていく行為でもある。うまく読めれば読めるほど、失敗やしくじりが伸びしろとして広がっていく。その意味で俳句の読み手になる事は大失敗に自ら身を投じていく行為でもある。しかし実は読むことの原体験ってそういうものなのではないか。この読むことをめぐる失敗はどこかで消えてしまう。しかし、俳句はそれを想起させる。思い出せ、という。読むことの死をわすれるなと。田島健一さんの句集は、詩=死を思い出せ、で始まり、詩=死を忘れるな、で終わっていた。

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「白鳥定食は現実界そのものなんですよ」という小津夜景さんの言葉。「だからいつまでもえいえんに輝くんですよ。たどりつかないから」

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国際電話とは、いったいなんなのか。

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積極的に失敗すること、読むことの死にちかづくこと、それが詩に転轍されることというのはどういうことなのか。

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「もしもし。あの、すみません。やぎもとです」

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会場のいちばんうしろ、いちばん奥で、田島さんが聞いている。いちばん奥できいている田島さん。みずからが白鳥定食そのものとなって、ことばがたどりつくかたどりつかないかわからないおくで、季語のように、すわって、聴いている。

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鶫がいる永遠にバス来ないかも/田島健一

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「安福望さんに、『鶫』ってなんて読むんですか、ってきかれたときに、それは『ひよどり』って読むんですよ、って言ったんですよ。でも、後で調べたら『つぐみ』だった。だから、安福さんはいまでも『鶫』を『ひよどり』って読んでいるはずです。そういうことがあるんですよ。生きてると」

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「たとえば紅茶椅子というものがあったとしますよね。で、紅茶椅子を持ってきてくださいと言ったときに、はいわかりました、と言われて、持ってきてこられてしまったらまずいわけです。やばいなと思うわけです」と話すわたし。聴いている生駒さん。

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例えば村上春樹の『ノルウェイの森』の主人公は突然冒頭プルーストのように航空機の中で回想をはじめるのだが、しかし、かれはその回想から戻ってこられなくなる。〈かれ〉は、みずからの回想を読むことをはじめ、『ノルウェイの森』を語り、想起しているのだが、しかしその〈読むこと〉に失敗したのだ。回想に失敗してしまったひとりの男。ビートルズの「ノルウェーの森」の歌詞のように部屋にひとり取り残されたおとこ。

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かれの居場所は最終的には世界のどこにも位置づけられない電話ボックスのなかにある。そこからいますぐきみに会いたい、きみにどうしても会いたい、と愛するひとに呼びかける。かれは、回想を失敗し、回想を読むことも失敗し、場所の確保も失敗し、愛に失敗し、それでもどこでもない場所から呼びかける。もういちどやりなおしたい、読み直したい、と。

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どこに、ゆくのか。

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私は症状である竹の秋/阿部完市

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ホワイトボードに向かって田島健一句集における季語と現実界のイメージを図解するわたし。ふと手をとめて「キ語のキっていう字が書けないんですけど、どうしましょう」と困った顔をして生駒さんをみるわたし。生駒さんが指をさしだし、宙に書いてくれる。、と。

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白鳥定食いつまでも聲かがやくよ/田島健一

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このしくじりながらも呼びかける行為は、俳句を読む行為にも似ている。変な話だが、俳句を読む行為と村上春樹『ノルウェイの森』(を読む行為)は似ている。あらゆる失敗や挫折を経験したどりついてしまったそのどこでもない場所から、それでもこう読みましたこう読むしかなかったんですよと呼びかける行為。

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凄く乱暴に言うと、俳句主体と初期の村上春樹主体は〈ぼんやり〉や〈僕にはわからない〉〈やれやれ〉などの理解への到達しがたさが少し似ているところがあるんじゃないかと思ったりする。「古池や蛙とびこむ水の音やれやれ」と村上春樹も言っていたような気がするのだ。ただ、これは。ちょっと気になっただけです。

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「--私自身、よくわからないのです。私はいつも理屈で筋道をつけようとしないものですから、気持の中をご説明できません」
医者は小さく頷いた。/色川武大「狂人日記」」

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ここには、わけのわからないことが、いっぱいあるわ。だけど、ほんとうは、なんでもじぶんのなれているとおりにあるんだと思うほうがおかしいのじゃないかしら?/ムーミンママ「ムーミン谷の夏まつり」」

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鴇田智哉さんの句に「人参を並べておけば分かるなり」がある(池田澄子さんのピーマン句、田島健一さんの玉葱句と比較すると面白いかもしれない。鴇田さんは野菜を並べて有無を言わせず「分か」らせる)。この「分かる」の「やれやれ、世界はなるようにしかならないのだ」感は村上春樹のような奇妙な世界肯定感がある。

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村上春樹の初期の小説がもつ〈気分〉、たえずさまざまなことを理解しそこね失敗しながら、たどりついてゆく場所にたどりついてゆかざるをえない〈気分〉、それは俳句を読むことに少し似ている。「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の僕は妻との関係に失敗し猫をさがすことに失敗しなにか致命的な事柄になんとなく失敗する。

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ワタナベ・ノボル
 お前はどこにいるのだ?
 ねじまき鳥はお前のねじを
 巻かなかったのか?/村上春樹「ねじまき鳥と火曜日の女たち」」

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読むことと失敗をめぐる経験。俳句を読むことと失敗をめぐる経験。でも。これは。

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ちょっと気になっただけです。




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