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2017年4月16日日曜日

【平成俳壇アンケート1】第1回・筑紫磐井  



「昨年の後半とつぜん今上天皇の退位が政治的スケジュールに上がってまいりました。様々な憶測が飛び交っていますが、その中で平成は三十年をもって終了するらしいと言われています(二〇一九年一月一日改元説が有力)。何気なく平成俳壇という言葉を使ってきましたが、これからは「昭和俳句」、「平成俳句」という括りで俳句史を回顧することになるのでしょう。
ついてはほかの雑誌に最も先駆けて、平成俳句アンケートを「俳句新空間」で行ってみたいと思います。あと1年余あることはありますが、平成の大勢をつかまえたいと思います。差支えない範囲でご回答ください。」

以上が、アンケートの依頼趣旨である。しかし冊子「俳句新空間」第7号で、「特集・21世紀俳句」の「叢林鼎談――二十一世紀俳句の来し方・行く末」(大井恒行・酒巻英一郎・筑紫磐井)の中で次のような発言が出ているから、このアンケートの依頼趣旨を少し補足していることになるだろう。参考にしていただきたい。

酒巻:平成の終焉がいよいよ射程距離に入ってきて、平成三一年(二〇一九年)一月一日に今上天皇が退位なされ、年号が変わると。平成のこの三〇年間は、いわゆる「大正俳壇」を生みだした大正年間のちょうど倍の時間なわけです。「大正俳壇」と言えば、一般的には鬼城・水巴・普羅・蛇笏・石鼎を輩出した「ホトトギス」の山稜が築かれた、その限りでは「昭和俳句」への架橋となる実り多い時代なわけですが、比べるに「平成俳壇」とでも呼ぶべきものがあるとしても、即座にその中身を言い当てることができない。もはや「平成」を冠するアンソロジーを編もうとしたところで、アーカイブ以外に時すでに遅しです。

筑紫:冒頭、酒巻さんから、平成の終焉がいよいよ射程距離に入ってきて、平成の三〇年間を「平成俳壇」とでも呼ぶとしても、即座にその中身を言い当てることができないとお話がありました。私も同感で、「俳壇」一一月号で「昭和俳句レトロ館」という特集があり、多くの俳人たちが自分たちの記憶から、終戦・原爆忌・憂国忌・夏休み・黒電話・スター誕生・高層ビル・肉食・帰郷・月の石などを挙げており、いかにも昭和の風景であったことが納得されましたが、では平成の風景が平成俳句にどのようにかかわるかというとなかなか難しいものがあるように思います。そもそも「平成」で切り取れる風景や俳句は果たしてあるのだろうかという気がします。その意味で、何を指しているかわからない二十一世紀俳句は「(仮称)二十一世紀俳句」としておくとしても、平成俳句とは違って、終わったものではなく、現在・未来として眺める意味がある――過去ではなく未来がある――のではないかと思います。

ちなみに2②の「平成を代表する句集」については、角川書店「俳句」25年12月で「大特集・俳人300名が選ぶ!平成の名句集best30」(櫂未知子・小林貴子・筑紫磐井)がまとめられている。比較すると興味深い(飯田龍太『遅速』、飯島晴子『儚々』、友岡子郷『翌』、宇多喜代子『像』など)。




アンケート回答 ●筑紫磐井●

1.回答者のお名前(筑紫磐井

2、平成俳句について

①平成を代表する1句をお示しください
ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ (なかはられいこ) )

②平成を代表する俳人をお書きください。判断が難しいので2つに分けて結構です。

➊大家・中堅(高山れおな)
➋新人(御中虫・西村麒麟)

③平成を代表する句集・著作をお書きください。(長谷川櫂『震災句集』

④平成を代表する雑誌をお示しください。(夏草・別冊号、弘栄堂版「俳句空間」

⑤平成俳句のいちばん記憶に残る事件を示してください。(「結社の時代」キャンペーン

⑥比較のために、俳句と関係のない大事件を示してください。(オウムサリン事件、9・11同時多発テロ、3・11東日本大震災

3.俳句一般

①時代を問わず最も好きな俳人を上げてください。(攝津幸彦
②時代を問わず最も好きな俳句を示してください。(幾千代も散るは美し明日は三越 攝津幸彦


4.その他
(自由に、平成俳壇について感想をお書きください)

2.のいくつかの項目について解説しておく。記載とは異なり、下から順次考えいったので、解説もその順番に従う。

俳句と関係のない大事件=オウムサリン事件(1999年)、9・11同時多発テロ(2001年)、東日本大震災(2011年)

多くの人とこのうち2つか3つが重なるのではないか。

(1)サリンは、小さな宗教団体が世界戦争用の武器を使える時代を迎え、市民の日常が脅かされる時代が続くこととなった。世界的に見ても、宗教(キリスト教を含め)が人を救うより、むしろ人を殺すこと・狂わせることが多いことを認識させたのである(実はいつの時代もそうなのだが)。

(2)は、軍隊が大量に市民を殺略するのは20世紀にしばしば見られたが、これは戦争ではない。戦争と戦争以外の区別がなくなり始めた時代であろう。

(3)常時震災があることは10年おきの震災で体験済みである、ならばそのような地震があろうと鉄壁の震災対策こそが日本には必要であろう。地震の予知はむなしいことを感じさせる(紀元前にローマ人はコロッセウムや水道などの土木「技術」を完成させたが、ついに土木「科学」は一向進まなかった。地震予知はこの土木科学の延長にある)。私は、震災直後、首都を東京から東北に移転する提案を行った(「小熊座」平成23年7月)が、何の反応もなかった。

     *    *

3つ並べてみると救いようのない、宿命的な事件ばかりだ。昭和と違って、それが平成なのだろう。この脈絡の中で、介護、孤老、DV、欝、いじめ・差別、詐欺等の中小の身近な事件へと続く。上記「俳句」25年12月の特集で、藤原龍一郎は三橋敏雄の平成刊行の句集を論ずるにあたり「戦争の時代であった昭和を、自己の体験を基盤にして鋭い批評意識とともに総括」すると述べているが、実は「戦争の時代であった」のは昭和前期(戦前)であり、「鋭い批評意識とともに総括」しようとしたのは平成ではなく昭和後期(戦後)であったはずだ。平成はとんでもない時代に漂流し始めたと見た方がいいのではないだろうか。


⑤平成俳句の記憶に残る事件=「結社の時代」キャンペーン

このような空恐ろしい災害に比較するのはおこがましいが、俳壇を根幹から揺るがしたのは「俳句」編集長秋山みのるの「結社の時代」であったように思う。俳句は文学・思想ではなく、上達法・添削法さえうまくやればよいという価値観が出来上がったからである。このために、秋櫻子、草田男、楸邨などの理念を持った俳句はほとんど古典俳句として祭り上げられ、時代遅れに扱われている。虚子ばかりがもてはやされるのである(本当は虚子にも思想や文学があるのであるが、多くの俳人にはあまりそれに気が付かない)。

③平成を代表する句集・著作=長谷川櫂『震災句集』

アイロニカルな意味をこめて取り上げたい。平成にあって、これほど批判を浴びた句集はないのではないか。しかし、5年たって振り返ってみると我々が震災を見る目を客観的に同定するにはうってつけの句集となっている。言ってみれば、大正13年のホトトギスの震災特集に近い役割を果たしている。

②平成を代表する俳人(新人)=御中虫・西村麒麟

このような時代で、時代を代表する作家は、此処にあげた二人であろうと思う。御中虫は俳句及び評論の枠組みをほぼ完璧に破壊しているし、西村麒麟は結社のバックアップも受けず、殆ど金をかけないで句集を出版する(近頃、金を書けないでも句集はできると豪語している聞いている。出版社の敵のような男である)。
ただし新人の賞味期間は2~3年であることは言っておこう。だから、『新撰21』が古典になることはないのである。まだ俳句を始めていない、これから俳句を始める人こそ、次の元号を代表する時代の俳人なのである。

②平成を代表する俳人(中堅)=高山れおな

あらゆる媒体を駆使してメッセージを発信する。句集、選集(『新撰21』)BLOG(「―俳句空間―豈weekly」)、雑誌(「Ku+」)、新聞・雑誌の時評などで刺激的で騒々しい存在である。経緯から言っても「新撰21世代」の兄貴に当たる。ただ飽きっぽいのが玉に瑕だ。しかし時代の変化に敏感で、まさに時代の受信・発信塔の役割を果たしている。

略歴を見れば、平成元年俳句同人誌に入会、平成5年『「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ「燿」』でデビュー、まさに平成の時代をすべて眺め尽した、純粋平成俳人であった。ちなみに回答者の私も、平成元年第一句集『野干』を刊行したから、一応は平成俳人だともいえるのだが。

①平成を代表する1句=ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ (なかはられいこ)

⑥で様々な事件を上げたが、その一つの「9・11」を上げたい。この作品をしのぐ時事句は他の事件ではなかったように思う。しかり、この時、俳壇は、ただ一人の大辻隆弘(歌人)のような作家も生まなかったのである。

意味をたどれば、「ビルが崩れてゆくなんて綺麗きれ(い)・・」であろうか。いたるところで、句点で切断されており、これは視覚的にも崩れてゆくビルそのものの姿だ。しかも、これは崩れているビルを眺めるというよりは、末尾の断絶(「き、れ」のあとがない)から、まるで崩れてゆくビルの中に身を置いているようにすら見える。定型が破壊される衝撃を感じているのだ。

この作者は川柳作家。高山れおなから教えられた。高山の「「ゼロ年代の俳句100選」をチューンナップする(一覧篇)」(―俳句空間―豈weekly第94号 2010年6月6日)で選ばれている。

ちなみに、この時の高山のコメントは、次の通り。

「なかはられいこが、
ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ
と、傑作を作っている。なかはらは柳人なれど、わたくしは柳俳一如の筑紫磐井の弟子なので百句選に採るのはノープロブレムである。「逸」という雑誌で引用されているのを見たもので、初出は不詳ながら二〇〇一年か二〇〇二年の作のはずである(※後日確認された出典「WE  ARE!」3号 2001年12月)。」


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