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2017年5月5日金曜日

【抜粋】<「俳句四季」5月号> 俳壇観測172/堀切克洋の俳人協会新鋭評論賞 ――後藤夜半の「滝の上に」の句の時間性 筑紫磐井


俳人協会評論賞の受賞者なし

俳人協会の各賞の選考が一月に行われ発表された。中でも評論関係の賞に関心を持った。理由は、私自身受賞したり、賞の選考に加わったことが何回かあるからである。また賞とは関係ないが、俳人協会の評論の紀要の委員も長いこと続けており、いわゆる伝統俳人たちの評論の水準には関心があるのだ。
その意味で、今回の評論賞の結果には驚いた。本賞も新人賞も受賞者が一人もいないというのだ。おそらく評論賞が始まって以来、本賞も新人賞も出なかった年は初めてではないだろうか(本賞は昭和五四年に創設され、隔年で授賞。平成五年からは毎年授賞となった。また、同年から新人賞も創設された)。新人賞が出ない年はしばしばあったが、さすがに本賞のない年はなかったはずである。
評論賞の過去の受賞者は、澤木欣一、石原八束、川崎展宏等の大家から、仁平勝、岸本尚毅らの本格的評論家、さらに中堅・新人まで、あまり世代にこだわらず授与されている。その意味では句集を顕彰する俳人協会賞と比べて対照的であり、風通しが良いものとなっている(そういえば、評論賞ではないが、俳句文学館紀要にはかつて夏石番矢が国際俳句について論じた評論を掲載していたことがある。有季定型の条件に厳しい伝統俳句と違って、評論については俳人協会もおおらかなところがあるのだ)。
評論と言えば、ひところは総合誌では社会性俳句系・前衛系の俳人の評論が中心で、伝統俳人はそういう理屈っぽいものは書かないというのが風潮であった。そうした傾向が変わったのは、俳人協会評論賞の功績かもしれない。現代俳句協会も評論賞を募集して顕彰しているが、現代俳句協会のそれよりはすそ野が広いのが特徴だ。両々相まって、評論が充実し、実りある論争も行われるだろう。そうした期待があっただけに今回の受賞者なしは残念であった。

新鋭評論賞

俳人協会評論賞及び評論新人賞に代わって、今回ひときわ目を引いたのが、第三回新鋭評論賞の大賞を受賞した堀切克洋の「見性としての写生 後藤夜半の滝の句をめぐって」であった。
新鋭評論賞とは、俳人協会が公募する俳句評論に対する賞で、四九歳以下の協会会員による評論が対象となっている。同じ新人を対象としながらも、評論新人賞が、刊行された評論集を対象としており、比較的若い世代に与えられるものの年齢を切っていないのと比較すると、本当に若手評論の顕彰の意味を持っている(そもそも若手には評論は書けても、評論集を刊行する経済的余裕はないであろう)。
堀切の今回の応募評論は、後藤夜半のよく知られた「滝の上に水現れて落ちにけり」を論じたものだが、本人の言葉によれば、一九二〇年代後半の文脈――特に高野素十と水原秋櫻子の論争を踏まえて考えてみたものだという。
この受賞作品は、俳人協会のホームページで簡単に読めるので触りだけを書けば、高野素十と水原秋櫻子、そして素十を評価し秋櫻子を批判した中田みずほの三者が評論で使う「技巧」の意味の違いを分析するところから始まり、「技巧が見えない技巧」とは何かを考える。もちろん、堀切によれば、「滝の上に」の句には「技巧が見えない技巧」があるのだと考えているわけである。
(以下略)


※詳しくは「俳句四季」4月号をご覧ください。

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